ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー

二 オクトーバー・レイン ④

「現実ではなくゲームだっていうのはわかってるんだけどな。それでも価値観がなじんでいない。これはギャンブルをする上では重大な問題だ」

「そうなのですか?」

「そりゃそうだよ。自分がテーブルにどれくらいのものを乗せて、どれくらいのものを得ようとしているのか。その辺がわからないんだから……お、始まりそうかな?」


 闘技場に通じる二つの門が開く。そこから現れたのは二体のモンスターだ。

 響き渡る威勢のいいアナウンスによれば、巨大なネズミのようなモンスターがロケット・ゴーファー。頭部に蛇腹状の角を備えた甲虫がフレイル・ウィーヴィルらしい。


「ウィーヴィルは……ゾウムシだっけ。本物の象みたいに振り回せる鼻を持ったゾウムシは初めて見たなぁ」


 ぼんやりと呟くオクトーバーの視線の先で、試合が始まる。

 文字通りにロケットのような加速を見せたネズミが突撃し、それをゾウムシが甲殻に覆われた鼻でもって迎撃した。

 硬質な衝突音がフロアへと響き渡り、オクトーバーは首を縮める。


「うひゃー。おっかない。フィールドに出たらあれと戦うってマジ?」


 とても隣で無表情を保つバナナサンのようにはいられない。

 昨日も一応フィールドでモンスターは見たが、それらはメフメトが一蹴してくれていた。実際に白熱した戦いを見るのはこれが初めてで、そしてその迫力は想像以上だった。

 激突によって震える空気。血のように撒き散らされるダメージエフェクト。まるで本物のような敵意をみなぎらせるモンスター。正直、目の前に現れられたら足がすくんで何もできなくなってしまいそうだ。


「やっぱりALOには知らないことばっかりだ」


 そういいながら、オクトーバーの視線は戦いそのものよりも、むしろその周囲にいる人々へと向いていた。ほぼ満席の人混みの全てがプレイヤーではないが、装備などからプレイヤーとNPCは大まかに区別がつく。

 試合を見守るプレイヤーたちの表情をじっと観察する。そこから何か読み取ろうとするが、しかしやはりチリチリとしたかすかな違和感が浮かぶ。

 隣で飲み物を口に運んでいたバナナサンが小さく嘆息する。


「ALOを知りたいというのでしたら、私としてはアインクラッド以外の場所をおすすめしたいところです」

「あー、それは俺も考えたんだけどね。俺、この階層から出られないんだよ」


 バナナサンが分度器で測ったような角度で首を傾げる。


「出られない? それは一体どういう理由ですか」

「人に案内してウォルプータまで連れてきてもらったんだけど、よく考えたら俺、この層のモンスターに絶対勝てないもの」


 モンスターの鳴き声がフロアに響き渡って、思わず飲み物を取り落としそうになる。


「フィールドで死ぬとホームタウンに帰されるんだっけ? でもそうしたら今度はここに戻ってこられない。うん。俺はイベントが終わるまではここから出られないね」

「そういえばオクトーバーさんは初心者でしたか。ALOの観光がしたい場合はお申し付けください。私が護衛と案内をしましょう」

「本当ならありがたいけど……そこまでいうなんてアインクラッドが嫌いなの?」

「いえ、この城の素晴らしさは知っています。しかしここは元々ALO内には存在せず、後に別ゲームから移された場所ですから。ALOそのものと表現するのは、個人的には少し違和感があります」

「へぇ……あぁ、アインクラッドだと羽が使えないのってそういうこと?」

「はい。ここは空を飛ぶのを前提にデザインされた場所ではないので。……というか、ご存じなかったのですか。アインクラッドは元々SAOに実装されていたフィールドです」


 ソードアート・オンライン。

 その名前を聞いてオクトーバーは小さく目を見開いた。


「……へぇ」

「SAOの名前自体はご存じでしょうか?」

「それは、もちろん。けど例の事件については知ってるけど、ゲームの内容については全然調べなかったからなぁ」

「色々あってALOに移されたのです。ソードスキルなどの一部のシステムもその際に発生しました。カジノもこの第七層のために実装されたシステムといわれています」

「カジノも?」

「アインクラッドをそのまま移植するというのは一大イベントでした。そしてそれを厳密に実現するには、ALOに元々存在しなかった店舗種別も必要になったのでしょう」


 そう説明をしてから、バナナサンは少し低い声で続ける。


「アインクラッドの素晴らしさは一切否定しませんが、それとALO本来の素晴らしさはまたわけて考えるべきでしょう」

「あぁ、知ってる。そういうの『面倒くさいオタク』っていうんだろ」

「……めっ!? そっ……!」


 遥から聞いた表現を投げかけると、バナナサンは無表情のまま愕然とするという器用なことをやってのけた。


「カラーアップ・パーティーの開催期間ってどれくらいだっけ。あまり急ぎすぎずに、仮想世界の理解を深めながらの方がいいかもなぁ」

「……開催期間は全体で三週間です。今日でちょうど一週間が過ぎました」

「後二週間か。二週間フルに使う気はしないけど、焦るほどでもないかな」

「……なるほど。仮想世界なりのよさというものを知るのもよいでしょう」


 素早さで翻弄するネズミと、頑丈さで対抗するゾウムシ。白熱していく戦いを眺めていたオクトーバーに、隣から包みが差し出される。


「これは?」

「私の一番鍛えてあるスキルは《料理》です」


 包みを受け取りながら、店内に持ち込みはどうだろうかと疑問に思う。店員NPCが動く様子はないので、ゲーム的に問題ないのだろう。


「へぇー、《料理》ねぇ。ALOでもものは食べられるって聞いてたけど……」


 ゲーム内であえて料理を極める意味ってなんだろうか。

 さすがに口に出しはしなかったが、バナナサンはちらりとこちらの顔を見ていった。


「目的は人によって様々ですが、私があえて《料理》を伸ばしている理由は、それを食べればわかります」

「じゃあ、いただきます」


 包みを開くと中から出てきたのは数枚のクッキーだった。正確には二枚で具材を挟むことでできたクッキーサンドで、間に挟まっているのはバタークリームだろうか。一口サイズのそれをオクトーバーは無造作に口に運んで、


「もげぁぁあああっ!?」


 直後、口の中が爆発した。

 もちろん、比喩的な表現である。実際には何のエフェクトもダメージも発生していない。瞬間的に発生した感覚の奔流が、まるで爆発のように感じられたのだ。

 味としては、きっと甘みだった。他の一切の味が混じっていない、ほとんど純粋な甘みだ。さらにいえばものすごく甘いわけでもない。ただあまりにも膨大な種類の甘みが同時に流れ込んできて、処理の追いつかない脳がまるで軋みを上げるようだった。


「なっ、これ、なん……!?」

「仮想世界内でも私たちは食事を取れます。しかしそれは舌で感覚しているわけではなく、擬似的な感覚刺激を脳に与えているわけです。現実における味覚は感覚器や神経系の制限を受けますが、脳に直接刺激を受ける仮想世界は……ふふっ、その限りではなく……ふふふっ」


 真面目に解説をしていたバナナサンの肩が徐々に震え始める。

 彼女は最初、努めて真面目な顔を保とうとしていたが、やがてこらえきれないように口元を押さえて顔を伏せた。


「ふふっ、あははっ! だからそんな風に異常に多様な甘みを同時に与えることもできるわ。現実じゃ起きえない量の刺激だから、脳がびっくりするでしょ!」

「……おい、キャラ作り崩れてるぞ」

「いや、でも、だって!『もげあ』って……『もげあ』って……あはははは!」