給仕を終えて参内童はとことこ出ていって、冷たいお茶を含んでから祭花が話を再開する。
「あの。……前から知りたかったんだけど、そもそも踏破儀式って何をしてるの?」
ん、と天茜は一つまばたく。
毎晩、踏破儀式に先立って一帯の封鎖を強化し、万一臣民が侵入していたなら退去させて、儀式の間も結界の外で警衛に就くのが祭花属する衛門府なのだが。
「衛門府で説明はされないのか?」
「警備の手順ばっかりで……」
なるほど。
あっと祭花は息を吞む。
「もしかして、機密とか?」
「いや。単に、衛門府の仕事を覚えるのが優先されてるだけじゃないか」
「だろうな。祭花新人なんだし。ヤエブキ機関以外は踏破儀式にも破竜儀式にも直接参加しないんだから、儀式内容とか教わるにしても後回しでいいだろ」
碧燈が続けて、祭花が身を乗りだす。
「そう、その破竜儀式、はまだわかるんだけど。──踏破儀式ってなに?」
問われて、さて、と天茜はしばし考える。帝都以下の臣民たちが、千万丈塔と踏破儀式についてどのくらい知っているのかなんて、そういえば意識したこともなかった。
「──この世界が滅びかけていて、それを回避するための儀式だ、ということは?」
「あ、うん。それは知ってる。この世界が、ええと……」
今度は祭花が少し考えた。
「末法の世?」
「ソレ言うなら世紀末な」
「言いたいことはだいたいわかるが、どっちも違う」
覚者教の説く末法の世にしろ世紀末にしろ、そういう意味ではない。
ピカ=ピカが冷静にまとめた。
「ともかく。終焉に向かう流れの中にあり、その流れから世界を救う大霊術だと」
「そう! ありがとピカ=ピカ。──そういうのはもちろん、みんな知ってるんだけど。どうして毎晩、あの塔が帝都に降りてくるのかとか、どうして昼間は見えないのかとか、踏破儀式って具体的に何してるのかとか、そもそも千万丈塔ってなんなのかとかって」
祭花が列挙した質問とその答えを、頭の中で軽くまとめてから天茜は応じる。
「とりあえず、踏破儀式はそのまま、千万丈塔を登ることだな。一階から最上階まで」
「んで、日中見えねえのは、アレ普段は世界の裏側に格納されてて、虚ノ刻の儀式の間しか出てこねえから。……もし昼間も出てたらすげえ邪魔だと思うぜ。なんたってデカいし」
「どれくらいあるの?」
天茜と碧燈は同時に答えた。
「踏破高度・三万五千八百キロメートル」
「……ええと?」
碧燈が言いかえる。重々しく。
「ざっくり、千万丈」
「ふえ!?」
「だから〝千万丈塔〟なんだ。ちなみに全長なら二千万丈あるが、吊りあい錘の部分は踏破対象に含まないから、高度千万丈地点が最上階の扱いになる」
続けて天茜も補足して、祭花は、ついでにピカ=ピカもぽかんとなる。
「非常に大きい、という意味ではなく、本当に千万丈あるのですね……」
「そんなの攻略するって、どれくらいかかるの……?」
「試算では最短で千年。実際、各国ともそれくらいのペースで攻略を進めてる」
「どこもそれだけ必死ってことな。今は攻略開始から九百年ちょいくらいで、そろそろ終わりが見えてきたとこ」
祭花はいよいよ、ぽかんと口を開いた。
「じゃあ……ちょうど元号変わったころからやってるってこと? そんな前から……」
ちなみに今年は玄朔九一八年である。
天茜はわずかに目を伏せた。そう、そんなにも昔から。
「千年近くも踏破儀式にばかり国力をつぎこんでいるわけだから、臣民の中には不満に思う者がいるのも、わからなくはないんだが」
その更にごく一部が、堕竜講を名乗って政府や朝廷、皇家の打倒を企てるのも。
八千穂国とて別段、理想郷ではない。海洋を失い、空輸以外の輸送手段を失って超高額化した輸出入に、全く不可能になった海洋漁業。都市部の極端な過密化に、太陽光発電衛星による衛星軌道の占有など、七堕の出現に由来する歪みも膨大だ。そうした諸問題を『放置』して踏破儀式に注力する皇家を、民草を顧みない暴君・暗君と見なす者もそれは存在するだろう。
む、と碧燈が眉を寄せ、けれど彼が口を開く前に祭花が吐き捨てた。
「いいよそんなの。わからなくって」
その冷えた、それでいて煮えたぎるような硬い響き。
嫌悪とそして瞋恚の。
「いくら不満があるからって自分がつらいからって、七堕を作って人を殺させたらそれは悪だもの。堕竜講がやってることは悪だもの。だからわからなくていいよ。お父さまだって、」
「わたしのお父さまだって、七堕に喰い殺されたんだから」
しまった、と天茜は息を吞む。
ローテーブルの下で碧燈がこっそり足を蹴ってきたが、これについては双子の弟が正しいので天茜も甘受した。……そう、まったくの失言だった。
堕竜講はしばしば七堕の招喚を図り、多くの人を殺す。結果によっても過程においても。
そうである以上、堕竜講に理解を示すのは、七堕による殺人を許容するのも同然だ。
「……悪い」
ううん、と小さく、祭花は首を横に振った。
一方で碧燈が首を傾げる。
「……てか。じゃあ、もしかしてだから衛士になったのか?」
「うん。わたしは一咲だから術師になれないけど、それでも出来ることをしたかったから」
霊能を生まれ持つ二華とは逆に、霊力を持たない只人が〝一咲〟だ。皇京の貴族官人も帝都以下の臣民も、いずれも大半がこの一咲である。
一咲は霊力を持たないかわりに、必ず小さな宝玉を握って生まれてくる。帝が民に賜った守護とも言われるその〝珀玉〟を花鈿に嵌め、公の場では身に着けるから『一咲』だ。
「衛門府でも特に軽装機動隊を志願したのもそのためで──お父さまみたいに七堕に殺される人を減らしたかったから。七堕そのものとは戦えなくても、堕竜講の七堕招喚テロを止められればそれだけ死ぬ人は少なくできるはずだから」
軽装機動隊は大口径の火器と支援兵装を用い、違法レベルの戦闘用身体改造者や堕竜講の下法士をも相手取る精鋭部隊だ。小柄な少女の身で志願し、あまつさえ配属されるにはとてつもない修練と、それを成し遂げるだけの壮烈な覚悟が必要となる。
その壮烈な、激情と決意に瞳を燃やして祭花は言う。凜と背筋の伸びたその姿勢。
「わたしと同じ思いをする人を、もうこれ以上増やしたくなかったから。そのために戦えるようになりたかったし、戦えるようになったんだから戦うの。今日のテロ対応でも、これからのあなたたちとの協同でも」
七堕に人を、殺させないために。
七堕に人を殺させる堕竜講を、止めるために。
「昨日の子みたいに死ぬ人を出さないために、わたし、がんばるから。ぜったい足手まといにはならないから。だから──どうか力を貸して。二人も一緒に戦って」
人々を死から、喪失から、──理不尽から守るために。
祭花の頭の上に戻って控えていたピカ=ピカが、こほんと小さく咳払いする。
「では祭花。そのための説明に、そろそろ移った方がよろしいかと」
祭花を含む若手衛士がなぜ八重の術師と組むかといえば、各術師ペアとの連絡・調整・帝都の案内その他の補佐のためである。今日の場合は顔合わせと、予告されたテロへの対応だ。
「説明用に情報表示屛風がいるか?」「大丈夫!」
用意されてないなと思いながら問うた天茜に、祭花は元気よく応じて頭上に目を向ける。
「ピカ=ピカ、お願い」
「はい、祭花。──資料群〇六〇四・一、投影します」
ぴょこんとテーブルに降りたピカ=ピカが軽く頭を振って頭上にホロウィンドウを投影。全方向表示モードで資料画像の群を展開。
官庁仕様物理電算端末〝根付〟。
頭蓋骨表面の接続素子を経由しての、電子情報界上の仮想端末の利用が一般的な現代において。その情報界との接続が遮断される環境、たとえば戦場や結界内で働く武官や術師の支援のため開発された、大型の疑似生体電算端末である。
画像の一つ、半紙に筆書きの予告状を祭花は扇で指して拡大する。曰く。
斬奸状。