ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

二 ⑩

 距離は少し遠かったが、犬譲りの聴覚で聞きつけてまだらきはちらりと目を向ける。


「ああ、これは。いつも夜食ではお世話に」


 みの軽食屋の看板娘と会ったかのように言う。すぐにまつりかも察した。

 彼女は今、の術師を連れている。パレード自体は陽動であるのだからが警戒していて当然だが、だりゆうこうに知らせてやる必要はない。幸いまつりか天茜あかねたちも私服姿で、根付にも民間用のダウングレード版がある。と術師だとは言わなければバレない。


「ご苦労さまです、まだらき。パトロールですか?」


 本当は軽装機動隊の一員として、明日のパレード警備の打ち合わせにきていたのだろう。

 まだらきは無愛想な彼には本当に珍しく、仔犬こいぬをからかう猟犬のような顔をした。


「ええ。……お嬢さんはデートですね? 邪魔をしてしまって申し訳ない」


 不意打ちに、まつりかは真っ赤になった。


「ちっ、ちっ、ちっ、違うもん! デートじゃないもん!」

「それも両手に花とは羨ましい」

「だから違うってば! まだデートじゃないんだから!」


 まだ、とげんなりピカ=ピカがつぶやいたが、まつりかは自分の失言に気づく余裕もない。かたわらで天茜あかねはきょとんとしていて碧燈あおひは遠い目をしている。

 まだらきまつりかをからかう間にも他のは僧侶を拘束し、あらがって僧侶は敢然とえる。


「見よ! これぞつのへびの手先たる化物いぬ、暴力をもつて支配するココノエ機関の罪のあかしだ! しかし恐れるな信徒諸君! 我が導きのもと、まずはこのばけいぬらを打ち殺すのだ!」


 思わずきつと、まつりかは僧侶をにらみつけた。

 そして仮想現実に夢中の〈たにぞこ〉はやっぱり無反応だったが、繁華街からは今度は真剣なブーイングと手近なゴミが一斉に投げ返されて、僧侶は思いきりうろたえた。

 人型使役ハシタは軍の兵卒を皮切りに、や警官といった治安維持に農業・工業の生産分野、輸送や石油藻養殖場や分子分解再生工場ゴミ処分場などのインフラ、学校に〈めぐの家〉に公共施設の職員まで、ありとあらゆる分野で活躍する人類の頼れる相棒種だ。

 そんでもって改造元の犬に由来する本能と製造時の刷りこみで人間が大好きな彼らは、それはもうひとなつこくて親切なので、人間の側もたいてい人型使役ハシタが好きなのである。

 一度は世話になったことのある彼らを、化物だの打ち殺せだのと言われたら腹もたつ。

 けれど、それではお嬢さん失礼しますね! とか、演技に乗った他の人型使役ハシタにも挨拶されて、そのとき一斉に向いたまっくろなそうぼうまつりかはこっそり硬直する。

 隠したつもりだったがかたわらの天茜あかねは気づいたらしい。一同が去ってからそっと問うてきた。


「苦手なのか?」


 からいのは嫌いか? とでも言うような軽い声音だったが、慌ててまつりかは首を振る。


「まさか! 子供のときにたくさん遊んでもらってたし、だから嫌いじゃないよ! 編入した義務教育校でもそうだしのみんなも可愛かわいがってくれるし。ただ……」


 ただ。


「お父さまが死んだ時に、遊んでくれてた人型使役ハシタの人たちも一緒に七堕ナナエにばらばらにされたから。それを思いだして、ときどき、……駄目」


 無惨むざんに引き裂かれた、友達だった彼ら。自身の血の海にてんと転がった頭部。

 今もまだどこかに残るてついた衝撃に眩暈めまいが生じて、その頼りなく揺らいだ思考のままに、くつもりのなかった疑念がぽろりと口をついて出た。


「……ねえ。七堕ナナエに殺されるのは役立たずでだからみんなに嫌われてる、この国にも誰にも要らない人間だって、ほんと?」


 七堕ナナエによる日ごとの死者は、

 帝都が社会階層で分断されているように。同じテロへの警備でも官僚や術師の住居、重要な工業地帯である〈かわぎし〉と、無益な〈たにぞこ〉とでは戦力配分が異なるように。有為な二華ふたえと無力な一咲ひとえとでは身分自体が違うように。

 この国ではしばしば、皇家おうけにとって有用かいなかでなにもかもが変わる。そのように。


「獣と同じで、七堕ナナエは弱い人間から襲うから。孤立してればそれだけ、七堕ナナエには襲いやすいから。だからあらかじめ〈たにぞこ〉に集めて他の街を守るおとりにしてるって、ほんと……?」


 ここのえ皇家おうけにとって無益であった父が帝都へと追われ、七堕ナナエに襲われて死んだように。

 天茜あかねはしばし、沈黙した。


「……七堕ナナエは生き物じゃない。弱い獲物から襲うなんて獣の道理もなければ、獲物を選ぶ意志もない。理不尽な、災害みたいなものだ。……運悪く遭遇して殺されただけの犠牲者を当人や遺族の非みたいに言うのは、そう言った人間こそ弱いからだろう」


 公正世界仮説。防衛機制。そういうものの一つ。

 世界の理不尽を、不条理を、そのままに受け入れることが出来ない人の弱さの表れだ。


「……うん、」

「だから父君が殺されたのは父君の罪じゃないし、ましてやまつりかへの罰でもない」


 はじかれたように見返した。

 天茜あかねは自分こそ、痛みを堪えるような顔をしていた。


「そう言っているように聞こえたから。今日だけじゃなくて、一昨日おとといの踏破儀式の後からずっと。……自分が弱いせいだったのか、と」


 父が死んだのは、守れなかった自分のせいではないか。自分が一咲ひとえだから、霊力がないから──無力だからそれが、いけなかったんじゃないのか。

 弱さは、でも、罪ではなくて。

 だから──罰でもなくて。


花鈿かざしだけでも帰ってきてほしいと思うくらい、いなくなったことがつらいんだろう。それなら嫌われているから狙われたわけじゃない。……まつりかのせいじゃない」


 まつりかが父を、嫌ってしまったせいではなくて。

 そもそもまつりかは──本当には父を嫌っていたわけでもなくて。

 唇が震えた。知らず、ぽろりと涙がこぼれた。


「……うん」


 ぼそりと碧燈あおひが口を挟んだ。


「それは完全同意なんだけど。普段やらねえことしたせいでうまくいかなくって、結局へこませてんだから全然ダメじゃんお前、……ってぇ!」


 言葉の途中で天茜あかねが蹴飛ばして碧燈あおひが数歩よろめいて、それでようやくまつりかも気づく。普段からにぎやかな碧燈あおひはともかく、やたら雑談を振って変な冗談をさくれつさせていた天茜あかねふるまい

 傷に触れたと察して、ずっと気遣ってくれていたのだ。

 いててとか言いながら碧燈あおひが戻ってきて、言ってるわりに全然痛そうでもなく続けた。


「まあそんなわけで。気にしなくていいよまつりかまつりかにも他の遺族にも追い打ちで侮辱のそんな言葉、平気で言えるやつの方がおかしいんだから」


 天茜あかねは割と容赦なく蹴ったのに立ち直り早いなと思って、そう、その碧燈あおひ限定の容赦のなさにもおかしくなって、まつりかは小さく吹きだした。

 泣きながらだったからひどく無様な顔だったろうけれど、……笑えたのがうれしかった。


「うん。……ありがとう、二人とも」

「ところでまつりか人型使役ハシタを見ると父君の死を思いだすなら、俺たちの普段の直衣のうしはそれこそ平気なのか? おうぞくの出なら、父君は帝都でも直衣のうしさげ直衣のうしを着ていたろうに」

「あそっか。どうするまつりか? きついってんなら次から第二制服のでも着るし、なんなら報告とかも俺らが帝都に出るようにするけど」

「あっえっと、じゃあ軍服見てみたいかな……じゃなくって! それは平気! 服はほら、だって位袍いほうだから見慣れてるし、皇京おうきようももっと見たいし! だから大丈夫だから!」

「ならいいが……」「無理すんなよ?」「大丈夫だいじょうぶ!」

「いえまつりか。……軍服は一度着ていただきましょう。口を滑らせるくらい見たいのですから」

「ピカ=ピカ!」


 イルチャリガの戦天使。

 と、羽化精うかせいによる変化後の姿を、若い乱用者たちは好んで称する。

 救世主教のうたう唯一神も天使も、特別な感じがあっていい。千年前に全世界でしたという最初のだりゆうこう・イルチャリガも唯一無二でいい。そもそも羽化精うかせいとは七堕ナナエに選ばれた戦士・竜人に次ぐ第二の戦士となるためのものだ。

 特別になりたい。選ばれたい。そうじゃないのだからこそ、せめて一生に一度くらい。

 帝都各地のパレード会場は、ここ沙町いさごちようの繁華街も、そんな即席の天使でごった返す。