「千万丈塔への〈鏡〉の避難は完了したと、最後に連絡があったそうだ。あとは頼む、と」
「…………」
碧燈はそっと目を伏せる。
「九百年も積みあげたところで踏破失敗して、俺らみたいな余所の国にあと頼むしかなくなって。……無念だったろうな」
湿っぽいのは碧燈は嫌いだ。自分が零した哀悼の気配を吹き飛ばして、努めてなんでもないような声を出す。
「にしても、超級か。んな規模のが発生するって久しぶりじゃね」
「この国だと四百年前の〈野辺ノ墨染〉以来だな。その時はヤエブキ機関に他霊術官司、出撃可能な笹竹さまの残機全員が出撃してなお、壊滅寸前まで追いこまれたはずだ」
「うわー……」
破竜・踏破儀式専門のヤエブキ機関はともかく、国境や国内の霊的防衛を司る他の霊術官司からは全術師が出撃できたわけではないとはいえ。
そして碧燈は思い至る。
「で、その〈野辺ノ墨染〉と同じ超級が、次に出るって予測されたのが──この国?」
「さっきからそう言ってるだろ」
数秒ほど碧燈は考えた。
正確には、あまり認めたくない類の結論をごまかそうと思考を巡らせて、結局失敗した。
「……ヤバくね?」
天茜は額を押さえた。ようやくか。
「だからみんな、緊迫してるんだ」
「セプテンコリスの超級は、玄朔四九七年と同じ〈野辺ノ墨染〉の識別名で呼称します」
ヤエブキ機関本部の寝殿で、碧燈たち八重の術師全員を前に言うのは琉璃揚羽。破竜方の局長である二十歳すぎの女性術師だ。
「現在は〈冬眠庫〉が孔雀洋上に封印結界を展開し、〈野辺ノ墨染〉を拘束。我が国の迎撃準備期間を確保するべく、各国踏破機関が結界要員の抽出を行っています」
「──セプテンに続いて八千穂国まで陥ちたら、次は各国総出の最終決戦だもんな」
「他国にも同格の方々はいる、勝てるは勝てるだろうが……戦場になった国は確実に沈むな」
そっと呟いた碧燈に、天茜も小さく返す。
踏破儀式と七堕への対処では、全ての国が歴史的な確執を越えて緊密な協力関係にある。
討滅されずにその国を滅ぼした七堕は、それで消滅することなくまた別の国に出現するためだ。──国家一つ分の死を喰らうたびに、その力を増して。
「拘束限界は十四日、よって我が国での〈野辺ノ墨染〉迎撃は十二日後の六月十六日に行います。討滅を担う〈八重山吹〉は八重の術師全員を予備戦力とし、迎撃戦闘の主力としては長官・茨宮殿下がお出ましになります」
うわ、と碧燈は思わず呻いた。
ヤエブキ機関長官・茨宮はその宮号のとおり皇族で、平たく言うと化物だ。六年前の霊峰・不尽山の大噴火では住民避難の間、山体崩落の衝撃波から山麓一帯に駆け下る大火砕流、無数の火山弾までのあらゆる暴威を《禁呪》で押し留めた逸話さえある。
そこまでいくともう皇京結界から出るだけで大被害が生じるので──件の《禁呪》では非効率を承知で皇京から術を飛ばした──、なるべくお出ましにはならないでほしい御方だ。
その化物殿下をいきなり、出撃させねばならぬほどの危機だというのに。
「なお、セプテンコリスの消滅と〈野辺ノ墨染〉襲来の発表以降、国内の反政府勢力の活性化が確認されています。よって、ヤエブキ機関は〈墨染〉迎撃準備の一環としてこれら叛徒への対処を実施。……まずは本日夜と予告された、帝都七堕招喚テロへの対応を」
碧燈も天茜も、八重の術師全員がぴりっと表情を険しくした。誰かが吐き捨てる。
「──〝堕竜講〟」
「ええ。先年には不尽山噴火に乗じて七堕を招喚し、今また七堕を利用して〈野辺ノ墨染〉迎撃を妨害せんとする逆賊の堕竜信奉者ども」
旧秩序の破壊者にして新世界の神、として七堕を奉じる結社の総称である。
言葉どおりに七堕を神と崇める宗教結社もあれば、革命の象徴として七堕を掲げる政治結社もある。多くは殺人その他の犯罪行為をも厭わぬ凶悪なテロ組織であり、神の顕現のため、政府転覆の兵器とするために、繰り返し七堕の招喚を試みている。
「六年前と同じ轍を踏むわけには参りません。まして此度は超級迎撃を控えた国家存亡の瀬戸際、万が一にも蜥賊どもの暴挙を許さぬよう、御前会議は〝蜥賊征伐使〟の編成を決定。──我ら〈八重山吹〉は征伐使の一翼として、帝都の堕竜講の掃討を行います」
「……つっても、六年前からこのかた堕竜講の摘発は強化してるんだし。いまさら掃討なんて銘打っても、実質は仕上げみたいなもんなんじゃねえの」
今日の帝都でのテロ対応協力は、別の官司からの要請だ。その官司の人員が待機する場所へと、御所の外廷を北から南へ歩みながら碧燈は言って、隣を歩く天茜が横目を向ける。
「その仕上げの殲滅戦闘になら戦闘特化の八重の術師でも役立たなくもないから、つまり六年越しの仇討ちというところだろ」
「勝手に殺すなよ。……六年前の〈纐纈染の九月〉で堕竜講構成員連中は一旦壊滅させたってのに、懲りずに新しいのがぞろぞろ湧いて出てくるもんだよな」
六年前、帝都での七堕招喚テロを契機として朝廷は国軍まで含めた大戦力を投入。帝都のみならず全国の堕竜講を根絶やしにした。
当時のヤエブキ機関もまた帝都の征伐に参じ、そして粛清の猛威を振るった。七堕テロにより踏破儀式場が襲われたことへの──同じ八重の術師を害されたことへの報復として。
一連の征伐を指して〈返り血の斑〉と、無関係の臣民からも恐れられるほどに。
「新しいから……粛清された当人とは別人だから、懲りてもいないんじゃないか。〈纐纈染〉では蜥賊の大半が、処刑か現場処刑か永久禁牢になったそうだから」
「たった六年でもう、〝ココノエ機関〟の怖さを忘れちまったってわけか」
やれやれと碧燈は嘆息する。そうやってすぐに、喉を過ぎた熱さを忘れるから。
「今回は衛門府と協同ってんだから、つまり衛士じゃできねえ蜥賊殲滅をまたやれってことなんだろうけど。……御所に衛士が入るのって、そういえば何十年ぶりとかだよな」
八千穂国首都・千桜京は、皇族・貴族の住まう北の皇京と、臣民が暮らす南の帝都に分かれ、左右衛門府は帝都全域を管轄する警察機構だ。本部も皇京ではなく帝都に置かれ、下っ端の衛士は御所に入ることすらまず無い。
そんでもって協同の決定がなにしろ今日の今日なので、それなりに機密度の高いヤエブキ機関本部への入場コード発行が間にあわなかったのである。よって衛士たちは現在、機密度の低い饗宴用殿舎の瑠璃殿で待機しており、碧燈たち八重の術師が外廷南端の瑠璃殿まで、数々の官庁が軒を連ねてバカ広い外廷をてくてく歩いて移動する破目になっている次第だ。
ちなみにいわゆる長距離転移の霊術もあるにはあるのだが、徒歩移動が原則の御所内でむやみに使っていいかと言えばもちろんダメだ。
「……前の入場が何年前だったかは、さすがに知らないな」
「いや天茜、俺も別に知ってると思って言ったわけじゃねえから……」
そんなことまで知ってたら、ちょっと怖い。
基本的には怜悧な性質であるくせに、しばしば変なボケをかます双子の兄──そう、認めたくないが天茜が兄なのである、認めたくないが──に、碧燈は半眼になる。
双子の弟の微妙な屈託など意にも介さず、天茜は淡々と続ける。
「まあ、言うとおり何十年というところだろう。式部省・情報司が誰も、瑠璃殿以外への入場許可コードの発行経験がなくて慌ててマニュアルを探しているくらいだ」
「許可出す想定なんかずっとなかった、ってやつだよなそれ」