大顎を嚙み鳴らして〈夢路〉は霊術陣を再展開し、天茜もまた釼を鳴らして霊術陣を構築。絡みあう火焰唐草と、四羽の鴉が翼を広げて円を描く臥鴉丸が同時に完成、斉射。
互いに互いを撃墜しあう光条と灰焰の下、駆けぬけた天茜と高空から落ちかかった〈凌霄〉が上下から大蜻蛉を挟撃する。堕素の血を撒き散らしながらも逃れた〈夢路〉が続けざまの《呪詛砲》を天茜に放ち、釼の一振りで祓い散らして天茜は応射の光条を放つ。
零れた血と《呪詛砲》の堕素を、袖につけた鳴玉の瓊音でまとめて祓った。
斬り飛ばしても即座に再生する七堕を相手の戦闘は、けれど今や明確に天茜の優勢へと傾いている。〈凌霄〉も含めた手数はすでに〈夢路〉を上回り、七堕ばかりが輝く闇の血を流す。
筋力増強に伴う敏捷性は無論、神経反応速度も思考速度も八重の術師は強化されている。
加えてニューロン系の支援と全身の戦闘機能の制御を行うグリア演算系。酸素の運搬能を強化した血液と大量の酸素を取りこむ強靱な心肺。戦闘解放時のみ稼動する細胞内小器官を無数に追加され、莫大なエネルギーを生みだす全身の細胞。消費される大量のグリコーゲンを貯蔵しまた吸収するために、肝臓を含む消化器系までもが多大な改造を施されている。
全ては七堕との戦闘と、その確実なる討滅のために。
そして七堕との戦闘で、敗死することのないように。
破竜儀式にて七堕を討滅する破竜術師は、同時に、踏破儀式においては千万丈塔を物理界面に繫ぎとめるアンカーの役割を果たす。
七堕との戦闘で破竜術師全員が死亡すれば、塔は虚ノ刻の終了を待たずに霊理界面へと戻る。一人の戦死くらいならば残る三人で耐えられるが、それを超えれば残る破竜術師もまた負担に耐えかね、死亡する危険が高くなる。
そして塔が幽世に沈む際、塔内部の術師は現世と幽世の境界に擦り潰されて死亡する。
共に戦う仲間を、ペアを組む相方を生還させるために、破竜方には敗北も死も許されない。
ビル街上空は、ここも千万丈塔の第一階として万華鏡天井の繚乱の光だ。彩霞の緋に輝く空を背に跳躍・滞空した天茜は〈夢路〉を見下ろす。
幾度も堕素の血を零し、消耗し、もはや機巧自在さえ振り払えない滅びの竜。
これなら 通る。
「もう墜ちろ。──《響け》」
玲瓏。
周囲の大気が瞬時に凍りついたかのように、大蜻蛉がぎしりと硬直した。
《禁呪》。すなわち、禁ずる呪い。
鳥を禁じれば啼かず、水を禁じれば流れず、獣を禁じたなら身動きも叶わぬ。万物の動作や効力を封じて自他への害を防ぐ術であり、天茜が最も得意とする霊術だ。
宙を飛ぶ大蜻蛉を禁じたならば、当然。
飛ぶこと能わず、地に墜ちる。
外骨格が砕ける生々しい響きで、〈夢路〉は舗装路に叩きつけられた。
踏破路の回廊上に示された金色の八重山吹の紋様は、経由点とも異なる停止位置の指示だ。各階の踏破において経由点通過と共に必須の、もう一つの手順。
万華鏡天井のちょうど真下のその場所で、結界の足場を構築して碧燈は空中に足を止める。速度を緩い回転に変えて逃がし、その動作で風を生みだし領巾のようにその風を纏う。
「──《一》」
りん、と鈴音が鳴る。
すらりと宙を薙いだ真神の釼の、青い光が残像のように軌跡に残る。
「《二、三、四、五、六、七、八》」
唱える、それは天地の霊性を我が身に取りこむ《鎮魂》。そして己が霊力を振るわせ、震わせ、揮うことで天地をも奮いたたせる《鎮魂》の言霊だ。数を重ねるごとに存思するのはこの国の八つの神宝、九重の皇家とその流れを汲む術師家門の血脈に今なお宿り息づく神威。
内なるその神宝を。その霊威を。
振るえ。震え。奮え。揮え。
「──《ふるえ》!」
凜冽と釼が鳴る。あるいは放射された膨大な霊力が。碧燈の体そのものが。
青く輝く臥鴉丸の霊術紋が展開、霊力の波紋と化してフロア全体に広がる。百貨店の階層に満ちていた千万丈塔の霊性に浸透し、行き渡って混ざりあい満ちる。今や一つとなった両者の霊力は、寄せた波が返るように碧燈へと流れこみ、その霊体に満ちて熔けた。
二十二万五千七百三十五階と碧燈とが、一つの音響で響き震えて奮わせあう。
頭上、万華鏡と回転する天井が中央に分断を走らせ、流動する幾何学模様の花弁に変わる。
俯いた蕾が綻ぶように開いて、この階層の踏破を終えた術師に次階層への通路を示した。
花弁の扉の向こう、続くはずの次の階層は、けれど見えない。
千万丈塔は霊術により構築された儀式の場、人の造った最大の建造物を再現しているだけでその建造物そのものではなく、内部もまた階層ごとに別空間だ。
提示された、見えない先に。けれど怯むことなく碧燈は飛びこんだ。
ヤエブキ機関・開城方の最前線。三十四万五千九百九十八階。
開城未了階層の純白の空間で、開城術師は門番との激闘を繰り広げる。停止している今は薔薇窓めいた万華鏡天井、対峙するのは頭頂高六丈、動力系の咆哮をあげる金属の巨人。
各階層の門番とは、古今の戦場で用いられた兵器だ。
それこそ古代の二輪戦車から千年前の戦艦、最新鋭の無人群体戦闘機。この階の門番である人型兵器・戦神機甲や、騰化竜機に電磁加速式多脚列車砲のような実在しない兵器さえ。
強化改造されているとはいえ生身の人間が、対峙するべき敵では本来ない。七堕との死闘をこなす破竜術師と同程度に、殉職率が高いのが開城術師だ。
開城方の少年術師に、けれど恐れの色はない。笑みすら浮かべて彼は戦神機甲を相手取る。
解析方は踏破儀式で唯一、複数階層で同時に手順を進めることが可能だ。《縮地》の霊術陣を経由し、二人の解析術師は三十四万五千とんで五百二十二階と二十三階へ。
千万丈塔内部は階層ごとに情景がまるで異なり、ある階層は太古の密林、ある階層は化石を晒す峡谷。核融合発電所に古代の神殿といった人工物も、時代も国もまるで違えて様々に。
解析方の少女術師が担当する二十二階は連合王国の王立図書館の再現だ。改造により極限まで高められた霊的知覚で霊性の偏在を確認し、まずは隠された経由点を探して少女は歩く。
周囲を旋回する〈凰尾〉からの警告に、弾かれたように振り返った。
高温を帯びた霊体反応が急速に接近。燃焼の敵性仮想精霊。千万丈塔の防衛機構だ。
それも──探査と精密分析に特化され、戦闘向きの設計ではない解析方には厳しい強さの。
破竜儀式場を覆う呪禁師の《禁足》と《認識阻害》、外部への流れ弾を防ぐ霊木林の《戦場隔壁》の三重の結界は電波をも遮断し、だから衛士の通信は上空の機巧自在を経由する。
その無線網が突如、騒然となるから祭花は息を吞む。
誰か負傷したようだ。《禁足》の一部解除の連絡。予備待機の破竜術師が出動する通達。
ただし直近の呪禁師らには動きがない……負傷者は天茜でも碧燈でもない。
そのことに少し安堵しつつも、氷の手で内腑を摑まれるような恐怖は去っていかない。