ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー

二 オクトーバー・レイン ①

 巴啓司にあるいくつかの悪癖のうちの一つが、コインロールだ。

 昔から手元が暇になると、ついコインやペンをくるくると転がしたり回したりしてしまう。カジノで活動する際には不要な疑いを招きかねないので何度となく矯正しようとはしたが、結局最後まで治ることはなかった。

 だからその時も、啓司はタブレット用のタッチペンを器用に回していた。

 たこ焼き屋オクトーバーの閉店後、精算処理中のことである。扉の開く音で啓司は顔を上げたが、それでも手の中ではペンが踊り続けている。

 リビングに入ってきたのは遥だった。風呂上がりなのか濡れた髪は下ろされ、丈の短い寝間着から伸びる素足がペタペタと音を立てている。彼女は三人掛けのソファに座っていた啓司を見て、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「おじさん、邪魔。ちょっとどいて」


 啓司がソファの端によけると、彼女はそのままソファに横になった。いくら遥が小柄でも二人分の座面では足りず、余った両足が無造作に啓司の太ももの上に乗せられる。重くはないが、遥の体温が高いせいで少し熱い。

 てっきりテレビでも見にきたのかと思ったが、遥は何をするでもなくぼんやりと天井を見つめ始める。その顔を見ているうちに、啓司はふと以前からの質問をしたくなった。


「そういえば、君って昔は俺のこと『お兄ちゃん』って呼んでなかった?」

「うぎゃっ!?」


 遥は奇声を上げてから、こちらをジトリと睨みつけてくる。


「いつの話してんの!『お兄ちゃん』って呼んで欲しいとか気持ち悪いんだけど!」

「別にそんなことはいってないよ。単に気になってて、そのうち聞こうと思ってたから」

「理由なんておじさんがおじさん臭く老け込んだからに決まってるじゃん!」

「老けたかなぁ……まだ若いと思うんだけど……」


 なんとなく顎の周りを撫でると、遥は大げさな素振りでため息を零した。


「前はギラギラしててかっこよかったのになぁ……」


 そんな時期あったっけと思うが、この調子では聞いてもまともな答えはないだろう。

 作業に戻ろうとすると今度は遥の方から質問が飛んでくる。


「それでいうと……おじさんってなんでギャンブラー辞めたの?」

「今更?」


 啓司が日本に帰ってきたのは一年以上も前のことだ。

 当時は結構バタバタしていたのもあるが、ギャンブラーを辞めた経緯について質問されるのはこれが初めてのことだった。


「んー、てっきり大失敗して逃げ帰ってきたのかと思ったけど、そういう感じじゃないなって。昨日とかアミュスフィア、平気で買ってたじゃん。安い買い物じゃないのに。うち、そんなに高い給料出してないでしょ?」

「俺のお給料についてはノーコメントで」


 海外から突然帰ってきたまともな職歴もない男を店員としてきちんと雇ってくれる優しい知り合いがいたことは、啓司の人生の中でも特に大きな幸運の一つだ。


「つまりおじさんはちゃんと貯金があって、だから無一文になって泣いて帰ってきたわけじゃないじゃん。じゃあ、なんで辞めたの?」


 よどみなくタブレット上を動いていた啓司の手が止まった。

 少しのためらいの後に、どうにか息を吐き出す。


「そうだなぁ……ちゃんと話すと長くなるんだけど……」

「え? 長いの? じゃあいいや」

「おい……」

「おじさんの長い自分語りに興味ないし……。それに僕は忙しいの!」


 ソファにぐだりと寝そべって、天井を見上げている遥を眺める。寝間着の上がめくれあがっていて、腹を冷やしてしまいそうだ。


「なるほど、確かに忙しそうだね」

「あ、僕のこと馬鹿にしてるでしょ! これは立派な抗議活動なんだけど!」


 遥が口にする「抗議活動」は「コーギカツドー」というぎこちない発音で、理解するのに少しの時間が必要だった。

 そして単語を理解した後でも、それの意味するところはわからないままだった。


「抗議? 何に対して?」

「『ゲームは一日一時間』とかいう我が家の非道な決まりに対して!」


 そんな決まりがあったのか。

 しかし納得感もある。もし遥が一日中ゲームをできるのなら、啓司がALOを始めた際に案内くらいはしていただろう。

 いや、そもそも啓司に頼みなんてせず、自分でイベント参加をしていただろうか。

 一日一時間という制限をカジノで消費したくないがために啓司をわざわざALOへと参加させたのだと、今更ながら理解する。


「横暴だと思わない!? なんで一時間ぽっちなの!」

「色々あるんじゃないか。学生なんだし勉強とか、そういうやつ」


 そう答えると、すぐに啓司のポケットで端末が震えた。遥から何か画像が送られてきていたらしい。開いてみればそれはこの前の定期テストの結果のようだ。

 九教科分の点数をざっと眺める。


「平均おおよそ九十五点。めっちゃ優秀だね」

「でしょー!? 僕だってやるべきことをやりもせずに文句いってるわけじゃないの! 勉強もやってる! 家の手伝いもしてる! その上で時間が余ってるのなら、別にどれだけゲームをしたっていいと思わない!?」

「まぁ、確かに。一理はあるね」

「ならおじさんからもお父さんたちにいってよ!」

「俺は家族じゃないからなぁ。ご家庭の事情に口は出しづらいよ」

「都合の悪い時は家族じゃないっていうの、やめろー!」


 遥がドタバタと暴れるものだから、啓司は作業の手を止めて軽くのけぞった。彼の鼻先を、振り回された遥の足が掠める。


「結局、お父さんもお母さんもゲームが嫌いなだけなんだ! 僕にゲームをやらせたくないから、遠回しに邪魔してるんだ!」

「でも全面的に禁止されてるわけじゃないでしょ?」

「お父さんたちはいい人だから、明確な理由もなく全面的に禁止なんてことを子供に強制したりしないよ。けどやんわりと邪魔はするもん!」

「それで、そうして寝転がってるわけか」

「やること全部やって、それでも暇を持て余してる姿を見たら、お父さんたちも心改めるかもしれないじゃん?」


 つまりこれはある種のアピールであるらしい。

 表情に出せば遥が拗ねるのが目に見えるので、啓司は内心でだけ苦笑する。なんとも幼い抗議である。そんなことをしても宗佑たちが翻意するとは思えないし、何か別の遊びをした方が有意義だとも思ってしまうが、これはゲーム好きでない側の身勝手な意見だろう。

 全身から退屈オーラを放ちながらまた遥が黙り込む。

 念のためにその表情を窺うが、深刻な怒りを抱えているようではなくてほっとする。不満を抱えてはいるが、両親の気持ちも理解はしているのだろう。頭では理解しつつ、ゲームをしたい気持ちを抑えられないから、こうして不満を表明しているだけのようだ。

 そこまで確認してから、啓司は努めて明るい口調でいった。


「そういえば俺、最近はお菓子作りに凝っててさ」

「あー、みたいだね。仕事でもたこ焼き作ってるのに、よくやるよねー」

「冷蔵庫に家で作ったプリンが入ってるよ」

「え、ほんとに!? 固めのやつ!? 固めのやつだよね!?」


 ガバリと勢いよく遥が身を起こす。

 彼女は冷蔵庫の方を見て、二秒後に啓司の浮かべる意地の悪い笑みに気づいた。


「だから! 僕は時間を持て余してるってお父さんたちにアピールしたいの! プリンをおいしく食べてたら台無しじゃん!」

「じゃあプリンは諦める?」

「食べる!」


 プリプリと怒りながら遥は冷蔵庫に向かい、出勤した時に入れておいたプリンを取った。行儀悪く立ったまま食べながら、彼女はこちらを見て口を尖らせる。


「というかおじさん、のんびりしてて大丈夫なの? タイタンズ・ネイル、取れそう?」

「うーん……」