左右衛門府の職掌は帝都の、つまり皇京の『外』の警衛だ。所属人員もほとんどが皇京の出ではなく、帝都に下った末端・傍流の貴族官人家の出身。
『都落ち』をもう一度、入れてやるつもりなんて皇京にはない。
「……そういうことだよな」「そういうことだ」
碧燈はちょっと口の端をひん曲げる。言えた義理ではないが、いい気分はしない。
到着した瑠璃殿は外廷でも飛びぬけて巨大な建物で、広々とした母屋から庇間を今は細かく仕切って小部屋に仕立てている。衝立障子の光学・音声低減電磁障壁の向こう、衛士たちのシルエットがもの珍しげに、初めて見るだろう寝殿造り内部を見回しているのが窺えた。
「どこだっけ」
「『檜垣に夕顔』の衝立」
「あ、あれか」
目的の局を、目印を覚えてもいなくて尋ねた碧燈に、これくらいならもう天茜も文句を言わない。……が、そのまま無造作に電磁障壁を抜けたら途中で後ろ襟を摑まれた。
「本部の曹司じゃないんだぞ。入る前に扇くらい鳴らせ」「あっ、」
しまったと思ったがもう遅い。体は半分局に入ってしまっているし、中にいた衛士も西国渡りの長椅子から立ちあがってしまう。
今さら来意を告げ直すわけにもいかず、気まずく碧燈は中に入り、嘆息しつつ天茜も続く。
衛士は衛士で緊張しきっているようで、二人の無作法にもどうやら気づいていない。明るい黄色の武官袍。腰の後ろに差した短い護身の打刀。サイドを高い位置で結って残りは垂らした髪に、小柄な背丈と少女特有の細い肩。
「八重の術師さま。──初めまして、よろしくお願いします!」
天茜と碧燈に向かってがばりと勢いよく頭を下げた、少女衛士の花鈿は白い卯の花で、右衛門府の所属だ。位袍の黄色は無位の当色、新人らしい。
「右衛門府・軽装機動隊の祭花です。こっちは根付のピカ=ピカ」
まさかの頭の上に乗っていた、蜜柑サイズの丸っこい小鳥──カササギ型の根付をわたわたと下ろす。どうぞよろしくお願いいたします、と対照的に落ちついた物腰で、ピカ=ピカが全身で傾いて一礼する。
祭花は緊張のあまり、可愛らしい顔立ちをこわばらせている。
「皇京の術師さまと協同なんて光栄です。がんばります!」
さすがに碧燈が苦笑した。
「『さま』は無しでいいよ。敬語も。帝都は俺ら不案内だからいろいろ手ェ焼かせることになるだろうし、俺らこそ頑張るな」
一方で天茜は気づく。
昨日の、夜の。
「踏破儀式場の結界の外で、警備をしていた?」
ぱっと祭花は顔を輝かせ、それから神妙にうなずいた。
「はい! 花鈿を預けてくださいましたよね。今は該当者を探しているところです。絶対に届出がされているはずですから……ご家族はきっと、必死に探しているはずですから」
七堕は夜ごとの破竜儀式に現れるだけでなく、国土全域のあらゆる場所、あらゆる時間で突如、出現しては人や獣を喰い殺して消える。
というよりも、各地に出現しては生き物を殺してその死を喰らい、肥大化していく七堕の個体群のうち、成長しきった成体が破竜儀式に現れるというのが正しい。昨晩の大鮫も儀式場に至るまでに数多の鳥獣・臣民を喰らい、天茜が回収した花鈿の持ち主はその一人だ。
七堕に喰われた者は、大抵は遺体も残らない。そうであるから残された家族はまずは行方不明者として、消えた犠牲者を探し求めることになる。
まさか七堕に喰われたはずはない、無事でいるはずだと一抹の希望に縋るようにして。
そうであるのだから、自分のしたことは両親に我が子の死を突きつけ、遺族の希望を無情に打ち砕く行為だったかもしれない。
そう今更ながらに気づいて、忸怩たる思いを抱いた天茜に。
「だから、絶対に届けます。花鈿だけでも帰ってくればご家族には救いになるはずですから。それだけのことを術師さまはしてくださったんですから」
衛士の娘は、真逆の言葉を告げた。
弾かれたように見返した天茜を、大きな深い色の双眸は見ない。
痛みを堪えて伏せられて、淡く涙の膜が張るように曇る。
「皇京は結界があるから七堕は現れないそうで、だから皇京の術師さまはご存じないと思いますけれど。七堕に家族を喰われた人間は、いつまでもそこから逃れられないんです」
大切な人を失った悲しみから。……大切な人の喪失そのものから。
「だって、遺体もない。七堕に殺されたと確定することさえ滅多にないんです。何年も探して、帰りを待って。七堕による死だと推定宣告がされてからも、なにかの間違いじゃないかって諦められなくて……だから死んですぐ弔ってあげることもできないし、御山に遺灰を撒いてあげることもできないんです。お花やお酒を供えることも」
唇を嚙み、潤んだ双眸に痛みと後悔をいっぱいに湛えて語る、それは。
誰の痛みで、後悔で、──喪失の経験だったろうか。
言葉もなく見返す天茜の前で、祭花は訥々と語る。彼女自身その喪失を負い、今なお囚われ、傷の痛みに苛まれているからこその言葉を。
それゆえにこそ、知っている一抹の救いを。
「七堕に襲われた時には助けてあげられなくて、死んだ後にも何もしてあげられない。いつまでも何も終わらない。だからずっと悲しいんです。ずっと苦しい。だから、」
花鈿という形見が、せめて帰ってくることは。
形見だけでもせめて弔ってやれる、何かしてやれることがあるのは。
「ご遺族にとってはとてもとても、大きな救いになるはずなんです。……ありがとうございました。わたしからも」
わたしたちを、救ってくれて。
深く頭を下げて、あげられた瞳は痛みを帯びてけれど強い、凜とした眼差しで。
その光の強さを前に後悔ばかり抱いているのは、間違いだと思わされる眼差しで。
「なら、……少しは良かった、のかな」
助けることはできなかったけれど、わずかでも救いになれたのなら。
応じた天茜に、祭花が微笑む。
「はい。このことをきちんとお伝えできたのも、そう言ってくださる優しい方と組ませていただけたのも」
それからあっと息を吞んだ。
「すみません! 皇京の術師さまに、不躾ですよね!」
「いや。そう、碧燈が言ったとおり俺たちに敬語はいらない。年もさして離れてないだろう」
「今年元服で、十六です」
同い年だった。
そう言うと、祭花は少し親しみを覚えた顔をした。
「じゃあ、今年元服なのも同じですね……じゃなくて。同じだね」
「ああいや、それは」
いくつか離れた局から、電磁障壁の音声軽減をも越えてでかい声が飛びこんできた。
──えっ十二歳!? ほんとに!? 小柄で童顔とかそういうのじゃなくて!?
今年元服した珠兎・星雀の双子と組んだ衛士らしい。向けた視線を戻して天茜は言う。
「八重の術師は元服が早いから。俺もこれも着任から数年になる」
これ、は紙張扇で、所在なさげに黙っていた碧燈を指した。
同じく扇で、ばしっと払いのけつつ碧燈が続ける。
「官人としてはちょっと先輩だよな。あっ、だからって敬語に戻さなくていいからな! 別に偉いわけじゃないんだから」
「物理的に高所にいるだけだな。特にこいつは踏破方だから」
「誰が高いとこが好きで、そんで煙じゃない方だよ」
ついいつもの口喧嘩に突入しかけたところで、堪えきれない様子でくすくすと笑みを零した祭花に二人とも我に返って口を噤む。そんな場合じゃないというか、そもそも。
「すまない、こちらの名乗りがまだだった。〈八重山吹〉破竜方の天茜だ」
「踏破方の碧燈。むしろ高いとこが好きなこれのペアです」
「誰が馬鹿だこの馬鹿。──千万丈塔を攻略する踏破儀式は、七堕の討滅を行う破竜儀式と必ず対になっていて、だから八重の術師は二人一組でどちらかが破竜方だ」
またしても紙張扇の応酬などしながら補足する。
お茶を出すタイミングを失って局の外で困っていた行儀見習いの参内童が、あのぅ……と控えめな声を出した。