ダメージの累積により竜人の《加速竜鎧》が解除、即座に鳩尾に踵を入れて無力化。さわやかに額の汗など拭って、衛士たちは暴力の昂奮がもたらす満面の笑みでうなずきあった。
「制圧!」「よし、次いくぞ!」
果たして周りの羽人どもは思いきりびびって、衛士たちが向き直ると同時に両手をあげた。
そう、衛士にとっては、帝都の治安維持が最優先だ。一騎打ちの誉れなんぞ知ったことではなく、刀を相手に長物は卑怯とかいう誹りはましてどうでもいい。
「ふっ……!」
腰が引けたまま殴りかかる羽人を、祭花は双節根の一撃で護身刀をへし折り、返す一撃で本人を吹っ飛ばす。板金鎧の騎士を馬上から叩き落とすための打撃武器だ。生身でまともにくらえば立ちあがれない。
捕縛担当の衛士が回収に動くのを目の端に捉えつつ次の羽人をかっ飛ばした祭花は、少し離れた先で何かを抜き出そうとする羽人を見咎めて瞳孔を開く。──竜化精。
そうでなくて拳銃や爆弾だったとしても、使われれば周りの仲間が怪我をする。
もしかしたらこの羽人──〈神兵〉の構成員には全く背を向けている、天茜や碧燈だって。
──させないっ!
決意と共に飛び出した。敵は蜥賊、人間だ。だから対処するべきは衛士の自分だ。
これくらいはせめて、七堕には対峙できないのだから自分が一人で倒すべきだ。
羽人の袂から蒼黒く輝く硝子瓶が摑みだされる。やはり竜化精。でも。
使うよりも、わたしが殴り飛ばす方が早い!
双節根の間合い。即座に振りかぶる。鎖に引きずられた棍棒が銀の半円を夜霧に刻む。
そのとき祭花の眼前、竜人と化さんとする蜥賊の頭上で、突如として空間が裂けた。
夜の大通りの景色に断線が入り、左右に押し開かれる。何かがこちら側へと溢れだす。
それはたとえば、輝く闇。
さんざめく沈黙。甘やかな無臭。そこに確実に何かがあるのに認識できない、五感はいずれもそこに何もないと答えるから闇や沈黙と認識され、けれど本能がそこに在る何かを捉えている。輝くような、さんざめくような、甘やかに香るような、絢爛たる──虚無を。
ぎょっと振り仰いだ蜥賊が、そのまま熔ける。
奇怪な灰色の焰を噴きあげて消滅した彼を越え、闇の無音が今度は祭花を認識する。
認識されたと何故かわかる。
狙いを。定められた。と。
転瞬。
横から飛びついた誰かが祭花を押し伏せて庇い、同時に空間の裂け目から伸びた触腕が戦場一帯を横薙ぎにした。
軌跡上にいた不運な羽人はやはりぐずりと熔け、灰焰をあげるや肉片一つ残さず燃え失せる。群衆の一角があっけなく、ごっそりと消失。──七堕による侵蝕と、その果ての消滅。
鋭い叫びが夜気を裂いた。
「ちっ、《一二三四五六七八》、──《ふるえ》!」
碧燈だ。凜冽と広がる鈴音と共に、七堕の触腕が激しく跳ね飛ばされる。
触腕はそのまま空間の裂け目の奥へと巻き戻り、つい目で追った祭花は、その先にあった巨大な眼球に見据えられてひ、と息を吞んだ。
奇妙に人に似ていながら一切の感情のない、一尺余りの巨大な眼球。
そして屍体の膚めいて白く、屍蠟のごとくぬめる外套膜に、棘のように吸盤を連ねた強靱な触腕──無脊椎動物最大の深淵の王、大王烏賊の。
無機質な凝視は一瞬、大王烏賊の七堕は泳ぎ去るように姿を消し、空間の裂け目も続けて閉じる。零れ落ちた虚無の気配も共に消え、初夏の夜の鈍い熱気が一帯に戻った。
長く細く、息を吐いた誰かがそこでようやく身を起こして祭花から離れた。
白檀の香り。
見やって祭花は悲鳴をあげた。
「天茜!?」
夜目にもはっきりと蒼褪めた顔色で、苦痛を堪える息遣いで。どうにか身は起こしたものの立ちあがれずにその場にくずおれたのは天茜だった。
真紅と月白の光を失った戦闘装束がみるみるうちに鮮血に染まる。力なく投げだされた左腕は袖の上からでもわかるくらい欠けていて、──祭花を庇ったがために天茜自身は回避しきれなかったのだと、それで祭花はわかってしまった。
止血しようと慌てて手を伸ばして、少し身を引いて首を振られる。はっきりとした拒絶に祭花はいよいよ泣きそうになり、それに天茜がなにか言うよりも先に碧燈が駆け寄った。
「祭花、──大丈夫か!?」
焦燥も露わに傍らに膝をつき、傷の有無を確認する手つきでばたばたとあちこちを触っていく。明らかに重傷を負った天茜には目もくれない様子に戸惑いつつ祭花は言う。
「わ、わたしはへいき……それより天茜が、」
「今は天茜よりお前だ! 俺や天茜ならともかく、お前が接触してたら命取りになる!」
だからってこんな、目の前で血を流している天茜をぜんぜん無視して。
かっと言い返そうとした瞬間、くらりと目が回った。
「え、あ、あれ……?」
血の気が引く。視界がみるみる暗くなり、あっというまに動けなくなった。
周囲では七堕の触腕を逃れたはずの羽人が次々に倒れ、転がった体は既に息をしていない。
……そうだ。七堕とは時に。
近づいただけでも、人を死に。
「……よし。接触しちゃいないな。堕素にあてられただけだ」
体中をばたばた触って確かめて、少しほっとした顔で碧燈は言う。
「弾き返すのはできたけど、あんた庇うには俺、遠かったから。天茜が間にあってよかった」
傍ら、天茜が口の中で何か唱えて──数を数えたように聞こえた──、身を蝕んでいた堕素を散らしたのだろう。少し楽になった様子で息を吐いた。
それなら衛士のみんなは、とどうにか見回すと《汎用防壁》の麻の葉紋が解除されて消えていくところだ。呪禁師たちがそれぞれ防壁結界を構築、近くの衛士を守ってくれたらしい。
その呪禁師の一人がやってきて、座りこむ三人を覗きこむ。
「天茜くん、だいじょぶ? だいぶガッツリ抉られてたし、さすがに治癒いる?」
「……いえ」
顔見知りなのだろう、気安い口調と物腰の彼女に小さく首を振って。
「ですがすみません、俺と碧燈はここで抜けてもいいですか?」
「天茜いいよ、浄化したからって無理に喋んな。……暗香さんすんません。天茜もそうですけど、祭花も回復させないとまずいんで」
呪禁師の女性は小さく首を傾げた。呪禁寮の花鈿の紅梅の花。
「一咲用の鎮酒は呪禁師屯所にも用意があるけど……天茜くんは換装もあるものね。任せて。破竜儀式以外の七堕は、そもそも呪禁寮が担当なんだから」
一対の大きな風切羽が虚空から地に突き立ち、増殖して円筒状の翼の壁を形成。引き戸を開けるように開くと中から人が現れる。あるいは中の人間がどこかに消える。
破竜儀式場の警衛任務で祭花が見た長距離転移の霊術《縮地》はそういうもので、祭花自身が中に入って移動するのはこれが二回目だ。沙町から皇京まで、帝都をほぼ縦断するのは一度の《縮地》では難しいようで、また移動する側の感覚では一瞬だが実際の移動時間は数分はかかっているらしい。碧燈が何度か双翼の霊術陣を展開して御所の大門前に到着した時には、すでにヤエブキ機関の医療方が迎えに来ていた。
天茜は治療設備があるという機関本部の北二対へ。祭花は碧燈に連れられて寝殿に昇る。