ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

一 ⑦

 ぴょこっと祭(まつ)花(りか)は顔をあげた。ついでに、見えないしっぽ(仔犬(こいぬ)系(けい))もぴょこんと立った。

 碧燈(あおひ)が笑いを嚙(か)み殺(ころ)してピカ=ピカがやれやれと天を仰いで、皇京(おうきよう)を囲む羅(らじ)城(よう)の門に至る。天茜(あかね)とも碧燈(あおひ)とも顔見知りらしい門(かど)守(もり)が、二人に続いて鉄機馬(くろこま)を降りた祭(まつ)花(りか)に片眉をあげる。


「珍しいですね、お二方が昼間に。デートですか?」「そんなとこ」「仕事だ」


 冷やかしに碧燈(あおひ)が乗って天茜(あかね)がぶったぎって、祭(まつ)花(りか)はまたしても真っ赤になる。門(かど)守(もり)はニコニコとホロウィンドウを確認し、どの昇降機(エレベータ)も空いてますよと告げて三人を通した。

 門を抜けた先は皇京(おうきよう)・帝都間昇降機(エレベータ)〝登星橋(とうせいきよう)〟の発着施設だ。いきなり帝都風の金属と硝子(ガラス)の近代建築の、大理石モザイクのロビーに銀の格子(こうし)扉(とびら)がずらりと並ぶ。

 皇京(おうきよう)は山岳と高地からなる千桜(ちくら)連(れん)山(ざん)の南腹に置かれ、帝都は山裾から南の大(おお)河(かわ)へとなだらかに下りつつ広がる。皇京(おうきよう)南端と帝都北端は百丈(三百メートル)余りの高低差があるから、少人数の移動は登(とう)星橋(せいきよう)で、大規模輸送なら専用の大型輸送機〈五百羽(イオハノ)八峪八雲(ヤタニヤクモノ)御真鳥(ミマトリ)〉の利用が基本だ。

 まして今は。

 山肌に添って斜めに下降する昇降機通路(シヤフト)もケージも硝子張(ガラスば)りで、周囲の環境がよく見える。眩(まぶ)しい新緑のアーケードが突然、白(オパ)虹(ール)色(いろ)の焰(ほのお)の壁に取って代わられて、慣れているのだろう天茜(あかね)と碧燈(あおひ)は特段に反応もしなかったが祭(まつ)花(りか)はついびくりと身をすくめてしまった。

《皇京(おうきよう)結界》。七堕(ナナエ)を含むあらゆる侵入者を防ぎ、皇京(おうきよう)の安寧を護(まも)る霊術の羅(らじ)城(よう)である。

 祭(まつ)花(りか)のように通行を許可されていれば全く無害だが、そうでない者に対しては堅固な壁として行く手を阻(はば)み、無理に押し入ろうとすれば肉体と魂(こん)魄(ぱく)を灼(や)きつくすという峻厳(しゆんげん)の御垣(みかき)。

 優しい人と組めてよかった、と最初に安堵(あんど)したことを祭(まつ)花(りか)は改めて思いだす。

 だって祭(まつ)花(りか)たち帝都住民から見えている皇京(おうきよう)とは、この天を衝(つ)く白(はく)焰(えん)の壁だ。今上帝の御(み)代(よ)九百余年に亘(わた)り、下界の臣民をこれ以上なく明確に拒絶する意志の具現だ。

 天茜(あかね)はどうやら優しい人だけれど。碧燈(あおひ)はなんだか面白い人だけれど。皇京(おうきよう)は未(いま)だやはり、この美しくも苛烈な白(はく)焰(えん)と同様に──どこか得体が知れなくて、おそろしい。

 進入時と同様に唐突に、硝子(ガラス)のケージは《皇京(おうきよう)結界》の焰(ほのお)の壁を抜ける。

 振り仰げばあるべき初夏の新緑の向こう、焰(ほのお)の壁は遥(はる)か上空まで聳(そび)えて祭(まつ)花(りか)の目から、眼下の帝都から皇京(おうきよう)を全く覆い隠している。

 登星橋(とうせいきよう)の帝都側の発着施設は〈山(やま)裾(すそ)〉の右衛門府(うえもんふ)本部にあり、これは左右衛門府(えもんふ)が元々はその名のとおり、皇京(おうきよう)への門を衛(まも)る官司(かんし)であったためだ。

 材料も設計も一流の贅(ぜい)沢(たく)な庁舎街の、煉瓦(れんが)造(づく)りの本部庁舎で祭(まつ)花(りか)はつい眉を寄せる。慣れ親しんだ、けれど皇京(おうきよう)の清浄と比べれば雲(うん)泥(でい)の差(さ)の、不快に湿(し)気(け)って汚れた帝都の大気。

 彼女がいるのは会議室の一つで、軽装機動隊の祭(まつ)花(りか)属する小隊と合流したところだ。打合わせと顔合わせを兼ねた簡単な食事会の準備が進み、一汁三菜をひとまとめにした基本食セットのレトルトパックを抱えた衛(え)士(じ)が天茜(あかね)と碧燈(あおひ)に尋ねている。


「術師さま術師さま、衛門府(えもんふ)流(りゆう)の新人歓迎の儀、お二人にも受けてもらって平気かな?」


 平気か、と訊(き)かれた時点で察したろうが二人は苦笑でうなずいてくれて、やめとけばいいのに、と祭(まつ)花(りか)は思う。美(お)味(い)しいものでは全くないし、当の衛(え)士(じ)たちだってこの『歓迎』でしか食べない物を、わざわざ取り寄せてまでいたずらや度胸試しに使うのもいいことではない。

 そう思いつつも二人がどんな反応をするか、やっぱりちょっと興味はあって(だってものすごくひどいのである)、祭(まつ)花(りか)は沈黙を保つことでこのいたずらの共犯者になった。

 で。


「……えっとさ。一応、どれが主食で主菜で副菜かはどうにかわかるんだけどさ」

「どうにか程度にしか判別できない、この白い四角へのこだわりはなんなんだ……?」


 碧燈(あおひ)と天茜(あかね)が呻(うめ)いたとおり。

 二人の前のプラスチックトレーに並ぶのは、白い四角(糊(ノリ)状(じよう))と白い四角(軟質)と白い四角(うっすら緑)と白い四角(微妙に繊維質)と白い四角(やや透明)である。衛(え)士(じ)たちの、さまざまな献立で彩(いろど)り豊かな基本食セットとは比べ物にもならない投げやりさだ。

 もうこの段階で笑いを堪えている衛(え)士(じ)たちを代表して、祭(まつ)花(りか)は紙張扇(かわほり)で指して説明する。


「合成デンプン製お餅、タンパク質摂取用お豆腐、ビタミン摂取用野菜ペースト、脂質・食物繊維摂取用野菜ペースト、お汁(つゆ)代わりの微量元素添加ゼリー・水味です」


 果たして二人は悲鳴をあげた。


「なんだよその栄養摂取に全振りして歯ごたえすら考慮してない構成!」

「結局白い四角である意味がわからないんだが!? 特に野菜ペーストがどうして白いんだ!?」

「ビタミン摂取用のは主原料がもやしと合成ビタミンで、繊維の方は主原料が雪(お)花(か)菜(ら)だから」

「なんなんだ、その白と四角と豆類への無駄なこだわりは……!」


 なにか、許せないらしい。真剣な顔で天茜(あかね)は呻(うめ)いている。そっと祭(まつ)花(りか)は促した。


「まあとりあえず、食べてみなよ」


 もちろん、とても不(ま)味(ず)かった。


「見た目どおりの糊(のり)食感……しかも虚無味……」

「味気ないを通りこして、食材そのものの味すらしないのはおかしいだろう……」


 一口で目元を覆った二人に、衛(え)士(じ)たちはとうとう吹きだす。


「どうですよ術師さま、〈谷(たに)底(ぞこ)〉専用のこの社会保障食は」

「拡張現実で見た目と味と匂い上書きするから白くて四角でペーストで無味なんですけどね。……なんていうか、冒(ぼう)瀆(とく)的(てき)でしょう」


 膨大なパターンの拡張現実を問題なく上書きするためには実際の見た目は統一されている必要があるし、味や歯ごたえはない方がいいのである。

 それは理解しつつ苦笑して言う衛(え)士(じ)に、渋い顔で天茜(あかね)もうなずく。


「まったくだ。これはないと思う」


 衛(え)士(じ)たちが笑う。

 今度は少し、親しみや温かさが混じったそれだ。


「皇京(おうきよう)の術師さまがこんなの一口でも食って、そう言ってくださるだけでありがたいですよ」

「残していいっすよ術師さま。普段の新人歓迎でも、一口食わせてそれで終わりなんすから」


 二人は顔を見あわせてから、首を横に振った。


「や、箸つけたんだから全部食うよ」「捨てるのは食材工場と加工工場に悪い」


 そうして二人は無味乾燥な白い四角の群を言葉どおりに、……最後には八千穂国(やちほのくに)の魂の味・醬(しよ)油(うゆ)の助力も得たが完食した。会議室を盛大な拍手と歓声が包みこんだ。

 テロ対応を前に八(や)重(え)の術師と衛(え)士(じ)の間に熱い絆(きずな)が生まれた、ような気がしなくもなかった。

 体を動かさない〈谷(たに)底(ぞこ)〉向けの社会保障食はカロリーも軽食程度で、運動量の多い衛(え)士(じ)や術師にはとても足りない。口直しも兼ねて基本食セットも平らげた二人と、右衛門府(うえもんふ)の防(セキ)護(ユリ)経(テイ)路(パス)経由の通信設定をしようとして祭(まつ)花(りか)は気づく。そういえば。


「二人は根付、つれてないんだね」


 根付の外装は官司(かんし)ごとに仔犬(こいぬ)だのカエルだのオコジョだのと異なるので(そして何(な)故(ぜ)か全部かわいい系なので)、ヤエブキ機関ではなんだろうと実は楽しみにしていたのだが。

 ピカ=ピカも小首を傾(かし)げる。


「結界の向こうの破竜儀式場や千万丈塔(せんまんじようとう)の中など、それこそわたくしどものような物理端末が必要でしょうに。〝補助脳〟を導入していらっしゃるのですか?」


 補助脳──生体素材の電算端末(コンピユータ)を体内に導入するのは、官人でも珍しいが無い話でもない。軍人に多い眼球硝(しよ)子(うし)体(たい)内(ない)の〈鍛(カ)冶(ヌ)師(チ)〉や技術系官人が好む脊柱左右の〈羽白鷲(ハジロワシ)〉や。

 ああ、と天茜(あかね)がまばたいた。

 彼らからすればごく当たり前のことを、問われて初めて説明の必要に思い至った顔で。


「八(や)重(え)の術師は身体機能を強化改造してるから、その一環で」