ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

二 ⑬

 ダメージの累積により竜人の《》が解除、即座にみぞおちかかとを入れて無力化。さわやかに額の汗など拭って、たちは暴力のこうふんがもたらす満面の笑みでうなずきあった。


「制圧!」「よし、次いくぞ!」


 果たして周りの羽人うじんどもは思いきりびびって、たちが向き直ると同時に両手をあげた。

 そう、にとっては、帝都の治安維持が最優先だ。一騎打ちの誉れなんぞ知ったことではなく、刀を相手にながものひきようとかいうそしりはましてどうでもいい。


「ふっ……!」


 腰が引けたまま殴りかかる羽人うじんを、まつりか双節根フツトマンズフレイルの一撃で護身刀をへし折り、返す一撃で本人を吹っ飛ばす。板金よろいの騎士を馬上からたたとすための打撃武器だ。生身でまともにくらえば立ちあがれない。

 捕縛担当のが回収に動くのを目の端に捉えつつ次の羽人うじんをかっ飛ばしたまつりかは、少し離れた先で何かを抜き出そうとする羽人うじん見咎みとがめて瞳孔を開く。──りゆうかせい

 そうでなくて拳銃や爆弾だったとしても、使われれば周りの仲間がをする。

 もしかしたらこの羽人うじん──〈シンへイ〉のには全く背を向けている、天茜あかね碧燈あおひだって。

 ──させないっ!

 決意と共に飛び出した。敵は蜥賊トカゲ、人間だ。だから対処するべきはの自分だ。

 これくらいはせめて、七堕ナナエには対峙たいじできないのだから自分が一人で倒すべきだ。

 羽人うじんたもとからあおぐろく輝く硝子瓶アンプルつかみだされる。やはりりゆうかせい。でも。

 使うよりも、わたしが殴り飛ばす方が早い!

 双節根フツトマンズフレイルの間合い。即座に振りかぶる。鎖に引きずられたこんぼうが銀の半円を夜霧に刻む。

 そのときまつりかの眼前、竜人と化さんとする蜥賊トカゲの頭上で、突如として空間が

 夜の大通りの景色に断線が入り、左右に押し開かれる。何かがこちら側へとあふれだす。

 それはたとえば、輝く闇。

 さんざめく沈黙。甘やかな無臭。そこに確実に何かがあるのに認識できない、五感はいずれもそこに何もないと答えるから闇や沈黙と認識され、けれど本能がそこに在る何かを捉えている。輝くような、さんざめくような、甘やかに香るような、けんらんたる──虚無を。

 ぎょっと振り仰いだ蜥賊トカゲが、そのまま

 奇怪な灰色のほのおを噴きあげて消滅した彼を越え、闇の無音が今度はまつりかを認識する。

 認識されたとかわかる。

 狙いを。定められた。と。

 転瞬。

 横から飛びついた誰かがまつりかを押し伏せてかばい、同時に空間の裂け目から伸びた触腕しよくわんが戦場一帯をよこぎにした。

 軌跡上にいた不運な羽人うじんはやはりぐずりとけ、はいえんをあげるや肉片一つ残さずせる。群衆の一角があっけなく、消失。──七堕ナナエによる侵蝕しんしよくと、その果ての消滅。

 鋭い叫びが夜気を裂いた。


「ちっ、《ひとふた三四五六七八みよいつむななや》、──《ふるえ》!」


 碧燈あおひだ。りんれつと広がる鈴音と共に、七堕ナナエ触腕しよくわんが激しく跳ね飛ばされる。

 触腕しよくわんはそのまま空間の裂け目の奥へと巻き戻り、つい目で追ったまつりかは、その先にあった巨大な眼球に見据えられてひ、と息をんだ。

 奇妙に人に似ていながら一切の感情のない、一尺三十センチ余りの巨大な眼球。

 そして屍体したいはだめいて白く、屍蠟しろうのごとくぬめるがいとうまくに、とげのように吸盤を連ねた強靱きようじん触腕しよくわん──無脊椎動物最大のしんえんの王、ダイオウの。

 無機質な凝視は一瞬、大王烏賊ダイオウイカ七堕ナナエは泳ぎ去るように姿を消し、空間の裂け目も続けて閉じる。こぼちた虚無の気配も共に消え、初夏の夜の鈍い熱気が一帯に戻った。

 長く細く、息を吐いた誰かがそこでようやく身を起こしてまつりかから離れた。

 白檀びやくだんの香り。

 見やってまつりかは悲鳴をあげた。


天茜あかね!?」


 夜目にもはっきりと蒼褪あおざめた顔色で、苦痛を堪える息遣いで。どうにか身は起こしたものの立ちあがれずにその場にくずおれたのは天茜あかねだった。

 真紅と月白の光を失った戦闘装束がみるみるうちに鮮血に染まる。力なく投げだされた左腕は袖の上からでもわかるくらいいて、──まつりかかばったがために天茜あかね自身は回避しきれなかったのだと、それでまつりかはわかってしまった。

 止血しようと慌てて手を伸ばして、少し身を引いて首を振られる。はっきりとした拒絶にまつりかはいよいよ泣きそうになり、それに天茜あかねがなにか言うよりも先に碧燈あおひが駆け寄った。


、──大丈夫か!?」


 焦燥もあらわにかたわらに膝をつき、傷の有無を確認する手つきでばたばたとあちこちを触っていく。明らかに重傷を負った天茜あかねには目もくれない様子に戸惑いつつまつりかは言う。


「わ、わたしはへいき……それより天茜あかねが、」

「今は天茜あかねよりお前だ! 俺や天茜あかねならともかく、お前が接触してたら命取りになる!」


 だからってこんな、目の前で血を流している天茜あかねをぜんぜん無視して。

 かっと言い返そうとした瞬間、くらりと目が回った。


「え、あ、あれ……?」


 血の気が引く。視界がみるみる暗くなり、あっというまに動けなくなった。

 周囲では七堕ナナエ触腕しよくわんを逃れたはずの羽人うじんが次々に倒れ、転がった体は既に息をしていない。

 ……そうだ。七堕ナナエとは時に。

 でも、人を死に。


「……よし。接触しちゃいないな。にあてられただけだ」


 体中をばたばた触って確かめて、少しほっとした顔で碧燈あおひは言う。


はじかえすのはできたけど、あんたかばうには俺、遠かったから。天茜あかねが間にあってよかった」


 かたわら、天茜あかねが口の中で何か唱えて──数を数えたように聞こえた──、身をむしばんでいたを散らしたのだろう。少し楽になった様子で息を吐いた。

 それならのみんなは、とどうにか見回すと《汎用防壁シラニガキ》の麻の葉紋が解除されて消えていくところだ。呪禁師じゆごんじたちがそれぞれ防壁結界を構築、近くのを守ってくれたらしい。

 その呪禁師じゆごんじの一人がやってきて、座りこむ三人をのぞきこむ。


天茜あかねくん、だいじょぶ? だいぶガッツリえぐられてたし、さすがに治癒いる?」

「……いえ」


 顔見知りなのだろう、気安い口調と物腰の彼女に小さく首を振って。


「ですがすみません、俺と碧燈あおひはここで抜けてもいいですか?」

天茜あかねいいよ、浄化したからって無理にしやべんな。……暗香くらかさんすんません。天茜あかねもそうですけど、まつりかも回復させないとまずいんで」


 呪禁師じゆごんじの女性は小さく首をかしげた。呪禁寮じゆごんりよう花鈿かざしこうばいの花。


一咲ひとえ用の鎮酒しづき呪禁師じゆごんじとんじよにも用意があるけど……天茜あかねくんは換装もあるものね。任せて。破竜儀式以外の七堕ナナエは、そもそも呪禁寮うちが担当なんだから」


 一対の大きなかざきりばね虚空こくうから地に突き立ち、増殖して円筒状の翼の壁を形成。引き戸を開けるように開くと中から人が現れる。あるいは中の人間がどこかに消える。

 破竜儀式場の警衛任務でまつりかが見た長距離転移の霊術《しゆくち》はそういうもので、まつりか自身が中に入って移動するのはこれが二回目だ。沙町いさごちようから皇京おうきようまで、帝都をほぼ縦断するのは一度の《しゆくち》では難しいようで、また移動する側の感覚では一瞬だが実際の移動時間は数分はかかっているらしい。碧燈あおひが何度か双翼の霊術陣を展開して御所の大門前に到着した時には、すでにヤエブキ機関のいりようがたが迎えに来ていた。

 天茜あかねは治療設備があるという機関本部のきたにのたいへ。まつりか碧燈あおひに連れられて寝殿に昇る。