ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー

二 オクトーバー・レイン ⑤

 彼女はしばらく、普通の女性のように笑っていた。というか、無表情はアバターの顔に合わせたキャラ作りなので、こちらが素なのだろう。


「絶対、さっきの『面倒くさいオタク』発言への反撃だろ……」


 少しずつ脳が落ち着いてくる。

 まずかったり、不快だったりしたわけではないのだ。冷静さを取り戻せば、あくまでも膨大な種類の甘みというだけである。二つ目に軽々しく手を出そうという気にはなれないが。


「……こほん。これはいずれ仮想世界特有の文化となるでしょう。現実では知覚できない種類のおいしさ。ザ・シードが生んだ豊潤なVR文化の副産物です。ワクワクしませんか?」


 キャラを戻そうとしているが、バナナサンの顔にはまだ笑みが残ったままだ。無表情でいる時よりもずっと幼い印象のその顔を眺めて、不意にオクトーバーは理解した。

 まじまじとバナナサンを見つめ、それから問いかける。


「ねぇ、それって笑ってる顔だよね?」

「え? あ、はい。すみません、笑いすぎました。失礼しました」

「いや、それはいいんだけど……ちょっと嘘か本当かわからないこといってくれる?」

「……? はい」


 バナナサンは少しいぶかしげに頷いて、しかし質問をしてくることはなかった。


「私のキャラクターネームは一番好きな食べ物からつけました。好きな食べ物の名前で呼ばれると嬉しいので」


 その顔をじっと眺めて、それで結論を出す。

 最初の日にカラーアップ・パーティーでギャンブルをした時。闘技場の客たちを眺めた時。そうした時に覚えていた違和感がようやくきちんと言葉になる。


「……俺、この世界だと感情が読み取れないみたいだ」


 見下ろす先、闘技場でネズミがゾウムシを粉砕した。

 感情を読み取れない人々が、感情の読めない歓声を上げた。

 

 翌日、たこ焼き屋オクトーバーの片隅のテーブル席で、啓司はため息を零していた。

 勤務の休憩時間であるために、服装は制服からエプロンを外しただけ。視線は手元の端末へと注がれているが、流れている動画の内容はほとんど頭に入ってこない。考えているのは昨日判明した事実だ。

 啓司は誰かと対話するとき、その表情自体をあまり重視しない。

 彼が人と接する時に見ているのは、相手がどう表情を制御しているかである。自身を制御する際に無意識の挙動、不随意な筋肉の動き。そうしたものは浮かんでいる表情よりもよほど雄弁に相手の内心を語るので、必然的に表情以外で他者を理解しようとする癖がついた。

 対してログアウト後に調べたところ、VRMMO内では感情表現システムというものが存在しているらしい。

 仮想世界ではアミュスフィアが脳内を読み取って、そこに存在する感情をシステム的な表現として描画する。つまりそこには不随意な筋肉の動きが介在しない。必然的に啓司はその感情を読み取れない。


「普通に表情を見ろって話なんだろうけど……じゃあその表情が嘘か本当かを、ゲーマーの人たちはどうやって判断してるんだ……?」


 これからきちんと時間をかけて仮想世界に慣れていけば、やがては現実と同じように感情や嘘を見抜けるようになっていくのだろうか。しかしそれまでにかかる期間は一年か、あるいは二年か、それ以上か。

 どちらにせよ、カラーアップ・パーティーの開催期間には間に合わない。


「こら! 啓司くん、お行儀悪いからくるくるするのやめなさい!」


 無意識のうちに竹串を手の中で回していたらしい。

 店の手伝いに入っていた小花さんに叱られてしまう。小柄でチャキチャキとした動きが特徴の小花さんはいかにも下町の女性といった風だ。遥の母親である彼女は、啓司も幼少の頃からお世話になっている相手であるため頭が上がらない。

 啓司は慌てて串を下ろし、背筋を伸ばした。

 ついでに右手を見下ろす。

 仮想世界でだけコインロールがうまくいかない理由も、考えてみれば簡単なことだった。アミュスフィアは脳波を読み取って、身体の動きをVR空間で再現する。

 しかし仮想世界のアバターは、現実の肉体そのままではない。

 動きはそのままでも、現実との対比が違うのだ。例えば啓司のアバターであるオクトーバーは、現実の啓司よりも一回り大きく、手の形もゴツゴツとしている。現実そのままのイメージで手足を動かせば、その再現がどれほど正確であったところで、コインは取り落としてしまうに決まっている。

 つまり仮想世界では小手先のテクニックも封じられたに等しい。


「どうしたもんかなぁ……」

「あーっ、おじさん、いっけないんだ!」


 物覚えに沈みかけていた啓司に、すっとんきょうな声がかかる。


「一人なのにテーブル席使ってる! お店に迷惑だし、店員さんに怒られるよ!」


 店に入ってきたのは遥と、もう二人の女子生徒だった。名前は知らないけれど見覚えはあるので、遥の友達だろう。


「俺がその店員だし、今は空いてるから問題ないよ」

「言い訳だー。あ、おじさん、ちょっと詰めて! これから勉強するの!」


 三人がどやどやと啓司のテーブル席に座ってきて、一気に騒がしくなる。三人がそれぞれに鞄から勉強道具を取り出すものだから、啓司は慌ててたこ焼きの皿を避けた。


「悪いっすね、店員さん! あ、でもテーブル空けるためにたこ焼きを空にするんなら協力するっすよ!」


 と、これは友達二人のうち、ピアスが派手な方の子。見るからに食欲に駆られたその視線に、ため息を零してから厨房へと声をかけた。


「小花さん! たこ焼き、三皿お願いします!」


 ここからは姿が見えないが、小気味いい返事はすぐに返ってきた。


「はいよ!」

「お、いいんすか! ますます悪いっすね、催促したみたいで!」

「気にしないで。放課後に集まって勉強する感心な中学生には、誰かにご飯を奢ってもらう権利があるんだよ」

「あら、やだ。おじ様、遥ちゃんと違って、私たちは高校生ですよぉ?」


 くすくすと笑ったのは黒髪の方の子。


「あれ、そうだっけ?」

「ええ、三年生なので受験勉強の最後の追い込みです」

「じゃあますます感心だ。飲み物もつけとく?」

「ちょっと、おじさん! 僕の友達に色目つかわないでよね!」


 隣に座っていた遥の肘が、ベシと啓司の脇腹に当たる。


「色目って……子供がそんな表現使うなよ」

「子供っていうな! ていうか、おじさんが動画見てるなんて珍しいね。何見てたの?」


 遥がのぞき込んでこようとするので、啓司は画面を傾けてやった。


「ALOを少し真面目にやろうかと思って『ALO 最強』で検索して出てきた動画」

「やめろぉ!!」


 思った数倍激しい反応が返ってきてちょっと驚く。


「な、なんだよ……」

「そんな検索でまともな動画出てくるわけないじゃん! やめてよ、知り合いがその手の怪しげな動画に引っかかってるのすごい嫌なんだけど!」

「いや、でもこれの通りにビルド組めば最強になれるって……」

「ALOの戦闘形式で決まった最強ビルドがあるわけないでしょ! 仮想世界の運動能力だって人によって違うのに! ちょっと貸して! マシな動画探したげるから!」

「何の話かと思ったらゲームっすか。店員さんも始めたんすか」

「それはよかったねぇ、遥ちゃん。私たちが受験で中々遊べないから、ゲームの話ができなくて寂しそうだったものねぇ」

「は!? 別に寂しくなんてしてないし!」

「つーか、アンタはそういいつつ、ゲームなんて一切やらなかっただろ」

「私、全然そういうのに興味ないのよねぇ」


 まだ自分は若者のつもりではいるが、こういう時に自然と口数が減ってしまう時には、少し歳を実感してしまう。学生と同じテンションでの会話が中々できなくなってきている。