特務機関〈八重山吹〉──通称ヤエブキ機関の八重の術師の一日は、昼すぎに始まる。
別に怠惰なわけではない。なにせ千万丈塔での踏破儀式もそれに伴う破竜儀式も、毎日必ず真夜中に行われるのである。正確には深夜零時から二時までの〝虚ノ刻〟に。
そのあと帝都の儀式場から皇京の本部へと帰投して、禊をして報告会をして時には治療をしたりお小言をくらったりして、それからようやく帰宅できるのだから当然、寝るのは明け方で起きるのが昼すぎになる。ちなみに虚ノ刻の前にも作戦要旨説明だの禊だの、前日の儀式の報告書作成だの小言の続きだのがあるので、昼から夜にかけても決して暇ではない。
よって、昼すぎにはきっちり起きて一時間後には身支度を整えて朝食まで終えている天茜は八重の術師の中では真面目な部類だ。
「ごちそうさま」
二人で暮らすにはでかい邸第の、自室で懸盤に椀と箸を置く。一礼して膳を下げる近侍の娘に、いつものごとく天茜は問う。
半眼で。
「今日は、碧燈は」
柔らかに苦笑しながら、近侍の夏雪は応じる。
「今日も、でございます」
やっぱりか。
嘆息して天茜は立ちあがる。
朝餉をとっていた西の続き間から、巻きあげた水晶御簾をくぐって主室の寝所へ。帳台その他の調度が置かれてなお空いた空間の方が多い、無駄に広い檜の板の間をすたすた過ぎて。
すぱーん! と大変いい音を立てて間仕切りの明障子を引き開けた。
果たしてその向こう、母屋東側の碧燈の寝所では。
「……んが、」
今日も帳台の中、碧燈が掛け布団にくるまって幸せそうに高いびきをかいていた。
繰り返すが、昼である。八重の術師にとっては起床時刻だ。
で、踏破儀式は真夜中だがその前だって別に暇ではない──つまり今日これからも、御所の機関本部に出仕して報告書作成やらなにやらに取りかからねばならないというのに。
こいつときたら。
天茜は目つきを悪くする。
目覚まし機能で点灯した陽光再現灯でばっちり明るい、帳台の中へとつかつか歩み入り。
「起きろ」
毎昼恒例の容赦のなさで、無造作に相方を蹴り飛ばした。
寝坊は毎日なので今日も厨女が用意していた、炒り卵と鶏そぼろと合成明太子と、刻んだ香の物とほどよく冷ました味噌汁を全部、行儀悪くも白飯にぶっかけてかきこんで。
屋形車を最大限急がせて御所に至ってもまだ、碧燈の機嫌は悪い。
「毎朝思うんだけどさぁ天茜。お前もうちょっと、優しい起こし方してくれてもいいんじゃねえの。蹴飛ばすとか、儀式中じゃないから痛覚遮断してねえんだぞ俺」
御所では高官だろうと徒歩移動が原則だ。石敷きの置路を並んで歩きながら碧燈はぶうぶう不平を口にする。八重の山吹を象った髪留め。単衣と衵に闕腋袍を重ねた武官直衣。
「いつまでたっても寝坊のくせが抜けないお前が悪い。それに、優しく起こしてやったところでどうせお前は起きない」
そしてこれまた今日も今日とて、天茜は無慈悲に切って捨てる。
八重山吹の花鈿と武官直衣は碧燈と揃いで、けれど全く印象が異なるのは、二人は双子でも二卵性で、性格もまるで正反対だからだ。快活でやんちゃな碧燈と、沈着で物静かな天茜と。
「なんでそう言いきれんの」
「とっくに試したからだ。声をおかけしても揺さぶってもどうしても起きてくださらないのです、と松鷺が泣きついてきたからそれからは俺が起こすことにしたんだ」
碧燈づきの近侍の娘である。あちゃー、と碧燈は天を仰ぐ。
「そりゃ悪いことしたな。松鷺ってば泣き虫だから、その時ほんとに泣いてたんだろうし」
「俺に対しても、毎朝手間をかけさせて悪いと思え」
「やだよ。毎朝まいあさ蹴飛ばしやがって」
む、と不本意ながら息のあったタイミングで睨みあう。なにしろ毎日、似たような口喧嘩を繰り広げながら出仕しているものだからすっかり見慣れてしまった清掃係の人型使役が、ああ今日もじゃれあっていらっしゃる、とほのぼのした顔で見送った。
昼を過ぎた今時分は、多忙な御所も少しのんびりしている時間だ。そのはずが初夏咲の桜を眺める官人も激務の息抜きの公卿も見当たらなくて、碧燈は怪訝に見回す。
「……てか。なんか今日、みんなぴりぴりしてねえ?」
天茜はちょっと瞑目した。そうじゃないかと思っていたが。
「通達は来てたのに、寝坊したから確認してないんだろ」
「なんかあったの?」
「調べろ。とっくに広報院からも公式発表が配信されてる」
自分のこめかみのあたりを軽く叩いて、電子情報界接続を促す。御所では専用の防壁強化情報界が構築されていて、他の情報界との接続は強制遮断される。とはいえ無論、御所に本部を置く広報院のサイトも碧燈自身の官用個人アドレスへのメッセージも確認は可能だ。
だというのに碧燈はぬけぬけと言う。
「俺、配信登録してねえ。検索めんどくさいから説明して」
まったく、と天茜はため息をつく。
説明したくない──口に出して再確認したくもないし、寝起きにそんな通達なんか見たくもなかったと思うような内容だったから、自分で調べろと言ったのに。
「今日未明、戦狼帝国が七堕討滅に失敗して陥落。国土の消滅を〈超大型冬眠庫〉が確認した。その上で、セプテンコリスを喰った七堕が次に出現すると予知されたのが、この国だ」
戦狼大陸をまるごと領する帝国、セプテンコリス・サケル。
が、一晩で滅亡した。
一国まるごと、七堕に喰われて大陸もろとも消滅した。
さすがの碧燈も言葉を失う。
「………………えっと。天茜、冗談の日は二月も前だからな?」
「〈冬眠庫〉の観測教授を疑う気か?」
「そりゃあ、今代の冷蔵庫の観測教授は、観測も予知も外したことないけどさ……」
嫌そうに嘆息しつつ、結った髪もかまわずにがりがり頭を搔く。
雑に挿した花鈿が抜けそうになって、無言でまた雑に挿した。
「セプテンの踏破機関が厳しい状況だってのは、前の仮想現実交流会で本人たちに聞いたけど。俺たちの着任から数えても二国目だろ。そんなにどこも七堕の討滅が難しくなってんのか」
極東の島国、ここ〝八千穂国〟を含め。
全ての国家は、現在、そして九百年も前から共通の危機に立ち向かっている。
すなわち世界の滅び。またその断片である敵性霊異存在〝七堕〟。
九百年前、最初の七堕の出現と同時に海洋は各国沿岸を除いて消滅。陸上でも国境線に沿って空間の断絶を現す〝壁〟が出現し、消滅した海から、断絶の壁の向こうから、夜ごと七堕が攻めこむようになった。迎撃に失敗した国はやはり国土ごと消滅し、生き残ったわずかな国々は日夜七堕を迎撃・討滅しつつ、世界の滅亡を回避する霊術儀式を執り行っている。
それが毎夜の踏破儀式だ。八千穂国ではヤエブキ機関が、他国でも同等の踏破機関が──例えば南極大陸の〈超大型冬眠庫〉などが──専門に執り行う大霊術である。
「世界最高峰の研究者集団を冷蔵庫呼ばわりするな。……セプテンコリスも他の国も、もう九百年も戦闘が続いているんだ。どこも国力、特に術師戦力の消耗が激しい。この国だってしばらく前までは、八重の術師まで国境防衛に割いている有様だったろ」
七堕に対抗できるのは生まれながらに霊能を持つ〝二華〟、その中でも国家機関に所属して研鑽を積んだ〝術師〟だけだ。まして破竜儀式に耐え得るほどの精鋭術師となれば、どの国にも数えるほどしか存在しない。
そしてセプテンコリスを滅ぼした〝超級〟個体──生き物の死を喰って成長する七堕が、大国の首都人口を喰らって極大化した滅びの化身に立ち向かうのは、その精鋭の踏破機関の術師でさえも、充分な事前準備なしには不可能だ。
ただでさえ消耗していたセプテンコリスの踏破機関には、時間稼ぎが精一杯だった。