ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

一 ④

 きゆうじを終えて参内童さんだいわらわはとことこ出ていって、冷たいお茶を含んでからまつりかが話を再開する。


「あの。……前から知りたかったんだけど、そもそも踏破儀式って何をしてるの?」


 ん、と天茜あかねは一つまばたく。

 毎晩、踏破儀式に先立って一帯の封鎖を強化し、万一臣民が侵入していたなら退去させて、儀式の間も結界の外で警衛に就くのがまつりか属する衛門府えもんふなのだが。


衛門府えもんふで説明はされないのか?」

「警備の手順ばっかりで……」


 なるほど。

 あっとまつりかは息をむ。


「もしかして、機密とか?」

「いや。単に、衛門府えもんふの仕事を覚えるのが優先されてるだけじゃないか」

「だろうな。まつりか新人なんだし。ヤエブキ機関以外は踏破儀式にも破竜儀式にも直接参加しないんだから、儀式内容とか教わるにしても後回しでいいだろ」


 碧燈あおひが続けて、まつりかが身を乗りだす。


「そう、その破竜儀式、はまだわかるんだけど。──踏破儀式ってなに?」


 問われて、さて、と天茜あかねはしばし考える。帝都以下の臣民たちが、千万丈塔せんまんじようとうと踏破儀式についてどのくらい知っているのかなんて、そういえば意識したこともなかった。


「──この世界が滅びかけていて、それを回避するための儀式だ、ということは?」

「あ、うん。それは知ってる。この世界が、ええと……」


 今度はまつりかが少し考えた。


マツポーの世?」

「ソレ言うなら世紀末な」

「言いたいことはだいたいわかるが、どっちも違う」


 覚者教かくしやきようの説くまつぽうの世にしろ世紀末にしろ、そういう意味ではない。

 ピカ=ピカが冷静にまとめた。


「ともかく。終焉しゆうえんに向かう流れの中にあり、その流れから世界を救う大霊術だと」

「そう! ありがとピカ=ピカ。──そういうのはもちろん、みんな知ってるんだけど。どうして毎晩、あの塔が帝都に降りてくるのかとか、どうして昼間は見えないのかとか、踏破儀式って具体的に何してるのかとか、そもそも千万丈塔せんまんじようとうってなんなのかとかって」


 まつりかが列挙した質問とその答えを、頭の中で軽くまとめてから天茜あかねは応じる。


「とりあえず、踏破儀式はそのまま、千万丈塔せんまんじようとうを登ることだな。一階から最上階まで」

「んで、日中見えねえのは、アレ普段は世界の裏側かくりよに格納されてて、ウロトキの儀式の間しか出てこねえから。……もし昼間も出てたらすげえ邪魔だと思うぜ。なんたってデカいし」

「どれくらいあるの?」


 天茜あかね碧燈あおひは同時に答えた。


「踏破高度・三万五千八百キロメートル」

「……ええと?」


 碧燈あおひが言いかえる。重々しく。


「ざっくり、千万丈せんまんじよう

「ふえ!?」

「だから〝千万丈塔せんまんじようとう〟なんだ。ちなみになら七万キロメートルあるが、吊りあい錘の部分アンカーは踏破対象に含まないから、高度千万丈地点が最上階の扱いになる」


 続けて天茜あかねも補足して、まつりかは、ついでにピカ=ピカもぽかんとなる。


「非常に大きい、という意味ではなく、本当に千万丈あるのですね……」

「そんなの攻略するって、どれくらいかかるの……?」

「試算では最短で千年。実際、各国ともそれくらいのペースで攻略を進めてる」

「どこもそれだけ必死ってことな。今は攻略開始から九百年ちょいくらいで、そろそろ終わりが見えてきたとこ」


 まつりかはいよいよ、ぽかんと口を開いた。


「じゃあ……ちょうど元号変わったころからやってるってこと? そんな前から……」


 ちなみに今年はげんさく九一八年である。

 天茜あかねはわずかに目を伏せた。そう、そんなにも昔から。


「千年近くも踏破儀式にばかり国力をつぎこんでいるわけだから、臣民の中には不満に思う者がいるのも、わからなくはないんだが」


 その更にごく一部が、だりゆうこうを名乗って政府や朝廷、皇家おうけの打倒を企てるのも。

 八千穂国やちほのくにとて別段、理想郷ではない。海洋を失い、空輸以外の輸送手段を失って超高額化した輸出入に、全く不可能になった海洋漁業。都市部の極端な過密化に、太陽光発電衛星による衛星軌道の占有など、七堕ナナエの出現に由来するゆがみも膨大だ。そうした諸問題を『放置』して踏破儀式に注力する皇家おうけを、民草を顧みない暴君・暗君と見なす者もそれは存在するだろう。

 む、と碧燈あおひが眉を寄せ、けれど彼が口を開く前にまつりかが吐き捨てた。


「いいよそんなの。わからなくって」


 その冷えた、それでいて煮えたぎるような硬い響き。

 嫌悪けんおとそして瞋恚しんいの。


「いくら不満があるからって自分がつらいからって、七堕ナナエを作って人を殺させたらそれは悪だもの。だりゆうこうがやってることは悪だもの。だからわからなくていいよ。お父さまだって、」

「わたしのお父さまだって、七堕ナナエい殺されたんだから」


 しまった、と天茜あかねは息をむ。

 ローテーブルの下で碧燈あおひがこっそり足を蹴ってきたが、これについては双子の弟が正しいので天茜あかねも甘受した。……そう、まったくの失言だった。

 だりゆうこうはしばしば七堕ナナエの招喚を図り、多くの人を殺す。結果によっても

 そうである以上、だりゆうこうに理解を示すのは、七堕ナナエによる殺人を許容するのも同然だ。


「……悪い」


 ううん、と小さく、まつりかは首を横に振った。

 一方で碧燈あおひが首をかしげる。


「……てか。じゃあ、もしかしてになったのか?」

「うん。わたしは一咲ひとえだから術師になれないけど、それでも出来ることをしたかったから」


 霊能を生まれ持つ二華ふたえとは逆に、霊力を持たないただびとが〝一咲ひとえ〟だ。皇京おうきようの貴族官人も帝都以下の臣民も、いずれも大半がこの一咲ひとえである。

 一咲ひとえは霊力を持たないかわりに、必ず小さな宝玉を握って生まれてくる。みかどが民に賜った守護とも言われるその〝珀玉はくぎよく〟を花鈿かざしめ、公の場では身に着けるから『一咲ひとえ』だ。


衛門府えもんふでも特に軽装機動隊を志願したのもそのためで──お父さまみたいに七堕ナナエに殺される人を減らしたかったから。七堕ナナエそのものとは戦えなくても、だりゆうこう七堕ナナエ招喚テロを止められればそれだけ死ぬ人は少なくできるはずだから」


 軽装機動隊は大口径の火器と支援兵装を用い、違法レベルの戦闘用身体改造者やだりゆうこう法士ほうしをも相手取る精鋭部隊だ。小柄な少女の身で志願し、あまつさえ配属されるにはとてつもない修練と、それを成し遂げるだけの壮烈な覚悟が必要となる。

 その壮烈な、激情と決意に瞳を燃やしてまつりかは言う。りんと背筋の伸びたその姿勢。


「わたしと同じ思いをする人を、もうこれ以上増やしたくなかったから。そのために戦えるようになりたかったし、戦えるようになったんだから戦うの。今日のテロ対応でも、これからのあなたたちとの協同でも」


 七堕ナナエに人を、殺させないために。

 七堕ナナエに人を殺させるだりゆうこうを、止めるために。


「昨日の子みたいに死ぬ人を出さないために、わたし、がんばるから。ぜったい足手まといにはならないから。だから──どうか力を貸して。二人も一緒に戦って」


 人々を死から、喪失から、──理不尽から守るために。

 まつりかの頭の上に戻って控えていたピカ=ピカが、こほんと小さくせきばらいする。


「ではまつりか。そのための説明に、そろそろ移った方がよろしいかと」


 まつりかを含む若手がなぜの術師と組むかといえば、各術師ペアとの連絡・調整・帝都の案内その他の補佐のためである。今日の場合は顔合わせと、予告されたテロへの対応だ。


「説明用に情報表示屛風ホロスクリーンがいるか?」「大丈夫!」


 用意されてないなと思いながら問うた天茜あかねに、まつりかは元気よく応じて頭上に目を向ける。


「ピカ=ピカ、お願い」

「はい、まつりか。──資料群〇六〇四・一、投影します」


 ぴょこんとテーブルに降りたピカ=ピカが軽く頭を振って頭上にホロウィンドウを投影。全方向表示モードで資料画像のむれを展開。

 官庁仕様物理電算端末コンピユータ〝根付〟。

 頭蓋骨表面の接続素子を経由しての、電子情報界ウエブネツトワーク上の仮想端末の利用が一般的な現代において。そのネツトワークとの接続が遮断される環境、たとえば戦場や結界内で働く武官や術師の支援のため開発された、疑似生体パラバイオ電算端末コンピユータである。

 画像の一つ、半紙に筆書きの予告状をまつりかは扇で指して拡大する。いわく。

 斬奸状ざんかんじよう