ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

二 ⑭

 まつりかには初めて入る本部寝殿だが、今は見回す気力もない。長椅子の一つにどうにか座らせてもらって、心配に落ちつかない様子のピカ=ピカが肘掛けからおろおろと見上げる。

 奥のぬりごめに歩いていった碧燈あおひが、ふとつぶやくのが耳に届いた。


「……一咲ひとえに飲ませても平気な〝鎮酒しづき〟の量ってどれくらいだっけ?」


 何を飲まされるんだろうとまつりかは思ったが、声を出す気力はやはりなかった。

 そして普段、彼の疑問に答えてくれる兄の天茜あかねはここにはいない。幸い、西にいたらしい誰かがをかき分けて回答をよこした。


ひとしお鎮酒しづきさかずき三つ。碧燈あおひお前ね、そのなんでも兄貴に聞きゃいいって態度もう改めろ」


 視線をまつりかに向けたようでピカ=ピカがえしやくするが、まつりかは目も上げられない。


にあてられたな? もし接触されてたらそんな吞気のんきに迷う時間なんざなかったぞ。一咲ひとえは俺らと違って霊的な防護が皆無に近いんだから、侵蝕しんしよくされんのも早い」


 ん、と碧燈あおひは珍しく神妙にうなずく。


「わかった。……ありがとなまいくじやく


 おー、とおざなりに応じて誰かはひっこむ。かわらけ鎮酒しづきとやらを注いで碧燈あおひが戻ってくる。


「というわけで。飲んで」


 重い眼球をどうにか動かすと、金色の光で出来たような透明な液体だ。ふわ、と立ち昇る香りは比肩ひけんするものが思いつかないかぐわしさで、それだけでも少し頭がはっきりする。


「……いい匂い。これなあに?」

鎮酒しづき。霊力回復薬、って言えばいいのかな。術使いすぎたり血ィ流しすぎたりして霊力ふつていしちまった時に、外から補充するためのもの」


 明天井あかりてんじようから降り注ぐ瑠璃光るりこうしゆほしきんぎよの青い光が、夜闇をむしろ際立きわだたせる。その中で、鎮酒しづきの金の光はまるで世界を温める慕わしい陽光、あるいは万物を安らがせる月光のようだ。

 いものだと無条件に、本能が告げる。


「清浄な斎田いみだの米から抽出した、大地と水と陽光ひかりの霊力そのものだ。うまいぜ。飲んで」


 その言葉に、慕わしさに促されるまま、一口に含んだ。

 告げられたとおりの大地の匂いが、陽光の温かさが、流水のせいれつが、すがやかな風が伸びゆく茎葉の喜びが、しなだれて揺れる稲穂の充足が、へと落ちて全身に広がった。

 悪寒おかんや脱力感が一息に吹き払われる。しっかり食べてよく眠った朝のように活力が満ちて、体も思考も軽くなった。


「おいしい……!」

「だろ。七堕ナナエらすは霊力をそうさいするから、一咲ひとえがあてられると今みたいに体の霊力が足りなくなるんだ。自然回復には時間かかるから、鎮酒しづき使って補充しないといけない」


 ことんとまつりかは首をかしげる。


「でも、わたし一咲ひとえだよ。……霊力なんてそもそもないのに」


 ああ、と碧燈あおひはうなずいた。


「厳密には無いわけじゃないんだ。霊術を使えるほどには多くない、ってだけで」


 それは羽化精うかせいが、幻影霊術を発動できたのと同様に。


「霊力は生命力のみなもとだから、生きてるなら無いってことはない。心臓も脳も、体のどこも動かすには霊力が関わってる。……そう、脳だけ取りだして電子情報界ネツト上の仮想現実に『移住』する研究が、動物実験の段階で被験体が全部死んで放棄されたって話、聞いたことねぇ?」


 少し考えて、思い当たる。それに以前、重装機動隊の先輩が言っていた。


「うん。あと、全身機械改造は『八割』までしかできないって──メイン循環系にはつながなくても心臓と肺も、脳に加えて残さないといけないんだって。それと同じ?」

「それと同じ。俺ら全身生体強化者タケルも、心臓と肺を片方ずつ強化臓器に入れ替えるのはできても、両方一気に入れ替えるのはできない。肺と心臓は霊力生成の中心で、脳を動かしてるのも霊力だから、両方同時に切り離されると脳も維持できなくなっちまうんだ」


 天井の格子こうしに貼られたうすぎぬの向こう、ほしきんぎよの泳ぐ仮想水面のさざなみの影が、影と同期していたじきに投影される青い微光の波紋が、碧燈あおひにどこか神秘的な陰影を加えている。


単衣スキンスーツも護身刀も、だから、七堕ナナエに対してぜんぜん無意味ってわけじゃねぇんだ。合成培養でも絹糸は霊力を循環保持する性質があるから単衣スキンスーツは霊的な防御になるし、護身刀は手の延長として霊力を乗せやすい。まつりかみたいに鍛錬してるなら、はらくくってちゃんと当てれば七堕ナナエの防御表層くらいは突破できるから、けんせいできるんだから万一の時は諦めんなよ」


 時間さえ稼げば自分や天茜あかねが、必ず助けに行くから。

 まつりか微笑ほほえんだ。


「……うん。がんばる」


 碧燈あおひはなんだかまぶしそうな顔をして、もう一杯いっとけ、と鎮酒しづきを注いでくれた。

 さかずき三つまで、というさっきの誰かの言葉を頭にとどめつつ、ありがたく干してから問う。


「もしかして、りゆうかせいで《》を使えるようになるのも、この鎮酒しづきが関係してるの?」


 米から霊力を抽出し、一咲ひとえにも利用可能な状態にできるのなら。


羽化精うかせいも、生命力だけじゃ足りないからちょっと使ってるんだけど。そうだな。りゆうかせい化精かせいも、鎮酒しづきと同じように生き物から霊力を抽出した〝にんぎよしゆ〟が材料だ。羽化精うかせいはともかくりゆうかせいの《》には、ひとしおクラスを一瓶使っても足りないけど」

「じゃあ、材料のお米を密造? してるところを探せばりゆうかせいの製造を止められるんじゃ、」


 田畑を含め、この国の全ての土地はおうしつが所有し、特に米は全て朝廷に納められる。少なくとも臣民の市場には出回らないから、だりゆうこうが米を得たければ自分で育てるしかない。

 ただし山野の開墾など一発で監視衛星に見つかるのだから、屋内の植物工場だろう。それも不自然な電力消費や排熱から検出できる。時々摘発される闇のサーバと同じだ。


にんぎよしゆの材料は米じゃないんだけど、探し方が同じなのはまあそうだな。生き物だし。だから〈纐纈染しぼりぞめ〉からこっち、地道に探してたたいてもらってる」

「そうなんだ。……それもそうか」


 りゆうかせいの材料がにんぎよしゆとやらだとヤエブキ機関は──朝廷は知っていたのだから、それはとっくに対処もしているだろう。まつりかはちょっと肩を落として、碧燈あおひは苦笑する。


「地道に捜査してたたいてくれてるのは全国の警察と、まつりかたち衛門府えもんふだよ。りゆうかせいの量産につながるような規模のでかいにんぎよしゆ工場は、だから、あらかた見つけて潰してある。今回のせいばつりゆうかせいの生産自体、停止に追いこめるはずだ」

「……そのはずだったんだが、状況が変わった。調査と摘発はやり直しになる」


 苦く言ったのは治療を終えて戻ってきた天茜あかねで、碧燈あおひが少しずれて長椅子の場所をあける。


「やり直し? てかお帰り。お前も鎮酒しづきいる?」

「いや。このくらいの消耗なら一晩寝れば戻る」


 言う、天茜あかねの左袖は中身がなくて、まつりかはぎょっとなったが碧燈あおひは平然と問いを続ける。


「あれ、まるごと交換になったの?」

侵蝕しんしよくが傷を経由して腕の骨全体に及んだからな。みたら内側はほぼ駄目だった」


 まつりかはまだぎょっとなったままだ。


「……うで、とれちゃったの?」


 あっと二人は息をんだ。


「取れてない取れてない! 外しただけ!」

「元々どの部位も簡単に外せる仕組みになってるんだ、損傷時に換装しやすいように」


 再び西庇にしびさしがかき分けられて、さっきの誰かが顔を出した。


「……お前らなぁ。外のやつに俺らの基準で話してやんな。ふつう体の一部は外せねぇし取れたらおおだし、だからなくなってたら驚くんだよ。いい加減にしろこの世間知らずども」


 で、言いたいことだけ言ってまたひっこんだ。気まずく二人はうなずく。


「……そうだな。悪かった」「ごめん」