ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー

一 カラーアップ・パーティー ⑦

「マージかぁ……」


 ますます体から力が抜ける。

 あのミリタリージャケットはメフメトからのもらい物である。初心者にタダで渡して問題ない程度のものと聞いているが、だからって無造作になくしていいわけでもあるまい。

 とりあえずポケットからサングラスを取り出して、力なくかけた。


「どうするかなぁ……。というかなんで放り出されたんだ、俺……」


 今から店に取りに行けば、ジャケットだけでも返してもらえるだろうか。

 そう考えていたオクトーバーに、頭上から声が降ってきた。


「あれは盗難防止アラートです」


 抑揚に乏しい、甘い女性の声だ。

 いつの間にか誰かが近づいてきていたらしい。面倒なので姿勢を変えずに返事をする。


「盗難防止アラート?」

「通常、ゲーム中にアイテムを他者に取られるのは自己責任として処理されます。手元から離すのが悪い、というわけですね。しかしカジノ内ではチップや、場合によっては賭けたアイテムなどを無防備にテーブルに置く必要性が発生します」


 テーブル上のチップやアイテムを無造作につかんで隠すところを想像する。アイテムストレージが存在する以上、一度盗んだものを隠されれば、見つけ出す際の困難は現実の比ではないのだろう。


「なのでALOにはそれを防止するためのシステムがあります。カジノ内でのみ、自身に所有権がないアイテムを入手しようとすると、カジノ側と該当プレイヤーに警報が鳴るのです」

「俺が手に取ったのは自分のジャケットなんだけどな」

「ジャケットを体から離して一時間以上放置しませんでしたか? 装備中のアイテムでも一定時間放置すれば、所有権はクリアされます」

「あー……」


 賭けを始める前にジャケットを脱ぎ、チップを全て失ってから手に取った。その間がちょうど一時間くらいのはずだ。


「しまったな。そんなシステムがあったんだ。失敗したなぁ」


 今度会ったらメフメトに謝らないと。

 そう考えていたオクトーバーに、しかし声の主が告げる。


「というわけで店のストレージからジャケットを回収してきました」

「……マジ?」


 そこでようやくオクトーバーはごろりと寝返りを打ち、声がする方を見た。


「ええ、どうぞ」


 しゃがんでこちらにジャケットを差し出しているのは、一人の女性プレイヤーだった。

 健康的なメリハリのついた体をバニースーツで覆っているということは、ホワイト・コースト・カジノの店員なのだろう。寝転がった姿勢から見上げると網タイツで包まれた足が視界の大きな範囲を占めていて、微妙に視線のやり場に困ってしまう。

 どことなく人形めいた印象があるのは、身長が低いのと、暗い色の髪の毛をすっぱりと切りそろえたショートカットにしているからか。

 顔立ちは整っているが、表情は全くの無だ。とろんと眠そうな半眼になっている目からも、どんな感情も読み取ることができない。


「これはどうも」


 のそりと体を起こしてからジャケットを受け取る。

 ついでに内心で首を傾げる。目の前の女性に妙に見覚えがある。カジノの店員なのだから視界に入っていて当然ではあるが、それ以上に記憶に引っかかっている。

 ジャケットに改めて袖を通した辺りでようやく思い出した。


「あ、さっき演奏してた人か」


 カジノの奥に設けられた舞台ではピアノの演奏が行われていた。椅子の前に座って両手を鍵

 盤に走らせていたのが、多分目の前のプレイヤーだ。


「つまり……俺に何か用があるのかな?」

「どうしてそんな想像を?」

「わざわざ仕事中なのにジャケットを届けにくるなんて、君がものすごくいい人か、俺に用事があるかの二択だよ」

「残念ですが、違います」


 おや、と思うオクトーバーの視線の先で、バニーガールが目を細める。


「私はものすごくいい人で、かつあなたに用事があるんです」

「……なるほど。その選択肢もあったね」


 バニーガールが首を傾げ、それから一歩こちらに近づいてくる。

 他人に聞こえないよう声を潜めるつもりなのだろうが、せっかく起き上がったのにまた目線を置く位置に困ってしまう。


「あなたは恐らく、ギャンブルに慣れた方です」

「頷く前に根拠を聞いてもいい?」

「あなたは着席した際、上着やサングラスを外しました。これは通常のプレイヤーには見られない行動です」


 そういえば、と思い出す。確かに同席していたプレイヤーたちは平気で顔を隠したままだったり、ポケットの多い上着を着たままだったりした。

 そうした服装を避けるのは、カジノにおける一般的なマナーだ。

 むしろどうしてゲーム内のカジノにはそうしたマナーが存在しないのだろうか。疑問が浮かぶが、今は話の腰を折りたくないので覚えておくに留めた。


「つまりあなたは現実でギャンブルに参加したことがあり、そしてかなり慣れています」

「一応、何年かギャンブルで食べてたよ。それを『かなり慣れている』に含むかどうかは、君次第だけど」

「なるほど。あなたは私にとって理想的な人材のようです」


 うんうん、とバニーガールは頷く仕草をしてみせる。


「あなたには私の調査に協力していただきたいのです」

「調査?」


 バニーガールの表情はぴくりとも変化しなかったが、彼女の声音は酷く真剣で、そして切迫感に満ちていた。


「カラーアップ・パーティーの裏には陰謀があります。恐らくは現実での犯罪行為も含む、何らかの陰謀が」


 陰謀、とは穏やかならざる言葉だ。眉間にしわが寄るのを感じる。

 その表情を見て、バニーガールはすぐに言葉を続けた。


「もちろん、調査に協力する見返りもご用意します。見たところあなたは初心者です。景品を目的としてイベント参加を続ける意思があるのならば、資金が必要なのでは?」

「それを君が出してくれるっていうのかな」

「はい。私の財布の許す限りであれば、いくらでも」

「仮想世界で敬語を使う人は新参者って聞いたけど、君はそんなに資金があるの?」

「この口調はキャラ作りです。ジト目美少女には敬語であって欲しいと思いませんか?」


 そのこだわりはちょっとよくわからない。

 しかしどうやら目の前の彼女はこのゲームの熟練者であり、口約束であれ無制限の資金提供といったからには、軽率に調査や陰謀といった言葉を放ったわけではないのだろう。

 タイタンズ・ネイルを取ろうとするのならば種銭が必要なのは事実だ。それに遥も興味を示しているカラーアップ・パーティーに、何らかの陰謀が潜んでいるというのならばそう簡単に無視することもできない。

 だがバニーガールの言葉を鵜呑みにする材料も現状ではない。そのためにはまず陰謀とは何か、そしてその根拠を問いたださねばならず――

 そこまで考えてから、長く息を吐き出した。


「あー、明日の夜またログインするから、返事はそのときでいいかな?」

「その理由は何ですか?」

「俺は今日初めてアミュスフィアを被ったんだ。それでアカウントを作って、ここまで移動して、ギャンブルをして……さすがにもう疲れたよ」


 VR世界の体に疲労など溜まるはずはないが、どうにも先ほどから脳の奥底の方にずっしりとした重みを感じている。

 バニーガールは二度瞬きをして、それから頷いた。


「承知しました。ではフレンド登録のみ行ってしまいましょう。明日、お好きな時間にログインし、ゲーム内機能のメッセージを送ってください」

「多分、夜になるけど……具体的な時間は決めなくていいのか?」

「ご安心ください。通知は現実側でも受け取れますし、睡眠中を除けばどんな時間であっても私は対応可能です」


 頼もしいようなおっかないようなことをいわれながら、オクトーバーは不慣れな操作でフレンド登録を行う。これでメフメトに次いで二人目。初日で二人も友達ができたとは中々の成果だ、なんて間の抜けた感想を少し抱く。


「じゃあ、また明日だな。俺はオクトーバーだ」

「音楽妖精族のチョコバナナサンデーです。長い場合はバナナサンとお呼びください」


 

 現実に帰還した瞬間、何か小さくて軽いものがいくつも頭上に降ってきた。


「……あぎゃぁっ!?」


 別に痛みはなかったのだが、反射的に口から声が漏れる。慌てて起き上がり、目元を覆っていたアミュスフィアを引き剥がせば、ゴロゴロとたくさんのミカンが転がっていく。

 どうやらフルダイブ中の啓司の体の上に、誰かが大量のミカンを積み上げていたらしい。


「あははははっ、おじさん、サイコー! いいリアクション!」


 机で宿題をしていたらしい下手人が、こちらを振り返ってキャッキャと笑っている。


「…………」


 叱ったりやり返したりすることを少し考えてから、断念する。現実世界に戻った影響で酩酊感があって、そんなことをする気力すら湧いてこない。

 結局、啓司はむっつりとした表情でミカンを拾い上げ、その一つを剥き始める。


「疲れた脳のためにミカンを用意してくれていて嬉しいよ」

「でしょー? あ、おじさん、優しい僕にもミカンちょうだい! 剥いたやつね!」


 啓司は大げさにため息をついて、少しだけ強めに剥き終えたミカンを投げてやった。