一応は奥の席で余人に聞かれるのを避けたのだろうが、白熱のあまりにすっかりでかい声で議論しているのはどこぞの堕竜講構成員らしき数名だ。〈神兵〉に倣い〈製薬〉から〝灰白〟を仕入れようだの、そんなことより教育と称して家庭から奪われる子供らの救済をだの、まずは人型使役に掌握された軍と重要産業を奪い返すべきだだの。
顔を見合わせて、祭花と凜雪は立ちあがる。
今日は休みだし、あんな考えなしの連中はたいしたことも知らないだろうが。──〈製薬〉と名のつく堕竜講はまだ捜査線上にあがっていない。
「いくよ、ピカ=ピカ」「ええ」「頼むわね、カチ=カチ」「あいよ」
立ちあがると共に右衛門府の花鈿を髪に飾る。通報を考えていたらしい店員が、周りの席の一般客がその煌めきを目に留め、なにしろ取り締まりの大立ち回りは帝都ではいつものことなのでさっさとカウンターの裏やらテーブルの下やらに避難した。
天井の低い、障害物も多い屋内だ。鉄扇程度の短い得物がいいだろう。強化外骨格はもちろんダメだ。考えつつそっと構えた祭花を自身の体で隠して、まずは凜雪が声をかけた。
「お兄さんたち、ちょっとお話聞かせてくれる?」
果たして蜥賊どもは卯の花の花鈿を目にして硬直し、それから一斉に立ちあがった。
同時に、祭花は武装格納亜空間を解放させた。
「行きますよ祭花! ピカピカ・ピカーッ!」
「ん!? じゃあ俺は──カチカチ・カッチーン!」
「えっなにそれ。皇京の流行? 光属性に氷属性?」
「違うよ! もうピカ=ピカ、それやめてよぅ!」
世界が滅びに瀕しているという『設定』には無理があると、直剣はずっと思っていた。
滅びに吞まれて公海は消滅した。どの国にも属さず、どの王家にも守られていなかったから。滅びゆく世界でこの国が無事でいるのは、九重の皇家の守護のおかげだ。
そうであるなら、では消滅した海から生まれる雲は。毎年の台風は一体どこで生まれるというのか。国家に属さぬから公海が消滅したなら、それでは誰の所有でもない月と星と太陽は。
だから直剣は疑っている。今やそれは、確信に近く。
世界はそもそも滅びかけてなどいない。全ては九重の皇家が騙る偽りだ。
古い風刺詩そのままだ。黒い潭に龍はいない。龍を騙って肥え太る奸狐狡鼠がいるだけだ。
「──お前の祖父さんに免じて、何するつもりなのかは訊かずにいてやるがな。スグ坊」
彼の〈製薬〉は羽化精も人魚酒も製造できるが、それ以外となると専門外だ。それで親組織から購入した商品を、売主である老人は直剣に手渡しながらも苦言を呈する。
〈根の街〉の薄闇に溶けこむ黒い着流し。同じく黒い武人礼装姿の護衛を控えさせ、護衛がベルトに、老人は帯に差した合口拵えの護身刀。
それはある稼業の代名詞だ。
「こいつは文字どおりの老婆心、おいぼれのお節介ってやつだがそれでも聞いとけ。──今ならまだ降りられるぞ。ずいぶんギリギリのところだろうが、いま手ェ引くならまだお目溢しがいただける。どっかの田舎にひっこんで、ひっそり暮らしてくくらいは許される」
地の底の名を冠するとおり、〈根の街〉はどこも薄暗い。歌流街を囲む幾つかの〈谷底〉の、頭上を渡る高架道路。臣民が〈谷底〉を通らずに歌流街を訪れるための空中回廊の、裏側に設けられた妙に頑丈で整備の行き届いたメンテナンス通路の総称が〈根の街〉だ。
かつては放棄された地下鉄や地下施設の跡をそう呼んで利用したそうだが、帝都大改造から千年を経た今はさすがに一つも残っていない。
老人は言う。直剣の『親』ではなく、ただ亡き親友の孫をいさめる顔で。
「けどお前ら自身が動いちまったらもうお終いだ。連中は敵前逃亡の犬を追うほど暇じゃねえが、牙剝いたならそれが赤んぼだろうがぶち殺す程度には残忍だ。……俺たち犯罪結社の商売でさえ、その九重さまにお目溢しをいただいてるから成りたつモンなんだぞ」
妓楼に賭博場に闘技場。闇医療に裏情報界、密造小火器や禁止薬物、違法遺伝子合成生体の売買。それらを提供し、八千穂国の裏社会を牛耳る犯罪結社とその構成員を〝ブッキリ〟という。この老人は皇畿一円に勢力を誇る大犯罪結社〈寒卑の澗底〉の幹部だ。
敵対する犯罪結社をのきなみ震えあがらせたという武闘派の老将が、けれどただ苦く。
「この国を統治する九重さま相手に、お前ら〈製薬〉なんざ力不足どころじゃねえ、まさに竜の髭を蟻が狙うってもんだ。……虐殺にしかならねえぞ」
「ええ、小父さん。……わかっています。〈ヘキホウトウ製薬〉は千年前に奴らに敗北し、今の俺たちは千年前の父祖よりも遥かに弱い」
けれど、一国をも吞みこむ黒き竜なら。
羽化精を用いて呼びだすことができる、七堕という滅びの化身ならば。
六年前の〈纐纈染〉も、発端は下法士が招喚した七堕によって八重の術師が死んだことだという。踏破儀式に乱入した七堕が、そこにいた術師を喰い殺したのだと。
八重の術師という皇家の切り札さえ、七堕は殺せる。そうであるのだから。
「……我ら〈製薬〉はやはりマガイモノ、そして〈企業〉の末裔です。あなたがたのようなホンモノにはなれない。父祖の仇たる二本角の蛇に、復讐せずにはいられない」
老人の護衛の青年が──違法レベルの戦闘用機械強化を受けつつも、外見からはそうと見分けられないほどに高度な施術を受けた高価値の猟犬が、それでもぴりっと気色ばんだ。ブッキリ、特に各地の社の使役民を源流とする〝ホンモノ〟の犯罪結社は、社と神事を統括した九重の皇家を未だ崇める傾向が強い。ご先祖は九重さまの神山番を許していただいていた、九重さまの式年遷宮を任せていただいていたのだからと。
けれど老人は嘆息を一つ零しただけで、片手を振って護衛を控えさせる。
「次に──次があるつもりで言ってやるぞ。次に会う時は容赦しねえ。お前たち〈製薬〉は親の俺を裏切る。〈澗底〉の商売に穴をあけるんだ。落とし前はつけてもらうぞ」
直剣は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
老人と護衛は歌流街に去り、直剣もまた待っていた同志の娘・銀木犀と合流する。
銀木犀は興味深げに、初めて入ったろう〈根の街〉を見回している。
「どこでも常に個人特定されて、屋外で情報界接続を切るなり自動通報される朝廷の監視下で堕竜講はどうやって活動してるんだろうと思ってたけど。こういう場所があったとは」
「君でもさすがに知らなかったろ、銀木犀。犯罪結社の古くからの工夫だよ。犯罪結社を飼い犬にしたと思ってる九重の皇家の油断でもある」
各種サービスの利用に国民番号が必要な公共空間で、番号提示のための情報界接続をしないのは不審者、もしくはなんらかの保護対象者だ。いずれにせよ監視網から通報が飛ぶ。むしろ目立ってしまうから、堕竜講とて接続素子未導入とはいかないのだ。
けれど電子情報界は密務省の監視下だ、個人用仮想端末は無論のこと、接続素子自体にも監視機能がついていないとは言いきれない。同様に、私的空間である自宅や居室内さえも、ジェスチャーや音声へのセンサを備えた環境調整AIを経由して。
「……ああそうか。〈谷底〉住民は外出しないから、〈谷底〉は屋外に情報界接続基地がない。だから〈谷底〉上の高架を通るときにうっかり接続が切れてもおかしくないのか。この通路も本来は立入禁止だから──人が通らない場所だから、カメラもない」