ほら見なさい、だいたい動かなくて邪魔だからと外すものでもないといつも言っているでしょう、と女性医官が天茜をひっぱっていって、戻ってきた天茜は今度は左腕を吊っていて。
つまり外した左腕をつけ直したのだろうが、全くの部品扱いに祭花はむしろ胸が悪くなる。
「……痛くないの?」
「痛覚は遮断できるから、特には」
おそるおそる聞いて、平然と言われる。祭花はけれどぎゅっと顔を歪めた。
天茜はもう慣れてしまっているのか、そうやってなんでもないことのように言うけれど。
「遮断してるんならそうするくらい痛いんじゃないの。それは痛くないって言わないよ……」
天茜は一瞬、虚をつかれた顔をした。
それからなんだか、肩の力が抜けるみたいに笑った。
「そうだな」
傍らの碧燈はなにやら露骨に南庭の前栽に目をやり、ピカ=ピカはおもむろに羽づくろいをはじめて、気づいた風もなく天茜が続ける。
「それと、さっきは悪かった。手当てをしてくれようとしたのに拒否して」
「えっ、ううん! だって堕素に触らないようにって考えてくれたんでしょ。わたしこそありがとう。助けてくれて」
ところで碧燈が今度は扇で自分をあおぎ始めたのはなんなのだろう。寝殿はまだ鋼蔀も硝子蔀も降ろしてなくて、涼しく夜風が吹き抜けてるんだから暑いわけないのに。
「碧燈さま……わたくしどもはこっそり席を外した方がよろしいような」
「俺もそうしたいけど、そういうわけにもいかないだろ。まだ話の途中なんだから」
挙句ひそひそと言いあっている。きょとんと見つめる祭花と、不審げに見やった双子の兄に、嫌そうに息を吐いて碧燈は言った。
「そろそろ話戻すけど。……状況が変わったって?」
天茜はまだ怪訝そうなままだったが、とりあえずうなずく。
「ああ。先ほどの七堕の出現が単なる偶然ならいいが、こちらの把握していない招喚手段によるものだったらまずいと思って。斎王府に霊力分布の記録を確認してもらったんだ」
八千穂国全域の霊脈を──国土全体の霊力生成と循環を管理する霊術官司・斎王府。管理のために霊脈出力の常時観測も行っている彼らの、その観測結果。
「七堕出現に先立って、会場一帯の霊力総量が異常低下していたそうだ。沙町だけでなく他のパレード会場でも、七堕が出現しなかっただけで同様の霊力総量の低下が──千人ほどがまとめて死んだ時に、やや足りないくらいの低下が見られたとか」
七堕を招喚するのに、ぎりぎりで足りなくもない死者数だ。祭花も碧燈もぴんとくる。
千人以上の羽人が──羽化精服用者が集まっていた、七堕招喚パレード。
「服用者本人の生命力を、死ぬ寸前まで削って幻影の霊術にするドラッグだから、」
「大勢が羽化精を使えばそれだけ、その場の生命力と霊力の総量が下がるってことか」
「加えて、羽化精が含有する霊力は一咲が飲むには危険な量だ。全身で細胞の破裂死を誘発したはずだし、その細胞死が更なる生命力低下の要因になる。……羽化精の乱用で資金源にされるなんてものじゃない。悪意しかないな」
一汐の鎮酒を、盃三つまで。
過ぎればどうなるかは、説明されずとも祭花にも想像がついた。霊力の少ない一咲の体は、霊力の器としてもきっと小さい。水を入れすぎた袋のように、張り裂けるのだろう。
その羽化精よりも人魚酒の濃度が高い竜化精は、だから、飲まない。封印保存瓶を割り、中の液体を浴びることで《加速竜鎧》を纏うのだ。当然、堕竜講は人魚酒大量摂取の弊害をも知っているはずで、にもかかわらず飲料として羽化精を製造、蔓延させている。
堕竜講遊びの連中など死んでも構わない、むしろ死んでしまえとそういうつもりで。
「……ただ、最初っから七堕招喚薬として作ったにしては筋が通らないよな?」
そんなものがあったなら〈纐纈染〉以来、ひたすらに追いつめられる各地の堕竜講はとっくに七堕招喚に踏みきっていたろう。千人単位の服用者が必要なら、資金もなければ交友関係も狭い若年層は顧客として不適切だし、そもそも外部に蔓延させて捜査機関の目を引く必要もない。同様に〈神兵〉のパレードも、ただ服用者の数を揃える目的だけなら。
「ああ。だから当の堕竜講も七堕招喚薬の用途には気づいていなかったんだろう。ただ、だからこそ朝廷も後手に回った。〈神兵〉のパレードを招喚用途の喧伝に利用されたかたちだ」
祭花は表情を険しくする。それはつまり。
「……まだ生き残ってる堕竜講が、起死回生の手段として羽化精を利用するかも」
「羽化精を作る程度の人魚酒なら、竜化精よりはるかに小規模な設備でも量産できる。竜化精工場は撲滅したと判明している場所も、全て調査しなおすことになるな」
より危険な竜化精の撲滅を優先し、無力な羽化精は二の次としてきたがために。
虐殺が七堕招喚の儀式となるといっても、必要な犠牲は最低でも千人単位。確実を期すなら万の単位だ。テロどころか戦争や災害の域である。けれど、薬物の服用なら集めるまでもない場所はいくらでもあるし、服用だって自主的でなくて構わない。
「羽化精の製造元を叩かないと、七堕テロ対策にならないってことか」
「そういうわけだ、祭花。右衛門府でも再調査をしてくれ。……それと、」
うなずきかけた祭花は、続いた言葉に顔をあげる。
「〈神兵〉が羽化精による招喚を知らなかったなら、彼らとは別に七堕招喚薬の用途を知っていた黒幕がいる可能性が高い。そいつらとの繫がりも、あわせて追ってくれ」
「──偵察から連絡だ。〈河岸〉に向かった〈神兵〉本隊も完全に鎮圧されたよ」
「そうか。これで〈神兵〉の同時多発七堕テロは、全部失敗したことになるな」
夜目にも端麗な娘が言い、謹直に背筋を伸ばした青年が応じる。詰襟姿の男装の麗人と、インバネスに合口拵えの護身刀を差した若者の組合わせは、なにか活劇の宣伝絵のようだ。
そして立つ場は、いかにも謹厳な青年と潔癖な麗人には相応しからぬ猥雑だ。
帝都最大の歓楽街・〝歌流街〟。その『裏街』。
衛士さえも立ち入らない治外の街にして、非合法の娯楽・サービスの楽園。迷宮なす街並みは濃い霧に鎖され、裏賭博に闇闘技、違法薬物屋や人体改造医が軒を連ねる。
二人の足元など遺伝子合成の亜人を商う『雛人形屋』であり、数軒先の違法妓楼の壁面には現斎王宮を再現した合成映像のポルノ動画がでかでかとホログラム投影されている。
皇族、それもなんとかの宮の称号を持つ高位皇族を組み敷くのはAI生成のポルノでも仮想現実でも生体素材の人形遊女でも、裏歌流街の根強い人気商品だと青年はよく知っている。
「だけど俺たちの実験は成功した。〝御前〟が仰せたとおり、羽化精により七堕を招喚できる」
麗人がうなずく。決然と紅唇をひき結んで。
「それじゃあ、直剣」
「ああ、銀木犀。──我ら〈製薬〉はこれより決起する」
青年、直剣は堂々と宣言した。酒と煙草と安い香が混じる苦い夜霧にそれは硬質に落ちる。
頭上にはまるで帝都を押し拉ぐように、いつもの塔が降りている。
塵霧に沈む帝都にはまるで異質な絢爛の塔が燦然と、傲然と、穢れた夜空に君臨している。
世界救済の大霊術と、九重の皇家は謳う金剛の巨塔。千万丈塔。
眼下の民も顧みず、そのくせ民から搾り取り、それのみに皇家が注力してきた絢爛の塔。天の彼方より降り来たる、まるで誰かを──皇族どもを、天の彼方へと至らせる梯子のような。
皇家が固執するこの塔も。己ひとり清浄を保ち天空を目指す、高慢なる皇家そのものも。
「……見ていろ。今に叩き落としてやる」