ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ③

 一応は奥の席で余人に聞かれるのをけたのだろうが、白熱のあまりにすっかりでかい声で議論しているのはどこぞの堕竜講構成員トカゲらしき数名だ。〈シンへイ〉にならい〈セイヤク〉から〝カイハク〟を仕入れようだの、そんなことより教育と称して家庭から奪われる子供らの救済をだの、まずは人型使役ハシタに掌握された軍と重要産業を奪い返すべきだだの。

 顔を見合わせて、まつりかりんぜつは立ちあがる。

 今日は休みだし、あんな考えなしの連中はたいしたことも知らないだろうが。──〈せいやく〉と名のつくだりゆうこうはまだ捜査線上にあがっていない。


「いくよ、ピカ=ピカ」「ええ」「頼むわね、カチ=カチ」「あいよ」


 立ちあがると共に右衛門府うえもんふ花鈿かざしを髪に飾る。通報を考えていたらしい店員が、周りの席の一般客がそのきらめきを目に留め、なにしろ取り締まりの大立ち回りは帝都ではいつものことなのでさっさとカウンターの裏やらテーブルの下やらに避難した。

 天井の低い、障害物も多い屋内だ。鉄扇程度の短い得物がいいだろう。強化外骨格エクサスケルトンはもちろんダメだ。考えつつそっと構えたまつりかを自身の体で隠して、まずはりんぜつが声をかけた。


「お兄さんたち、ちょっとお話聞かせてくれる?」


 果たして蜥賊トカゲどもははな花鈿かざしを目にして硬直し、それから一斉に立ちあがった。

 同時に、まつりか武装格納亜空間ストレージを解放させた。


「行きますよまつりか! ピカピカ・ピカーッ!」

「ん!? じゃあ俺は──カチカチ・カッチーン!」

「えっなにそれ。皇京おうきようの流行? 光属性に氷属性?」

「違うよ! もうピカ=ピカ、それやめてよぅ!」


 世界が滅びにひんしているという『設定』には無理があると、直剣すぐみはずっと思っていた。

 滅びに吞まれて公海は消滅した。どの国にも属さず、どの王家にも守られていなかったから。滅びゆく世界でこの国が無事でいるのは、ここのえ皇家おうけの守護のおかげだ。

 そうであるなら、では消滅した海から生まれる雲は。毎年の台風のわきは一体どこで生まれるというのか。国家に属さぬから公海が消滅したなら、それでは誰の所有でもない月と星と太陽は。

 だから直剣すぐみは疑っている。今やそれは、確信に近く。

 世界はそもそも滅びかけてなどいない。全てはここのえ皇家おうけかたる偽りだ。

 古い風刺詩そのままだ。黒いふちに龍はいない。カミカタって肥え太る奸狐狡鼠へびがいるだけだ。


「──お前のさんに免じて、何するつもりなのかはかずにいてやるがな。


 彼の〈セイヤク〉は羽化精うかせいにんぎよしゆも製造できるが、となると専門外だ。それで親組織から購入した商品を、売主である老人は直剣すぐみに手渡しながらも苦言を呈する。


まち〉の薄闇に溶けこむ黒い着流し。同じく黒い武人礼装スーツ姿の護衛を控えさせ、護衛がベルトに、老人は帯に差した合口こしらえの護身刀。

 それはあるかぎようの代名詞だ。


「こいつは文字どおりの老婆心、おいぼれのお節介ってやつだがそれでも聞いとけ。──今ならまだ降りられるぞ。ずいぶんギリギリのところだろうが、いま手ェ引くならまだお目溢めこぼしがいただける。どっかの田舎にひっこんで、ひっそり暮らしてくくらいは許される」


 地の底ねのくにの名を冠するとおり、〈まち〉はどこも薄暗い。かりゆうがいを囲む幾つかの〈たにぞこ〉の、頭上を渡る高架道路。臣民が〈たにぞこ〉を通らずにかりゆうがいを訪れるための空中回廊の、裏側に設けられたメンテナンス通路の総称が〈まち〉だ。

 かつては放棄された地下鉄や地下施設の跡をそう呼んで利用したそうだが、帝都大改造から千年を経た今はさすがに一つも残っていない。

 老人は言う。直剣すぐみの『親』ではなく、ただき親友の孫をいさめる顔で。


「けどお前ら自身が動いちまったらもうおしまいだ。は敵前逃亡の犬を追うほど暇じゃねえが、牙いたならそれが赤んぼだろうがぶち殺す程度には残忍だ。……俺たちの商売でさえ、そのここのえさまにお目溢めこぼしをいただいてるから成りたつモンなんだぞ」


 妓楼ぎろう賭博とばくじように闘技場。闇医療に裏、密造小火器や禁止薬物、違法遺伝子合成生体ヌエナキの売買。それらを提供し、八千穂国やちほのくにの裏社会を牛耳るはんざいけつしやとその構成員を〝ブッキリ〟という。この老人は皇畿おうき一円に勢力を誇る大寒卑かんひかんてい〉の幹部だ。

 敵対するをのきなみ震えあがらせたという武闘派の老将が、けれどただ苦く。


「この国を統治するしろしめすここのえさま相手に、お前ら〈セイヤク〉なんざ力不足どころじゃねえ、まさに竜のひげありが狙うってもんだ。……虐殺にしかならねえぞ」

「ええ、さん。……わかっています。〈ヘキホウトウ製薬〉は千年前にやつらに敗北し、今の俺たちは千年前の父祖よりもはるかに弱い」


 けれど、一国をもみこむ黒きカミなら。

 羽化精うかせいを用いて呼びだすことができる、七堕ナナエという滅びの化身ならば。

 六年前の〈纐纈染しぼりぞめ〉も、発端は下法士げほうしが招喚した七堕ナナエによってことだという。踏破儀式に乱入した七堕ナナエが、そこにいた術師をい殺したのだと。

 の術師という皇家おうけの切り札さえ、七堕ナナエは殺せる。そうであるのだから。


「……我ら〈セイヤク〉はやはりマガイモノ、そして〈企業〉のまつえいです。あなたがたのようなホンモノにはなれない。父祖のかたきたるに、復讐ふくしゆうせずにはいられない」


 老人の護衛の青年が──違法レベルの戦闘用機械強化を受けつつも、外見からはそうと見分けられないほどに高度な施術を受けた高価値の猟犬が、それでもぴりっと気色ばんだ。ブッキリ、特に各地のやしろの使役民を源流とする〝ホンモノ〟のは、やしろと神事を統括したここのえ皇家おうけいまあがめる傾向が強い。ご先祖はここのえさまの神山番おやまばんを許していただいていた、ここのえさまの式年遷宮おやしろうつりを任せていただいていたのだからと。

 けれど老人は嘆息を一つこぼしただけで、片手を振って護衛を控えさせる。


「次に──つもりで言ってやるぞ。次に会う時は容赦しねえ。お前たち〈セイヤク〉は親の俺を裏切る。〈〉の商売に穴をあけるんだ。落とし前はつけてもらうぞ」


 直剣すぐみは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」


 老人と護衛はかりゆうがいに去り、直剣すぐみもまた待っていた同志の娘・ぎんもくせいと合流する。

 ぎんもくせいは興味深げに、初めて入ったろう〈まち〉を見回している。


「どこでも常に個人特定されて、屋外で接続を切るなり自動通報される朝廷の監視下でだりゆうこうはどうやって活動してるんだろうと思ってたけど。こういう場所があったとは」

「君でもさすがに知らなかったろ、ぎんもくせいの古くからの工夫だよ。を飼い犬にしたと思ってるここのえ皇家おうけの油断でもある」


 各種サービスの利用に国民番号が必要な公共空間で、番号提示のための接続をしないのは不審者、もしくはなんらかの保護対象者だ。いずれにせよ監視網から通報が飛ぶ。むしろ目立ってしまうから、だりゆうこうとて接続素子未導入とはいかないのだ。

 けれど電子情報界ウエブネツトワークみつむしようの監視下だ、個人用仮想端末は無論のこと、接続素子自体にも監視機能がついていないとは言いきれない。同様に、私的空間である自宅や居室内さえも、ジェスチャーや音声へのセンサを備えた環境調整AIを経由して。


「……ああそうか。〈たにぞこ〉住民は外出しないから、〈たにぞこ〉は屋外に情報界接続基地アクセスポイントがない。だから〈たにぞこ〉上の高架を通るときに接続が切れてもおかしくないのか。この通路も本来は立入禁止だから──人が通らない場所だから、カメラもない」