距離は少し遠かったが、犬譲りの聴覚で聞きつけて斑牙はちらりと目を向ける。
「ああ、これはお嬢さん。いつも夜食ではお世話に」
馴染みの軽食屋の看板娘と会ったかのように言う。すぐに祭花も察した。
彼女は今、八重の術師を連れている。パレード自体は陽動であるのだから衛士が警戒していて当然だが、追加戦力を堕竜講に知らせてやる必要はない。幸い祭花も天茜たちも私服姿で、根付にも民間用のダウングレード版がある。衛士と術師だとは言わなければバレない。
「ご苦労さまです、斑牙さん。パトロールですか?」
本当は軽装機動隊の一員として、明日のパレード警備の打ち合わせにきていたのだろう。
斑牙は無愛想な彼には本当に珍しく、仔犬をからかう猟犬のような顔をした。
「ええ。……お嬢さんはデートですね? 邪魔をしてしまって申し訳ない」
不意打ちに、祭花は真っ赤になった。
「ちっ、ちっ、ちっ、違うもん! デートじゃないもん!」
「それも両手に花とは羨ましい」
「だから違うってば! まだデートじゃないんだから!」
まだ、とげんなりピカ=ピカが呟いたが、祭花は自分の失言に気づく余裕もない。傍らで天茜はきょとんとしていて碧燈は遠い目をしている。
斑牙が祭花をからかう間にも他の衛士は僧侶を拘束し、抗って僧侶は敢然と吼える。
「見よ! これぞ角蛇の手先たる化物狗、暴力を以て支配するココノエ機関の罪の証だ! しかし恐れるな信徒諸君! 我が導きの下、まずはこの化狗らを打ち殺すのだ!」
思わず仡と、祭花は僧侶を睨みつけた。
そして仮想現実に夢中の〈谷底〉はやっぱり無反応だったが、繁華街からは今度は真剣なブーイングと手近なゴミが一斉に投げ返されて、僧侶は思いきりうろたえた。
人型使役は軍の兵卒を皮切りに、衛士や警官といった治安維持に農業・工業の生産分野、輸送や石油藻養殖場や分子分解再生工場などのインフラ、学校に〈愛し子の家〉に公共施設の職員まで、ありとあらゆる分野で活躍する人類の頼れる相棒種だ。
そんでもって改造元の犬に由来する本能と製造時の刷りこみで人間が大好きな彼らは、それはもう人懐こくて親切なので、人間の側もたいてい人型使役が好きなのである。
一度は世話になったことのある彼らを、化物だの打ち殺せだのと言われたら腹もたつ。
けれど、それではお嬢さん失礼しますね! とか、演技に乗った他の人型使役衛士にも挨拶されて、そのとき一斉に向いたまっくろな双眸に祭花はこっそり硬直する。
隠したつもりだったが傍らの天茜は気づいたらしい。一同が去ってからそっと問うてきた。
「苦手なのか?」
辛いのは嫌いか? とでも言うような軽い声音だったが、慌てて祭花は首を振る。
「まさか! 子供のときにたくさん遊んでもらってたし、だから嫌いじゃないよ! 編入した義務教育校でもそうだし衛士のみんなも可愛がってくれるし。ただ……」
ただ。
「お父さまが死んだ時に、遊んでくれてた人型使役の人たちも一緒に七堕にばらばらにされたから。それを思いだして、ときどき、……駄目」
無惨に引き裂かれた、友達だった彼ら。自身の血の海にてんと転がった頭部。
今もまだどこかに残る凍てついた衝撃に眩暈が生じて、その頼りなく揺らいだ思考のままに、訊くつもりのなかった疑念がぽろりと口をついて出た。
「……ねえ。七堕に殺されるのは役立たずでだからみんなに嫌われてる、この国にも誰にも要らない人間だって、ほんと?」
七堕による日ごとの死者は、はっきりと〈谷底〉に集中している。
帝都が社会階層で分断されているように。同じテロへの警備でも官僚や術師の住居、重要な工業地帯である〈河岸〉と、無益な〈谷底〉とでは戦力配分が異なるように。有為な二華と無力な一咲とでは身分自体が違うように。
この国ではしばしば、皇家にとって有用か否かでなにもかもが変わる。そのように。
「獣と同じで、七堕は弱い人間から襲うから。孤立してればそれだけ、七堕には襲いやすいから。だからあらかじめ〈谷底〉に集めて他の街を守る囮にしてるって、ほんと……?」
九重の皇家にとって無益であった父が帝都へと追われ、七堕に襲われて死んだように。
天茜はしばし、沈黙した。
「……七堕は生き物じゃない。弱い獲物から襲うなんて獣の道理もなければ、獲物を選ぶ意志もない。理不尽な、災害みたいなものだ。……運悪く遭遇して殺されただけの犠牲者を当人や遺族の非みたいに言うのは、そう言った人間こそ弱いからだろう」
公正世界仮説。防衛機制。そういうものの一つ。
世界の理不尽を、不条理を、そのままに受け入れることが出来ない人の弱さの表れだ。
「……うん、」
「だから父君が殺されたのは父君の罪じゃないし、ましてや祭花への罰でもない」
弾かれたように見返した。
天茜は自分こそ、痛みを堪えるような顔をしていた。
「そう言っているように聞こえたから。今日だけじゃなくて、一昨日の踏破儀式の後からずっと。……自分が弱いせいだったのか、と」
父が死んだのは、守れなかった自分のせいではないか。自分が一咲だから、霊力がないから──無力だからそれが、いけなかったんじゃないのか。
弱さは、でも、罪ではなくて。
だから──罰でもなくて。
「花鈿だけでも帰ってきてほしいと思うくらい、いなくなったことがつらいんだろう。それなら嫌われているから狙われたわけじゃない。……祭花のせいじゃない」
祭花が父を、嫌ってしまったせいではなくて。
そもそも祭花は──本当には父を嫌っていたわけでもなくて。
唇が震えた。知らず、ぽろりと涙が零れた。
「……うん」
ぼそりと碧燈が口を挟んだ。
「それは完全同意なんだけど。普段やらねえことしたせいでうまくいかなくって、結局へこませてんだから全然ダメじゃんお前、……痛ってぇ!」
言葉の途中で天茜が蹴飛ばして碧燈が数歩よろめいて、それでようやく祭花も気づく。普段から賑やかな碧燈はともかく、やたら雑談を振って変な冗談を炸裂させていた天茜の振舞。
傷に触れたと察して、ずっと気遣ってくれていたのだ。
いててとか言いながら碧燈が戻ってきて、言ってるわりに全然痛そうでもなく続けた。
「まあそんなわけで。気にしなくていいよ祭花。祭花にも他の遺族にも追い打ちで侮辱のそんな言葉、平気で言える奴の方がおかしいんだから」
天茜は割と容赦なく蹴ったのに立ち直り早いなと思って、そう、その碧燈限定の容赦のなさにもおかしくなって、祭花は小さく吹きだした。
泣きながらだったからひどく無様な顔だったろうけれど、……笑えたのが嬉しかった。
「うん。……ありがとう、二人とも」
「ところで祭花。人型使役を見ると父君の死を思いだすなら、俺たちの普段の直衣はそれこそ平気なのか? 皇族の出なら、父君は帝都でも直衣か下直衣を着ていたろうに」
「あそっか。どうする祭花? きついってんなら次から第二制服の略礼軍服でも着るし、なんなら報告とかも俺らが帝都に出るようにするけど」
「あっえっと、じゃあ軍服見てみたいかな……じゃなくって! それは平気! 服はほら、衛士だって位袍だから見慣れてるし、皇京ももっと見たいし! だから大丈夫だから!」
「ならいいが……」「無理すんなよ?」「大丈夫だいじょうぶ!」
「いえ祭花。……軍服は一度着ていただきましょう。口を滑らせるくらい見たいのですから」
「ピカ=ピカ!」
イルチャリガの戦天使。
と、羽化精による変化後の姿を、若い乱用者たちは好んで称する。
救世主教の謳う唯一神も天使も、特別な感じがあっていい。千年前に全世界で活躍したという最初の堕竜講・イルチャリガも唯一無二でいい。そもそも羽化精とは七堕に選ばれた戦士・竜人に次ぐ第二の戦士となるためのものだ。選ばれた者になれる霊薬だ。
特別になりたい。選ばれたい。そうじゃないのだからこそ、せめて一生に一度くらい。
帝都各地のパレード会場は、ここ沙町の繁華街も、そんな即席の天使でごった返す。