解析方による推奨踏破路の直線が、歪な螺旋を円柱のホールに描く。角膜上に表示されているだけ、実際には存在しない光の回廊を見上げつつ、碧燈は次の経由点へと跳び移る。
破竜儀式場は四街区を占有し、周囲を三重の結界、また一街区幅の霊木林が囲む。左右衛門府が警衛を務めるのは、総計十六街区にも及ぶその更に外側だ。
その警衛の一員である祭花からは、だから、天茜たちの戦闘は全く見えない。
今日は堕竜講の襲撃への備えとして、強化外骨格と電磁加速狙撃銃に身を固める。全域が臣民禁足区域である涙町の、積層森林外周に設けられた無骨な銃座。この近さでも中が見えないほどに枝葉の重なる人工森林の硝子壁の向こう、予想外の近さで獣の息遣いが過ぎる。
配属以来もう何度も、こなした儀式場の警衛任務だ。
それなのに今日は、酷く胸底がざわつく。
儀式場にいるのが自分の知った人間で、その人が今まさに七堕との死闘に身を投じていて自分はそれを見守ることもできないという現状が、胸底を焦燥と不安で絞りあげる。
「──嬢。警衛任務中だ。気を散らすな」
狙撃の間の祭花の護衛を務める、人型使役衛士の斑牙が特有の端的な言葉で言ってよこす。人型使役としては珍しく無愛想な偉丈夫は、新人の祭花のサポートも行うベテラン衛士だ。
「っ、ごめん」
慌てて祭花は余計な感情を脳裏から追い出し、担当する射界に目を戻す。そう、警衛だって立派な天茜たちの支援だ。六年前にはやはり堕竜講が破竜儀式場を襲撃し、八重の術師に犠牲者さえ出たという。堕竜講が再び蠢動を始めた今、同じことを目論まないわけがない。
そして──今度は、そんなことには決してさせない。
胴を裂かんと薙がれた釼に、側方回転の慣性を瞬時に殺して即応したのは空戦の覇者たる蜻蛉の矜持というものだろう。逆方向への再反転により〈夢路〉は尖った六足を天茜に向け、六足全てを斬り砕かれるのと引換に胴体を守った。
失速を利用し、大蜻蛉は急速降下して離脱。
追撃の砲撃系霊術──光の霊性を帯びるがゆえに七堕には特に有効な《烈光砲》を紡ぎかけ、天茜は小さく舌打ちした。上空、〈凌霄〉がその鋼鉄の翼を空振りさせる気配。
〈夢路〉が零した血の如き闇が、六足が崩れて変じた無音が、夜の大気を侵蝕する。
ビルの壁面がぐずりと朽ちる。虫の足先が伝うような微細な痛みが、けれど、装束と皮膚の二重の《装甲霊鱗》、さらには強大な霊力そのものに護られた天茜の膚にたしかに届き──
「《響け》」
《烈光砲》をキャンセルして放った《言霊》が侵蝕を祓い、夜気が清澄を取り戻す。大気の侵蝕による失速から解放され、鋼鉄の大鷹が改めて〈夢路〉を猛追する。
七堕とは滅びの化身、その身を構成するのは滅びそのものである〝堕素〟だ。七堕が振りまくものは攻撃の霊術も傷つき零す血肉も、全てが万物への呪詛であり侵蝕となる。
触れれば朽ち、熔ろけ落ち、塵灰と化して消え失せる。それは生き物もそうでないものも、水も大気も焰さえもが同様に。
七堕との戦闘は、だから、その身を構成する堕素を霊術を以て削ぎ落としつつ、降り零されては天地を侵す堕素を折に触れて祓い清める、その繰り返しになる。
間合いを広く取って再び上空に舞い戻った〈夢路〉の裂けた左目が、斬られた六脚が、溢れる堕素を材料として元の形を取り戻す。垂れた脳髄は形を変え、歪な第二の大顎と化した。そうであるから翅を狙うのは、機動力を奪うには意味がない。
七堕に特有の火焰唐草の霊術陣が再び展開。より威力を高めた《呪詛砲》の多重起動。
……今度はさすがに、容易く返せるような出力ではないか。
解放したグリア系を霊術の演算に割りあて、天茜もまた《烈光砲》を多重展開する。八重の術師固有の霊術陣・臥鴉丸と《照準呪》の四巴が組みあわさった状態で複数出現。
斉射された光条と灰焰が夜風を焼き、あるいは侵蝕して、惹かれあうように激突した。
千万丈塔による経由点通過の判定はちょっとどうかと思うくらい厳しく、直径一尺の範囲から一寸踏み外しただけでも床面に叩き落とされ、その階最初の経由点からやり直すことになる。経由点が光ってくれるような親切さは、もちろんあるはずがない。
そんでもって各経由点を順序どおりに、最短距離で回るべく算出された解析方の推奨ルートは、踏破専用に設計された碧燈でさえも無茶言うなよと言いたくなるような代物だ。
……ここで背面宙返りでバルコニー裏の経由点踏んで。そのまま蹴りだして一気に五階まで降りて。そこの円柱の経由点クリアして、その次の経由点が真上の電灯……ってまたひでぇルートだな。垂直の柱踏んで垂直跳びしろってか。できるけどさぁ。
曲芸をしつつの綱渡りのようなもの、それも全力疾走での曲芸綱渡りだ。件の電灯を軍靴で踏みつつ次の踏破路を確認、──また面倒極まりない。
頭の隅はげんなりしつつも、体は停滞なく踏み出してなおも速度をあげていく。狩猟豹のトップスピードを、鶻鳥の降下速度さえもとうに踏み越え、獣にも鳥にも慮外の高速へ。
踏破儀式は三つの手順からなり、それぞれに専門の術師が置かれる。
一つは開城。総計三十五万八千階を下から順に、各階を鎖す〝門番〟を破壊して上階への道行きを切り開く先兵。
二つ目は解析。各階層でそれぞれ異なる経由点と通過順序、トラップや敵性仮想精霊の出現位置を洗いだし、最も効率的な踏破路を算出して踏破方に提示する水先案内。
最後の一つが踏破だ。開城方が切り開いた各階層を、解析方が割りだした踏破路に従って駆けあがる、千万丈塔『踏破』儀式の仕上げにして要。
道を拓くは開城方に、調べるは解析方に任せる踏破方は一見、ただ駆け登るだけのようだ。
けれど、その『だけ』こそが、踏破方に課される過酷だ。
開城方も解析方も、その成果は世代を越えての蓄積が可能だ。一度開城方が倒した門番は復活することはなく、解析方が割りだした踏破路とトラップ配置は変化することがない。最下層から一層ずつ、千年をかけて開城と解析とを積みあげていくことができる。
一方で踏破方の成果は、他者への引き継ぎができない。
すなわち先代の跡を継いだ踏破術師は、先代が最後に到達した階層ではなく最下層の第一階から、再び踏破を行わねばならない。最終的には一階から最上階まで三十五万八千階を一人で登りきる、そのために必要な踏破速度は一晩におよそ二百階層。踏破路次第では数百令里にもなる道のりを、虚ノ刻の二時間で走破するかたちだ。
なるほど瞬間的になら、その速度に至る鳥獣もいる。数時間を駆ける持久力なら鍛錬した人間も持つ。だが、瞬間的にしか出せないはずの高速を以て数時間を疾走する、それは専用に設計された踏破術師の身体機能をしてもなお、己の限界に挑む過酷だ。
ホールを登り、下り、フロアを駆けぬけて、やがて碧燈は万華鏡天井の真下へと至る。
人工角膜の表示機能が、注意喚起の点滅でそのメッセージを示す。
幾度目とも知れぬ《烈光砲》と《呪詛砲》が、またしても激突して対消滅する。