ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ①

 その方がいますのは〝雲掛松くもかかりまつ〟、〈やますそ〉で最も格の高い閑静な一帯だ。

 せせこましく無粋な超高層ビルとは無縁の、ぜいたくな広い敷地しきちに古今東西の様式の邸宅が並ぶ高級住宅街。街並みに不思議な調和で溶けこむ寝殿造りの邸第やしきで、現状を報告すると女主人が微笑ほほえむ。初夏の参上をねぎらい、手づから賜ったさかずきの美酒。涼感を演出する、柱の間にめこまれた大水槽の観賞魚たち。


「そう、かようにココノエ機関は欺瞞ぎまんだらけです。権勢を維持するためなら民草の血を流すもいとわぬ、けだものにも劣る冷血の暴君の集まりです」


 宙を舞うかのように泳ぎ回る無数の観賞魚を背に、女主人は告げる。あでやかな花弁かべんのような、揺らめくほのおのような、その薄い長い尾びれの乱舞。


「彼らの欺瞞ぎまんおおやけにし、裁きを下すまであと一息。……より一層、励みなさい」


◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 今でも覚えている。

 儀式を終えて戻って、相方が儀式に失敗したと告げられた。

 その日は会わせてもらえなかった。

 ようやく対面の許可が下りて、生命維持槽の中、数多あまたの機械につながれて眠る相方を見た。

 あまりに損傷が激しすぎて、生まれた時から見慣れたはずの相方だともわからなかった。

 あまりに損傷が激しすぎて、治療しても目が覚めるかはわからないと言われた。

 その時の恐怖を、今も覚えている。

 寝苦しい夢の理由は、あの日と同じきつい消毒薬の匂いのためだろう。

 てんいりようの一室で霊術の眠りからめて、天茜あかねはまだ少しぼんやりと考える。

 高頻度の換装を想定して設計された体は身体部品を交換してもリハビリも要らなければ、癒合ゆごうに時間がかかることもない。手足どころか内臓を交換してもせいぜい半日、安静を保つだけで元どおりに動けるようになるのがの術師だ。

 パーツの癒合ゆごうと安定を待つ半日の間は霊術で眠っているので──やんちゃ盛りの十代に半日動くなと指示する無意味を、てんいりようの医官はよくよく思い知っているのだ──、目覚めてもしばらくはめきらない心地がする。もう少し眠らないかとそそのかす、心地よいまどろみの誘惑をどうにか振り切って上体を起こすと、検査着代わりの小袖こそでの襟にうろこがひっかかってれた。天茜あかねの場合には第七けいついの突起の真上にある一枚のうろこ

 の術師の体では髪と共に、生来のままの最後の部位。


「──〈スミゾメ〉の迎撃準備、あなたもお忙しいようで。半月ぶりですわね、碧燈あおひ


 固定の壁がない寝殿造りは、室内外を仕切るガラスじとみを開け放つと風が良く通る。

 せんざいなつすがしく香る寝殿で、典雅に微笑ほほえむのは碧燈あおひと同じ年頃のきやしやな少女だ。

 どこか神聖ですらある可憐かれんな面立ちに、真紅に純白を重ねる夏のひとえがさね。くれないに白の重ねはおうぞく、それも最高位のいつぽんしんのう専用のきんじきだ。皇家おうけおやがみの一柱である緋鴉あけのからすを織りだしたからぎぬと流水紋のの上に、古風にも身の丈を超える長い髪をまっすぐに流している。

 絵にかいたようなひめみこ殿下を前に、碧燈あおひは平然と片あぐらをかいている。


「んーまあ、そうは言っても俺らはおとりみたいなもんだから。あやすいれん


 あげく字名あざなを呼び捨てにした。

 それというのもこの二人、身分差を越えての友人同士なのである。碧燈あおひと今不在の天茜あかねは、勤務の合間にうちみやのこのあやすいれんの住まい・翠雨殿すいうでんに顔を出しては迎えられる間柄だ。


「迎撃本番は長官が出るから俺ら予備待機で済むし、今の征伐使せいばつしの任務だって日中の時間使うだけでほとんど遊んでるようなもんだし」


 同い年の皇京おうきよう案内したり帝都行ったり、ついでにだりゆうこうをボコったり。


「その遊んでいるような征伐使せいばつしの任務で、天茜あかねは負傷して昨日から換装に帰っているのではありませんの? 大切なお兄さまに、ひどいことをおつしやいますのね」

「兄貴は俺だっての」

「あらあら」


 口元を袖に隠してあやすいれんは笑い、碧燈あおひは居心地悪く頭をく。年齢差数分の天茜あかねはまだしも、あやすいれんはしっかり一歳年下なのに自分こそ弟分のような気がしてしまうのはなのか。


「……つか。そっちこそ忙しいんじゃないのかよあやすいれん。ココノエ機関とその外の俺らとの連絡とりまとめ、こうやって買って出てるんだろ」

「とはいえ、連絡だけですもの。……そう、その取りまとめの際に耳にしたのですけれど」


 つつつつとあやすいれんはにじり寄った。

 膝立ちで、しかもぞろぞろ長い五衣いつつぎぬまで引きずってその速度出せるか普通? と碧燈あおひが引くくらいの高速でしつこうしてきた。


「お二人が組んでいるさまと、天茜あかね。……いい雰囲気なんですの?」


 そして目がキラキラしている。もう詳しく聞きたくてたまらない、という顔だ。

 ついでに彼女の飼い猫の命婦殿みようぶのおとどもいそいそと寄ってきて、伺候しこうするによかんたちまでこっそり聞き耳を立てているようだ。

 大好き! な女性たちにやっぱりちょっと引きながら、碧燈あおひはうなずいた。


「いい雰囲気になってくれりゃいいなって思ってる」


 勘ぐりすぎだと最初の日、天茜あかねは言ったけれども、それでも。

 というか、むしろどう見ても勘ぐりすぎじゃないし既に結構いい雰囲気だし。親父おやじさんのことじゃないくらい気遣ってやって、八尋鰐やひろわにからもカケローからも速攻でかばってやって。

 この前の大王烏賊ダイオウイカ七堕ナナエについては、あれがまつりかじゃなくてもかばったろうからノーカウントだろうけれど……いや、やっぱり数えておきたい。だってポイント高い。


「もう三回くらいかばってやってるし、よく話すしよく笑うし」


 まあ素敵……と若い女官がついつぶやいて、年かさの同僚にたしなめられた。主人とその客人の会話だ、失儀がすぎる。

 当の女主人のあやすいれんはまったく気にせず、それでそれで? と身を乗りだしているのだが。


「あとそう、よく冗談も言ってるし、ちょいちょいからかってる」

「ああ! 好きな子には意地悪をしたくなる、という殿とのがたの有名なですわね!」

「生態って……あやすいれんお前な」


 ぱちんと手を打つあやすいれん碧燈あおひうめく。珍獣あつかいはさすがにやめてほしい。


「お前だ、碧燈あおひ。人のいない間に勝手な話をするな」


 そしてやってきた天茜あかねが、はっきり嫌な顔で切って捨てた。あら、とあやすいれんが肩を落とす。


「いいところでしたのに。残念」


 畳とは最初から碧燈あおひの隣にしつらえられているので、女官は茶器と菓子のたかつき天茜あかねに供してしずしずと下がる。品よく隠しているが、彼女もたいへん残念そうだ。


「ご本人がおいでの今こそ詳しく伺いたいところですけれど。換装当日くらいは天茜あかねもゆっくりお休みになりたいですわよね。無粋ながら本題に入ってもよろしいでしょうか?」


 天茜あかねは一つまばたく。先の話題は、詳しく聞かれても話すことは特にないが。


「換装後の組織定着・安定の時間は充分とったから、そう気を遣わなくても」


 やれやれとあやすいれんはため息をつく。


「こちらはこちらで、困ったお兄さまですこと。碧燈あおひうちみやまでこうして迎えに来ている、その気持ちくらい察してあげてくださいませ」


 天茜あかねはちょっと黙った。目の前で内心を暴露されて、碧燈あおひは赤い顔でそっぽを向いたが言うべきことはそのまま続けた。


「今日はコレ聞いたら帰るし、お前は明日も休みだからな。聞くのも情報共有ってだけで、本部に報告持ってくのも打ち合わせもぜんぶ俺がやるから」

「……それはいいが、真っ当に打ち合わせてくるんだろうな…………? お前のとばっちりで長官に雷を落とされるのは、俺はもうごめんだ」


 比喩ではなく物理的に、というか霊術的に。

 うるせぇ、と碧燈あおひはいよいよねて、仲のいい二人にあやすいれんはくすくす笑う。