ぴょこっと祭花は顔をあげた。ついでに、見えないしっぽ(仔犬系)もぴょこんと立った。
碧燈が笑いを嚙み殺してピカ=ピカがやれやれと天を仰いで、皇京を囲む羅城の門に至る。天茜とも碧燈とも顔見知りらしい門守が、二人に続いて鉄機馬を降りた祭花に片眉をあげる。
「珍しいですね、お二方が昼間に。デートですか?」「そんなとこ」「仕事だ」
冷やかしに碧燈が乗って天茜がぶったぎって、祭花はまたしても真っ赤になる。門守はニコニコとホロウィンドウを確認し、どの昇降機も空いてますよと告げて三人を通した。
門を抜けた先は皇京・帝都間昇降機〝登星橋〟の発着施設だ。いきなり帝都風の金属と硝子の近代建築の、大理石モザイクのロビーに銀の格子扉がずらりと並ぶ。
皇京は山岳と高地からなる千桜連山の南腹に置かれ、帝都は山裾から南の大河へとなだらかに下りつつ広がる。皇京南端と帝都北端は百丈余りの高低差があるから、少人数の移動は登星橋で、大規模輸送なら専用の大型輸送機〈五百羽八峪八雲御真鳥〉の利用が基本だ。
まして今は。
山肌に添って斜めに下降する昇降機通路もケージも硝子張りで、周囲の環境がよく見える。眩しい新緑のアーケードが突然、白虹色の焰の壁に取って代わられて、慣れているのだろう天茜と碧燈は特段に反応もしなかったが祭花はついびくりと身をすくめてしまった。
《皇京結界》。七堕を含むあらゆる侵入者を防ぎ、皇京の安寧を護る霊術の羅城である。
祭花のように通行を許可されていれば全く無害だが、そうでない者に対しては堅固な壁として行く手を阻み、無理に押し入ろうとすれば肉体と魂魄を灼きつくすという峻厳の御垣。
優しい人と組めてよかった、と最初に安堵したことを祭花は改めて思いだす。
だって祭花たち帝都住民から見えている皇京とは、この天を衝く白焰の壁だ。今上帝の御代九百余年に亘り、下界の臣民をこれ以上なく明確に拒絶する意志の具現だ。
天茜はどうやら優しい人だけれど。碧燈はなんだか面白い人だけれど。皇京は未だやはり、この美しくも苛烈な白焰と同様に──どこか得体が知れなくて、おそろしい。
進入時と同様に唐突に、硝子のケージは《皇京結界》の焰の壁を抜ける。
振り仰げばあるべき初夏の新緑の向こう、焰の壁は遥か上空まで聳えて祭花の目から、眼下の帝都から皇京を全く覆い隠している。
登星橋の帝都側の発着施設は〈山裾〉の右衛門府本部にあり、これは左右衛門府が元々はその名のとおり、皇京への門を衛る官司であったためだ。
材料も設計も一流の贅沢な庁舎街の、煉瓦造りの本部庁舎で祭花はつい眉を寄せる。慣れ親しんだ、けれど皇京の清浄と比べれば雲泥の差の、不快に湿気って汚れた帝都の大気。
彼女がいるのは会議室の一つで、軽装機動隊の祭花属する小隊と合流したところだ。打合わせと顔合わせを兼ねた簡単な食事会の準備が進み、一汁三菜をひとまとめにした基本食セットのレトルトパックを抱えた衛士が天茜と碧燈に尋ねている。
「術師さま術師さま、衛門府流の新人歓迎の儀、お二人にも受けてもらって平気かな?」
平気か、と訊かれた時点で察したろうが二人は苦笑でうなずいてくれて、やめとけばいいのに、と祭花は思う。美味しいものでは全くないし、当の衛士たちだってこの『歓迎』でしか食べない物を、わざわざ取り寄せてまでいたずらや度胸試しに使うのもいいことではない。
そう思いつつも二人がどんな反応をするか、やっぱりちょっと興味はあって(だってものすごくひどいのである)、祭花は沈黙を保つことでこのいたずらの共犯者になった。
で。
「……えっとさ。一応、どれが主食で主菜で副菜かはどうにかわかるんだけどさ」
「どうにか程度にしか判別できない、この白い四角へのこだわりはなんなんだ……?」
碧燈と天茜が呻いたとおり。
二人の前のプラスチックトレーに並ぶのは、白い四角(糊状)と白い四角(軟質)と白い四角(うっすら緑)と白い四角(微妙に繊維質)と白い四角(やや透明)である。衛士たちの、さまざまな献立で彩り豊かな基本食セットとは比べ物にもならない投げやりさだ。
もうこの段階で笑いを堪えている衛士たちを代表して、祭花は紙張扇で指して説明する。
「合成デンプン製お餅、タンパク質摂取用お豆腐、ビタミン摂取用野菜ペースト、脂質・食物繊維摂取用野菜ペースト、お汁代わりの微量元素添加ゼリー・水味です」
果たして二人は悲鳴をあげた。
「なんだよその栄養摂取に全振りして歯ごたえすら考慮してない構成!」
「結局白い四角である意味がわからないんだが!? 特に野菜ペーストがどうして白いんだ!?」
「ビタミン摂取用のは主原料がもやしと合成ビタミンで、繊維の方は主原料が雪花菜だから」
「なんなんだ、その白と四角と豆類への無駄なこだわりは……!」
なにか、許せないらしい。真剣な顔で天茜は呻いている。そっと祭花は促した。
「まあとりあえず、食べてみなよ」
もちろん、とても不味かった。
「見た目どおりの糊食感……しかも虚無味……」
「味気ないを通りこして、食材そのものの味すらしないのはおかしいだろう……」
一口で目元を覆った二人に、衛士たちはとうとう吹きだす。
「どうですよ術師さま、〈谷底〉専用のこの社会保障食は」
「拡張現実で見た目と味と匂い上書きするから白くて四角でペーストで無味なんですけどね。……なんていうか、冒瀆的でしょう」
膨大なパターンの拡張現実を問題なく上書きするためには実際の見た目は統一されている必要があるし、味や歯ごたえはない方がいいのである。
それは理解しつつ苦笑して言う衛士に、渋い顔で天茜もうなずく。
「まったくだ。これはないと思う」
衛士たちが笑う。
今度は少し、親しみや温かさが混じったそれだ。
「皇京の術師さまがこんなの一口でも食って、そう言ってくださるだけでありがたいですよ」
「残していいっすよ術師さま。普段の新人歓迎でも、一口食わせてそれで終わりなんすから」
二人は顔を見あわせてから、首を横に振った。
「や、箸つけたんだから全部食うよ」「捨てるのは食材工場と加工工場に悪い」
そうして二人は無味乾燥な白い四角の群を言葉どおりに、……最後には八千穂国の魂の味・醬油の助力も得たが完食した。会議室を盛大な拍手と歓声が包みこんだ。
テロ対応を前に八重の術師と衛士の間に熱い絆が生まれた、ような気がしなくもなかった。
体を動かさない〈谷底〉向けの社会保障食はカロリーも軽食程度で、運動量の多い衛士や術師にはとても足りない。口直しも兼ねて基本食セットも平らげた二人と、右衛門府の防護経路経由の通信設定をしようとして祭花は気づく。そういえば。
「二人は根付、つれてないんだね」
根付の外装は官司ごとに仔犬だのカエルだのオコジョだのと異なるので(そして何故か全部かわいい系なので)、ヤエブキ機関ではなんだろうと実は楽しみにしていたのだが。
ピカ=ピカも小首を傾げる。
「結界の向こうの破竜儀式場や千万丈塔の中など、それこそわたくしどものような物理端末が必要でしょうに。〝補助脳〟を導入していらっしゃるのですか?」
補助脳──生体素材の電算端末を体内に導入するのは、官人でも珍しいが無い話でもない。軍人に多い眼球硝子体内の〈鍛冶師〉や技術系官人が好む脊柱左右の〈羽白鷲〉や。
ああ、と天茜がまばたいた。
彼らからすればごく当たり前のことを、問われて初めて説明の必要に思い至った顔で。
「八重の術師は身体機能を強化改造してるから、その一環で」