街路樹の大榎の群はのしかかるように街路にかぶさり、飛び交う大紫蝶は数が多すぎて不気味な鬼火のようで。何かの小動物の眼光すら炯と煌めく葉叢の下、なるほど、と天茜は思考に沈む。何度粛清されても絶えない堕竜講の跳梁も、臣民の七堕への憧れも。
破壊とは、ある種の支配だ。
現行秩序の破壊を望むのも自己破壊に繫がる嗜好も、──他者に奪われた自分自身の支配権を、どうにかして己が元に取り戻したい願望の表れでもある。
それがわかってしまったのが、……少しだけ、嫌だった。
パレード会場の一つ・沙町は〈野平〉南端の、治安の良くない商業地区だ。原色の看板とやっぱり育ちすぎの街路樹でごみごみとした繁華街を、ファストフードチェーンの一杯百貨の安いドリンクを片手に、いかにも放課後遊びにきた学生みたいな顔で祭花たちは歩く。
この辺りは塵霧が特に濃くて、北から南へ、社会階層と共に海抜も下る帝都は湿気と大気汚染も南へ流れて溜まるせいだ。こんな場末でも歩道の一部は透明パネルで、下の水路を景観維持の花鯉などが泳ぐのだがそれさえも何故か真っ黒な真鯉と泥鰌と山椒魚ばかり。
一口ごとに味の変わるドリンクの紙コップを、変わる仕組みが気になったのか碧燈が開けて見ようとしたから祭花は止める。
「見ない方がいいよ。こう、すごい見た目してるから」
言ってる傍から天茜がプラスチックの蓋を開けて、見なかったことにしてそっと閉じた。
なるほど碧燈が言うとおり、天茜って真顔で変なボケを飛ばすなぁと祭花は思う。
御所ではどう見ても碧燈が弟だと思ったけれど、今だとよくわからない感じだ。天茜はときどき抜けているというかずれているし、碧燈はそんな天茜をよく見ていて把握しているし。
そしてなんとなく、そう言ったら碧燈は渾身の得意顔をして天茜は真剣にショックを受けるんだろうなとも思って、祭花は黙っておくことにした。
見なかったことにしているくらいなのだから聞かなければいいのに、碧燈が問う。
「なんだったの」
「強いて言うなら原色で七色のウミウシだが……微妙に痙攣していたのはなんなんだ……?」
「え、だってまだ生きてるから」
きょとんと祭花は答えて、二人はそろって沈黙した。まだ?
無造作に捨てられている紙コップやら経木やら竹の皮やらをよけつつ、まだ明るいうちから賑わう繁華街のその外れへ。火のついた煙草の吸殻だけはないのは、高温多湿の気候がら草鞋や草履、革サンダル履きが多い八千穂国人の最低限のマナーだ。
隣区へと続く高架道路から、眼下に広がる画一的なコンクリートの街並みを見下ろした。
「沙町のパレードの襲撃目標はこの〝投捨谷〟だったな」
「うん。〈谷底〉は他のみんなから嫌われてて、だから気楽に排除しろとか言えちゃうから」
〈野平〉各地に分散配置された、無業の下級臣民の居住地区〈谷底〉。
棺桶ほどの個室しかない社会保障住宅。例の無味乾燥な社会保障食。日常の世話をする機巧自在。それらを拡張現実で豪邸と美食と嬌姿の従者に変え、これも社会保障として提供される刺激的な仮想現実に日がな一日耽溺するばかりの棄民の街だ。
どんな出自でも素質と努力次第で高等教育を受けられるこの国で、その努力を怠って〈谷底〉に堕ちた怠惰無能の穀潰しと、強烈に侮蔑される下級臣民の。
それにしたってあまりに無機質にうち棄てられた街に、天茜は険しく目を眇めている。
「〈神兵〉の襲撃先はまだしも朝廷関係だが、パレードは無関係の弱者に憂さ晴らしをしたいだけか。みっともない」
「うん。……だから絶対とめなきゃ」
ドラッグも使って昂奮した群衆なんか、何をしたっておかしくない。
紙コップをつい握り潰してしまって、少し残っていた中身が零れてあっと声をあげる。
懐紙を出そうとおたつく祭花に天茜が今日は彼の手巾をさしだし、声を検知した〈ニコモ〉──半丈ほどの饅頭型の筐体にふわふわの毛並みの清掃機巧自在が近づく。同型だが一万余斤サイズでごわごわの〈アラモ〉、空を巡る大気浄化幻獣・ジンベエザメ型の〈ヒロモ〉とトビエイ型の〈サモノ〉と共に、帝都や各都市で親しまれる働き者の掃除係だ。
つぶらな光学センサを祭花に、ついで天茜と碧燈にも向けて大口を開けるのに、それぞれご苦労さまと労いつつ飲み終えた紙コップを渡す。げろりと吞みこんでふよふよと去る、白い背中を見送ってから碧燈が話を元に戻す。
……そういえばまだ生きてるのに捨てて良かったのか? とか天茜が呟いたのは、碧燈は聞かなかったことにしたようで、祭花は問題ないので流した。飲み終えたなら生きてない。
「迎撃戦力置くなら、あっちの輸送専用路の分岐のとこかな。てか、他に降りる道ないし。沙町の路は狭すぎて戦闘に向かねえし」
指したのは〈谷底〉へと下るガソリン・トラック専用路だ。帝都外周にまとめられた輸送専用路の高架群から延び、繁華街と〈谷底〉へと分かれる分岐点。
外周部にほど近いこの沙町からは巨獣の群とも帝都を囲む鉄檻とも見える、輸送専用路の高架群を塵霧ごしに見やりつつ祭花はうなずく。
「〈谷底〉の人たちは個室の外にも出ないし、中級以上の臣民は〈谷底〉に用事とかないから、社会保障食配達のトラック以外出入りしないんだよね。だから道も輸送専用路しかないの」
「それでこの道も、〈谷底〉には降りない高架道路なわけか……」
〈谷底〉の頭上を全く通り過ぎて隣区へと続く、高架の向こうに視線をやって天茜が嘆息する。三人の間にしばし、落ちた沈黙に、不意に第三者の声が飛びこむ。
「──信徒諸君! 諸君はなぜ緋衣の僭主に、僭神の角蛇に諾々と従うのか!?」
繁華街へ向け演説するのは初老の男性だ。信徒の平等を掲げる救世主教の、……平等を追求しすぎて極端まで突っ走った結果、個人の権利完全廃止の思想に至った異端会派の僧服。
当然、特権階級などは絶対滅殺対象、存在すら許されない大罪人である。
「王侯とは神を騙る詐欺師、なかでも帝は〈谷底〉を贄と喰らって不老長寿を保つおぞましき怪物であり、ココノエ機関とはその血を引く汚らわしき角蛇である! ──信徒諸君! 今こそ正しき思想に目覚め、我らと共に暴虐の蛇を滅ぼそうではないか!」
反応は、〈谷底〉からも繁華街からも皆無だ。内容以前にたぶん誰も聞いてない。
そして反政府活動もこんな他愛もない演説だけなら、普段は厳重注意と国民データベースへの要注意記載くらいで済む。捜査機関のリソースも無限ではないのだ。同様に、角蛇呼ばわりくらいでいちいち不敬罪に問うほど、九重の皇家も暇ではない。
ただし、〈野辺ノ墨染〉迎撃に備え、堕竜講征伐使が編成されている今は話が別だ。
天茜が囁く。他愛もない不穏分子だが、情報源になる可能性を考慮して。
「捕らえるか?」
「ううん、もう来るから大丈夫」
近隣から通報がいったようだ。通信本部からピカ=ピカを経由してその旨が通達。
特徴的な黒茶袍の一団が僧侶を取り囲み、一人が身分証を提示。花鈿は卯の花、右衛門府。
「続きは屯所で聞かせてもらう。同行を」
長身に鋭利な容貌の、大型の猟犬を思わせる偉丈夫だ。ほとんど人間と変わらない外見の、ただし長い犬歯と踵が浮いた趾行性の足、強膜の見えない虹彩ばかりの双眸は元のままの。
汎用使役幻獣〝人型使役〟。
危険な、あるいは過酷な仕事を人に代わって担うため。有史以前から人類の忠実な相棒であった獣──犬をベースに、人の姿と言語能力、人間並みの知能を付与した改造生体である。
祭花は一つまばたいた。知りあいだ。というか狙撃の際に彼女の護衛を務めてくれている、
「あれ、斑牙?」