ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー
二 オクトーバー・レイン ⑨
「ふふふ、そうかい。それは素晴らしい教えだ」
つかんできた時と同じ唐突さで、オクトーバーの手が解放された。
ファザー・グースは不気味なくらいに快活な笑みを浮かべ、席を立つ。彼は一つ伸びをすると、満足したように頷いた。
「まぁ、いいか。よしとしておくよ」
「意外だな。俺の誠意のこもった言葉を信じてくれる気になったのかな?」
「それもあるし、こういうイベントを開催しているんだ。あなたたちみたいなのが現れることは織り込み済みだよ。その辺りのリスクを判断するのは僕じゃない。後、そろそろ出勤しようと思っていた時間だしね」
「そうか。今日は俺はギャンブルはしないけど、頑張ってくれよ」
「あぁ、後ついでに。イカサマ防止システムの目がなくても、僕の前でイカサマをするのはおすすめしないかな」
ついでのような仕草で、彼はオクトーバーの手元のトランプを一枚めくった。
「自分ができるくらいのイカサマなら、僕は見抜けるからね」
じゃあね、と手を振って彼はフロアへと出て行った。
その背中を無言で見送ってから、オクトーバーはテーブルへと視線を落とした。ファザー・グースがめくっていった一枚はスペードのAである。
「…………」
予感がして、山札をもう一枚めくる。
クラブのA。
そこからさらにダイヤのA、ハートのAと続いた。さすがにそこから先はバラバラだったが、その並びが単なる偶然ではなく、意図して引き起こされたものであることは明確だ。
ずるずると椅子の上で姿勢を崩して、天井を仰ぐ。
「……おっかねぇー」
『つまりファザー・グースさんは優れた技量を持ったギャンブラーということですか?』
翌日の朝、啓司は現実世界でバナナサンとテキストメッセージで連絡をしていた。
アミュスフィアを介して、ALOの内部メッセージを端末へと送っているのだ。開店準備を終え、実際に店が開くまでの少しの時間。その機能を利用して、昨日店で別れた後に何が起きたのかを報告していたのである。
『あと、君が何かを探っていることもバレていたみたいだ』
『それも心配ですが、私の目的については今のところ具体的な証拠があるわけでもないかと。私もそういった証拠は残していません』
まぁそれに、と文字には打たずに啓司は思う。
別にバレたところで特に問題はないだろう。仮想世界では報復に暴力を用いることはできない。ホワイト・コースト・カジノを解雇され、その目的が明らかにできなくなるくらいか。極端に悪いことは起こるまい……と思うがそれをいわないだけの礼儀正しさはあった。
『むしろ問題は、ファザー・グースさんのその能力です。ALOの仕様に精通し、カードを自在に操る技術を持ち、嘘を見抜く目がある。彼もまたオクトーバーさんのように現実で修練を積んできたギャンブラーということなのでしょうか』
啓司は思わず腕組みをした。
店の壁に寄りかかりながら、少しだけ打つべき文面を考える。
『勘だけど、多分違うと思うぞ』
『その根拠はなんでしょうか』
『現実で技術を積めば、仮想世界ではかえって足を引っ張ることもある。俺がそうであるように、だ。そもそも知り合いに頼まれて参加している俺が例外的なのであって、現実で一線級に活躍しているギャンブラーがわざわざALOのイベントにくる意味が見当たらない』
昨日見た夜が形作ったような人影を思い出す。
『印象として、あいつはもっと若いやつだ』
『若い、ですか』
『多分、あいつは現実でギャンブルなんてやったことがない。もっと若くて、そしてもっと早い段階からVR技術に触れてきた。そういう世代のはず』
VRMMOが確立されて以来、様々なジャンルのゲームが作り出されてきたのだと聞いている。必然的に、その中にはギャンブルをモチーフとしたゲームもあったはずだ。
仮想世界の中でギャンブルを始め、仮想世界の中でその技術を磨いてきた。
同じギャンブラーだとしても啓司とは明確に世代が違う。あの闇妖精はそういった仮想世界生え抜きのギャンブラーに違いない。
『それは、困ったことになりませんか?』
『少なくとも技術だけで考えれば、俺があいつに勝てる要素はないな。今から俺が仮想世界に合わせて技術を磨き直しても、あいつの方が何歩も先をいっている』
『私の目的への協力、というだけではなく質問させていただきます。大丈夫ですか? それはとてつもない困難が立ちはだかっているという意味と同義では?』
啓司はガリガリと頭を掻いた。
「それなー……」
どう答えたものか指をさまよわせていると、生活空間へとつながっている扉が開く。顔を出したのは遥の母親である小花さんだ。
まだ開店時間ではないので問題ないが、端末をいじっている姿を見られるのはちょっと気まずい。啓司は慌てて短い文章を送る。
『次会った時に話すよ』
それから端末をポケットに突っ込んだ。
てっきり店の冷蔵庫でも覗きにきたのかと思っていたが、小花さんは啓司の方へとまっすぐに歩いてきた。
「啓司くん、少しいいかな?」
「はい、なんですか? あ、急な仕入れですか? ならひとっ走り行ってきますけど」
「いえ、そうじゃないの」
小花さんは強いていつも通りの表情を作ろうとしているのだが、その裏にある影を自然と啓司は見抜いていた。
少しだけ姿勢を正して言葉を待つ。小花さんは何度か言葉に迷ってから、結局率直なものを選んだようだ。
「啓司くん、今、遥に頼まれてゲームをやっているのよね」
「そうですね」
「遥の欲しがっている……アイテム? を取りに行っているとか」
「大体そんな感じです」
小花さんはまっすぐに啓司の目を見つめてきた。
「それ、わざと失敗することはできないかしら」
その言葉に驚かなかったのは、もしかしたらそういう話なのかもしれないと事前に予想していたからだろう。
啓司は肯定も否定も顔に出さないようにしながら、穏やかに口を開く。
「どうして小花さんはそんなことを俺に頼むんですか?」
「あの子に……ゲームを辞めて欲しいからよ。辞めるまでいかなくとも、できるだけ遠ざかって欲しいの」
「遥の欲しがるアイテムを取らなければ、遠ざかりますかね」
「少なくとも、あの子がゲームをやる動機が少し薄れるかもしれないわ。もしかしたら悲しい気持ちになって、ゲームを辞めるきっかけになるかもしれない」
「遥は頑張ってますよ。生活態度にも成績にも何の影響も出ていない。空いた時間で好きな遊びをするくらいは、許してあげてもいいんじゃないですか」
「――そうじゃないの!」
甲高い声が響いて、それに怯えたのはむしろ小花さん自身の方だった。
彼女は口元に手をやり、大きく息を吸った。細く骨張った肩が大きく上下するのが見える。できる限り冷静にいようとするその有様が、啓司にはむしろ痛ましく見える。
「そうじゃないの……だって……」
隠しきれない震えが、声には滲んでいた。
「だって……遥はSAOに囚われていたのよ……?」
現代を生きる人で、ソードアート・オンラインという名を知らない人はきっといない。
数年前、茅場晶彦という一人の天才が、自ら開発したゲームに一万人ものプレイヤーを閉じ込めた。キャラクターの死が現実の死とつながるそのデスゲームは数千もの死者を出し、ようやく解決したのがほんの一年と少し前。
そして遥もまたSAOに囚われ、生還した人々のうちの一人だ。
「……そうですね」
啓司にできた返事は、ただ頷くことだけだった。



