ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

二 ①

 彼らが人間でないことは知っていた。

 鋭い犬歯。かかとが高くて関節が一つ多く見える足。白目のほとんど見えない真っ黒なそうぼう

 それでも大事な、いちばん仲の良かった友達だった。


「ああ、姫さま。ちょうど仕事は終わったところですよ」「今日は何をして遊びましょうか」


 彼らが働く町工場まちこうばの、裏手の門を通ると誰もが笑って迎えてくれる。彼らも彼らの主人である工場主夫妻も、遊びにくる小さなまつりかをとても可愛かわいがってくれた。

 資材置き場を移して空けてくれた裏庭の一角で、毎日、遊んでもらった。

 まつりかは学校には行っていなくて、年の近い友達はいなくて。通いのじいやが帰ってしまうとやしきには独りきりで。

 それが寂しくて、いつもやしきを出ては彼らに遊んでもらっていた。

 その日も、きれいなリボンを主人にもらったからとまつりかの髪を結って飾ってくれて、可愛かわい可愛かわいいとめられてそれが照れくさくてでもうれしくて。

 日が暮れてやしきに帰ってから、リボンを返し忘れたと気がついてもう一度工場に向かった。

 明日でもいいのかもしれないけれど、父がいるのに独りきりのやしきにはいたくなかった。

 レトロな目覚まし時計がまだ小声で歌い始めたところで、ぱし、とたたいて切って。


裾野すその〉の超高層集合賃貸住宅アパートメントの自室の、狭苦しい寝台ベツドまつりかはうんと伸びをする。

 電子情報界ウエブネツトワーク上の個人用仮想端末にも機能はあるが、まつりかは寝る時くらい接続を切りたいタイプだ。起床を検知した環境調整AIが彼女好みの環境映像を投影し、硝子張ガラスばりの坪庭を除いた壁面全体に閑雅な竹林が重なる。

 ──ほとんど一部屋分もあるこの坪庭がなければ、もっと部屋が広いのになぁ……

 毎日のぼやきが脳裏をよぎる。やたら濃密に草木と発光性の幻獣(引き連れる珀玉はくぎよくは見えるのに、なぜか幻獣本体はいつも見えない)を配した全居室に設置が義務の坪庭は、積層森林スタツク・テラリウム同様の圧迫感を本日も無闇に放射している。というか物理的に居室の空間を圧迫している。


「ピカ=ピカ、おはよ」「おはようございます、まつりか


 スリープモードから覚めたピカ=ピカが穏やかに応じ、枕元の待機ポッドから立ちあがる。


まつりか、基本食セットのストックがあります。朝食にしますか?」

「んー、いらないかな。今日も食堂で食べる。抹茶ラテれて」


 後半は環境調整AIを経由した汎用調理器への指示だ。ヘイラッシャイ! と、小さなキッチンからいつもの変な応答が返ってくるのを聞き流しつつ、やはり小さなバスルームへ。

 出てきた時にはれたての抹茶ラテを一口含んで、衣装簞笥だんすを開けて考える。収納した就寝中に洗浄ずみの、制服の武官袍ぶかんほう単衣スキンスーツ。夏のあこめと春秋用のあわせうちきに、私服が少し。

 位袍いほうの黄色と決まっているが、その下の単衣スキンスーツうちきあこめは自由だ。今日は何色にしようかと、装束ひとそろいのホログラムをあれこれと姿見の自分に重ねて顔映りを確認する。


「おや、珍しいですね。普段は初期設定から変更しないのに」

「うるさいなあ。ちょっと、気分転換」


 訳知り顔でのぞきこんでくるのを払いのける。あこめの乳白はそのまま、単衣スキンスーツを若草色と決めて色彩変更デバイスをセット。電気刺激により繊維の微細構造が変形、構造色による色彩を変化させるさいうんおりは、単衣スキンスーツその他をそう何領なんりようも持てないした官吏の強い味方だ。

 髪を結いあげるところでまた、今日に限って妙に納得がいかなくて何度も結い直して。そんなことをしていたらすっかり家を出る時間だ。


まつりか、もう本当に出ないと電車が、」「走れば、走ればまだ間にあうから!」


 着任祝いにと贈られた、しらがい細工のはな花鈿かざしを留めて、あたふたと最終確認。うん、まあよし。あとは休憩時間に直そう。

 ピカ=ピカを定位置の頭の上に置くのももどかしく、まつりかは慌ただしく玄関を駆け出る。

 先日の〈飛蝗ヒコウ〉の瞬殺にもかかわらず、全国各地で大小のだりゆうこうは様々に蠢動しゆんどうする。その鎮圧に、摘発に、また逮捕者の聴取や尋問に、地方警察も左右衛門府えもんふも大わらわだ。

 それでも少し手が空いたタイミングで、まつりかはヤエブキ機関本部を訪れる。

 皇京おうきよう建築の主流である寝殿造りは本棟である〝寝殿〟と別棟の〝たい〟で構成され、寝殿とたいつながる。すきわた殿どのとその下のやりみずを渡り、天茜あかね碧燈あおひオフイスがある東一対ひがしいちのたいへ。

 電磁でんじごしに扇を鳴らして来訪を告げると、室内の二人はかぎょっと振り返った。


「うわ、まつりか!? タイミング最悪!」「まつりか、とりあえず耳を塞げ!」


 予想外の反応と発言に、えっ、とまつりかは立ちすくむ。

 その両耳を、次の瞬間、大きくて硬いてのひらが塞いだ。

 それはほとんど瞬時に目の前まで飛びだしてきた天茜あかねの手で、その体温と衣にみたこうまつりかはどきりとなる。

 深沈と澄み、それでいてほのかに甘い香木の──白檀びやくだんの匂い。

 ……そういえば。

 休憩時間に直そうと思っていた髪形は、出仕したらばたばたしてしまってそのままで、ばたばたしていたのだからお化粧もきっと崩れてしまっていて。だいたい帝都は空気も汚いしだから髪も服も汚れたろうし、そうだ、今は夏なんだから汗だってかいたかもしれない!

 一度帰ってシャワー浴びてから来るんだった……! とか激しく後悔して。


『かっけろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオァア!!』

「ひゃあっ!?」


 ものすごい絶叫が檜皮葺ひわだぶきの屋根の上から降ってきた。

 あさっての方向に思考を飛ばしていたまつりかは、そのこともあって飛びあがるほど驚く。

 そしてその反応に我に返った様子で、天茜あかねがびくっと体ごと手を引いた。


「……悪い。その、つい咄嗟とつさに」


 まあたしかに、会って間もない異性を相手にしていい接触ではないと言えばそのとおりではあるが。先日はかつぎあげまでしたのだから今更ではあるのだし。


「き、気にしないで。だってかばってくれたんだもの……」


 なんだか知らないが今の、騒音すら通りこして凶器みたいな大絶叫から。

 はっとまつりかは思い至る。自分をかばい、両手で耳を塞いでくれていたのなら。


天茜あかねは平気だったの? 今の音」

「聴覚、というか感覚系は全部、任意で遮断できるから」


 同じくかばおうとして出遅れたのか、半端はんぱに踏み出した姿勢の碧燈あおひもそれは同様のようで、一人無防備に絶叫にさらされたピカ=ピカだけが緊迫して周囲を見回している。


「なっ、なっ、なんです!? なにかの警報ですか!?」

「そ、そうだよ。今のなに? やっぱり警報!?」


 ばっと顔をあげたまつりかに、碧燈あおひが首を振る。


「や、終業のチャイム」

「……え?」「はい?」

「終業のチャイム」

の術師は夜が業務の中心だから就業時間がずれるが、ヤエブキ機関でも事務方は、他の庁舎と同じように朝から動いてるから」


 淡々と天茜あかねが補足して、それから首をかしげた。


「ああそう、まつりかは俺たちに合わせると残業続きになるんじゃないか? 儀式の当番じゃなければ、こちらも時間の調整はできるが」

「あ、それは大丈夫。ヤエブキ機関と協同の間はひるよる結番シフトになってるから」


 ピカ=ピカはまだぱちぱちとまばたきをしている。


「いえ、その、そうではなくて。……チャイムなんですか? あれが!?」

「おう。そとみやの全庁舎で毎日元気に、朝八時と夕方五時と昼休憩前後の大絶叫ぶっぱなすニワトリ型機巧自在からくりじざい、その名も〝カケロー〟くんです」

「官庁仕様の機巧自在からくりじざいを開発している陰陽寮おんみようりよう陰陽方おんみようがたはなんというか……思いついたジョークと他人の迷惑がバッティングしたら迷わずジョークを選ぶたぐいの馬鹿しかいないんだ」

「ええー……」

「結局バカって言ってるんじゃ濁そうとした意味ねえじゃん天茜あかね。素直にマッドサイエンティスト集団って言っちまおうぜ」


 それもそうか、とうなずいて天茜あかねは言い直した。


陰陽寮おんみようりようはマッドサイエンティストの馬鹿ぞろいだから」

「悪口が合体しちゃった!?」「しかもさりげなく陰陽寮おんみようりよう全体に対象を広げましたね!?」