ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

二 ⑥

 だって万一、二人が同じようにをしたとしてもまつりかには助けに行くことができない。

 万物への侵蝕しんしよくたる七堕ナナエを前にすればそれだけで、霊力のまもりを持たない一咲ひとえは消滅してしまうのだ。まして七堕ナナエを撃退できるはずもなく、だから二人の助けにもなれない。

 一咲ひとえであるまつりかには、無力な一咲ひとえまつりかには所詮、術師の二人と共に戦う力なんてない。

 父を、友人たちを誰一人、救う力もなかったのと同じに。


「……お父さま」


 七堕ナナエとは死をらい続けてめこみ、限界まで膨れあがった滅びの化身だ。

 その身を構成するの全てをはらい、浄化することで七堕ナナエの討滅は完了する。

きんじゆ》により地に縫い留められた大蜻蛉メガネウラを見下ろして、天茜あかねはまず《逆手さかて》を打つ。

 八千穂国やちほのくに古来のじんぎじゆつには、音を媒介とするものが多い。

 手を打つ音。鈴のり。瓊音ぬなと手草たぐさささ椿つばきの葉擦れ。衣鳴きぬなり。弓弦ゆづるを引き鳴らし、足を踏み鳴らし、米粒をうちかわらけを割る音さえも、霊術の媒介として行使する。


「《ひとふたいつなな》」


鎮魂みたまふり》のことだま。《鎮魂たましずめ》のことだま。天地の霊性と響きあい、己を震わせ奮いたたせることで、天地の間の万物を霊力で満たす。

 それは眼前の、哀れな滅びの竜さえも。

 再び《逆手さかて》。袖の玲瓏もゆらに鳴り響く。ゆらかした袖がさらさらと鳴る。

 指先を天に向けて打つ《かしわで》とは逆、地に向けて打つ《逆手さかて》はすなわち《かしわで》の奏上・敬意・祈願の逆。宣言にして命令、意志の行使。


「──《ふるえ》」


 青く輝く臥鴉丸ふせからすまる──浄化の霊術陣がせいれつな水流のように一帯に広がり、そしていかなるけがれをもみこみ清めるあおうなばらのように、倒れた七堕ナナエと全てのとをみこんだ。

 かはもちろんかいせきがたから事前説明ブリーフイングを受けていたし、全力で汎用防御の《白瓊シラニガキ》結界を張った上で《》をとにかくフル稼働かどうさせろ、とも警告されていた。


「──うおっ!?」


 それでも出現と同時に結界壁にのしかかったとんでもないに、碧燈あおひは思わずうめく。

 二十二万五千八百九十七階。──たぶん水深何千メートルとかの、どこぞの海溝の底である。


「最悪……!」


 踏破ももう終盤、というか今日はこの階層が最後だろう。残る霊力量と踏破予測時間を計算し、最後まで結界を維持できると判断。わめきながらも碧燈あおひは踏み出す。やっぱり存在する頭上のまんげきよう天井の光が、本来無明の闇であるこの深海の階層でだけはありがたい。

 ゆらりと襲いくる目の無い何かや降りくるくじらの死骸に邪魔をされつつどうにか《鎮魂たましずめ》までをこなして、辿たどりついた次の階層、前略九十八階の真っ昼間の砂漠で大の字になった。


「うあ──……きっっっっつかったぁー……!」


 砂漠の陽光は熱いというより最早もはや痛いが、今はどうでもいい。とにかく動きたくない。明日の踏破はこの、痛いほど苛烈な陽光の下から始まるとかいう嫌な事実も今は考えたくない。


「……そんで。あいつも今日も無事だよな……?」


 頭上、ぎらつく陽光の階層では全く不自然にそこにある、まんげきよう天井の回転が停止する。

 ウロトキの終了。──千万丈塔せんまんじようとうからの退出時刻だ。

 ビル街がかき消える。アンカーが外れる。金剛の塔が音もなくほどけていく。

 見上げる天茜あかねかたわらに、とん、とからともなく飛び降りてくるかたちで碧燈あおひが戻る。


「ただいまー。今日の七堕ナナエなに?」


 夕飯の献立でも聞くような調子だ。いちべつして無傷なことを確かめ、天茜あかねは端的に応じる。


蜻蛉とんぼだ。大きさ三丈十メートルの」

「……七堕ナナエ、見た目は生き物再現してるくせにサイズはほんと無茶苦茶だよな……」


 千万丈塔せんまんじようとうが空の向こうに消えて、帝都の星の少ない夜空が戻る。三重の結界が解除。儀式前後の破竜儀式場を清めるはら使えしほうきやら熊手くまでやら水圧洗浄機やらをかついでどやどやとやってきて、顔なじみの彼らと挨拶を交わしつつ、入れ替わりに二人は儀式場を出た。

 儀式場を囲む霊木の暗い森の向こう、感じ取った霊紋は儀式開始時にはいなかった同僚のもので、天茜あかねは片眉を上げる。予備戦力として待機するはりゆうがたペアの片割れ。夜叉伏やしやぶし

 今日の開城方かいじようがたまいくじやく瀕死ひんしの重傷を負おうが退かないから、かいせきがたのどちらかが負傷したのだろう。ペアの破竜術師は搬送に抜けさせ、代わって七堕ナナエの討滅にあたったようだ。

 そのせいだろうか。


「──お帰りなさい、二人とも」


 出迎えてくれたまつりかは、なんだか泣きだしそうな。ひどくうちひしがれた顔をしていた。

 新米が無力感にさいなまれていようがお構いなしに、だりゆうこうは暗躍し捜査機関は摘発する。新たに発覚したテロ計画の、鎮圧協力を依頼にまつりかはヤエブキ機関本部を訪れる。

 説明を聞いて天茜あかね碧燈あおひも、まずは盛大に顔をしかめている。


「──帝都最大のだりゆうこうシンヘイヂズ〉を中心とした、帝都同時多発七堕ナナエテロ」

「そんで帝都どころか皇畿おうきの主だっただりゆうこう全部が参加予定か。そんだけいりゃたしかに、複数個所かしよの同時襲撃もできなくもねえよな」

「うん。……決行日は明日、九日くのひの夜。〈スミゾメ〉迎撃の戦力が整わないうちに、複数の七堕ナナエを招喚して政府の対処能力を飽和させ、帝都官庁を全て占拠。〈スミゾメ〉迎撃準備のサボタージュを交渉材料に、ここのえの一族の王権廃止、みかどの退位を要求する……って」

しんへいもつねいしんを斬る、どころか直接暗君をしいすか。……左右衛門府えもんふ呪禁寮じゆごんりようの帝都管轄局を飽和させたところで、単に軍の中央即応師団が出動するだけなんだが」


 あきれた調子で天茜あかねが言うとおり、計画自体は想定が甘すぎて机上の空論だ。国家間の戦争こそ行われなくなって久しいものの──各国とも、もう戦争どころではない──統治の基盤たる暴力装置、すなわち軍はどの王家も手放していない。そもそも仮にも中央官庁の警備を、しろうとがそうそう突破できるはずもないのだ。

 だから計画の中で唯一実現性があり、そして当のだりゆうこうの想定をも超えた脅威と──政権転覆の交渉材料どころか国家滅亡の端緒ともなりかねないのは。


七堕ナナエ招喚だけは、準備と運しだいだよな。〈シンヘイ〉くらいでかいだりゆうこうなら、から小火器だの薬物だのを仕入れる金もあるだろうし」

「それだけじゃないの。そもそもこのテロ計画はの取引活性化から発覚したんだけど、参加組織全員に行き渡るだけの〝りゆうかせい〟を購入してる」


 霊力を持たず霊術を使えない一咲ひとえに、けれど人外の怪力と俊敏、竜鱗りゆうりんよろいを備えた竜人への変化へんげの術を付与する秘薬。古くからだりゆうこうが用いてきた彼らの切り札である。

 天茜あかねの表情が険しくなる。


「竜を模した簡易版の《》を──霊術製の装甲外骨格パワードスーツを使用者にまとわせる霊薬、だったな。……生身の、それも民間人が相手なら一方的に殺傷できる。皇畿おうきの主だっただりゆうこう全員が竜人になったなら、たしかに七堕ナナエを呼べるだけの虐殺さえ不可能じゃない」

「そんで薬さえあればすぐ戦力を増やせるのがりゆうかせいみたいなだしな……。の被害が多くても七堕ナナエ招喚のにえになっちまうから、確実に防ぐなら戦力整えねえと」