ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ④

「そうだ。その上で、かりゆうがい周辺のメンテナンス通路の通行はこのとおり黙認されている。悪所通いを隠したいやつは多いし、が減ってはだって困るからな。おかげで〈裾野すその〉の真面目な学生も、〈やますそ〉の御令嬢との悪い遊びにこっそりかりゆうがいに行けるわけさ」

裾野すその〉トップの高等学校で優秀な成績を収める直剣すぐみの冗談に、ぎんもくせいがくすくす笑う。


「楽しみにしてるよ、女衒ぜげんくん」

妓楼主ぼうはち相手じゃ冗談にならないぞ、衆議院議員閣下のお嬢さま。……ともかく、朝廷のそのお目溢めこぼしをして、がちょっとした会合や取引の場所にもしてるのがこの〈まち〉なんだ。場所が場所だからさすがに、恒久的な拠点は置けないけど」


 高架道路の裏側の空中である。足元も左右も素通しの金網、吹きさらしの日陰でひどく寒いという以上に、少しでも注意を引けば周囲一帯から丸見えだ。


目溢めこぼし、か。僕も噂には聞いていたけど、皇家おうけつながり、本当にあるんだね」

「そうでもなければ、皇京おうきようかりゆうがいやその裏街を放置するわけがない」


 や警官も滅多に立ち入らない、どれほど下卑た欲望をあらわにしても見咎みとがめられないの『自治区』。それがかりゆうがいでありうらかりゆうがいであり各都市の歓楽街だ。……そう見せかけて、実態はが官憲に代わる皇京おうきようの目となっているだけ。臣民のガス抜きの場として必要な街だから、いくらかの黙認を与えて維持しているだけだ。


「さっきの御老体みたいなホンモノは皇家おうけに顔向けできない事態を嫌うから──凶悪なだりゆうこうや仁義をわきまえないマガイモノは進んで粛清するから、皇京おうきようとしては充分な番犬なんだろうけど。……だからこうして手をまれることになる」

まち〉のように監視をかわす工夫をされる。その工夫をだりゆうこうられる。そう。


「その黙認の下、特権階級のためのを提供してきた──俺たち〈セイヤク〉にも」


 朝廷の霊力補充薬・鎮酒しづきは全国の水田で育った米を材料に製造される。これは植物が陽光と水と大地の霊力を蓄積する性質を持ち、霊力抽出源として効率的かつ経済的なためだ。

 一方で、陽光と大地から切り離された屋内でを育てるだりゆうこうにんぎよしゆの場合には、血流ながれにより霊力を生成可能な動物でなければ充分な霊力を抽出できない。

 羽化精うかせい工場から回収されたその材料を見やって、碧燈あおひは顔をしかめる。

 にんぎよしゆ材料は動物ならなんでもいいが、主流は昆虫ほど小さすぎず、けれど立体飼育できる程度に小型で雑食、成長が早く良く増える生き物だ。たとえばラット。たとえばモルモット。

 そして碧燈あおひの前の〝灰白鼠カイハクネズミ〟のような。


「……人間の脳があるからって、霊力ふえたりしないんだけどな」


 遺伝子合成によって追加された小型のヒト脳を、背中の薄皮の下に負って重たげにいずる違法改造ラットの哀れに嘆息した。ヒトの脳としては小さいといっても、ラットの体とは同程度の大きさだ。維持するのはさぞ、負担で苦しいだろう。

 人間は別段、霊的に特別な生き物ではない。霊能を持つ二華ふたえなどごく少数、一方で鳥や獣、草木にも霊力を持つ霊獣・霊木は存在する。バイオテクノロジーと霊術研究を管轄するてんやくしようは特に、その霊獣・霊木系統を数多く確保し、幻獣製造に役立てているのだ。

 一方でだりゆうこう最早もはやにんぎよしゆ材料としても有用なそれら霊獣系統を保有していない。

 なら今、だりゆうこうを構成するのは一咲ひとえばかりだ。霊力を持たず、霊理をかいさない。一咲ひとえなりに工夫した霊獣に、しんに霊力があるかを測る術さえ持ちえない。ただ下法士げほうしのこした霊術機械を原理もわからぬまま動かして、にんぎよしゆ羽化精うかせいりゆうかせいを作りだすのみ。

 それでも七堕ナナエ招喚薬という羽化精うかせいの効能が広められてしまった以上、その霊術機械をもつ羽化精うかせいはより量産されるだろう。羽化精うかせい程度の製造ならの一室程度の小規模なラット養殖場でも充分で、小規模な分だけ発見もしづらい。


「だからこそ、今のうちにだりゆうこうごとぶっ潰さねえとな」


 吐き捨て、灰白鼠カイハクネズミに手をかざした。

 構築したのは《感染霊術ヌリテ》。切り離された一部から本体へと、あるいはある個体から血のつながりを経由して別個体へと、根源が共通であることを経路として伝播でんぱする霊術。

 別種間で遺伝子導入を行った遺伝子合成生体は民間での製造が禁じられ、またヒト遺伝子を用いての遺伝子合成は政府機関でさえも厳禁だ。その禁じられた技術を保有し、扱うだりゆうこうがこの哀れなネズミを製造し、そしておそらくはパレードでの実験にもかかわっている。

 千年前、下法士げほうしと共にだりゆうこうに下った〈企業〉の生き残りが。

 赤い瞳で無心に見上げるネズミを見下ろして、碧燈あおひはふとささやいた。


「……ごめんな。


 

 各だりゆうこうの養殖場に一定品質の繁殖個体を提供するため、地下工場に保持していた灰白鼠カイハクネズミの親個体群が前触れもなく消し飛んだ。

 本拠である切見世きりみせ──最下等の妓楼ぎろうに着くなり、直剣すぐみは番頭からその報告を受ける。学生の彼に代わって実務を取り仕切る、き父の弟分。のそれもだりゆうこうとしてのそれも。

 かつての遊郭の内装を模した妓楼ぎろうの、吹き抜けのホールを進む直剣すぐみかたわらでぎんもくせいが言う。


「霊術──感染、というやつかな。灰白鼠カイハクネズミを殺したのは」

「おそらくな。販売先の養殖場の、どれかが摘発されたんだろう」


 淡々と直剣すぐみはうなずいた。そうである以上、じきにこの本拠にも官憲の手が及ぶだろうが、自分たちの計画はもう最終段階だ。追いつかれるよりも決起の方が早い。

 かつての遊郭を模し、けれど所詮は切見世きりみせだから安っぽくて、昼間の今は見られたものではないホール。自由時間のねえさんたちが、連れの若きぼうはちを認めて少しニヤニヤと微笑ほほえむ。

 彼女たちに世話を焼かれていた小さな頃から、何度も、思ったものだ。

 苦界にちた女郎にも、それだけは変わらず髪に煌めく花鈿かざし珀玉はくぎよくみかどが民に賜った守護だとうたわれ、その実は皇家おうけが民に課した監視ともささやかれる、臣民どころか人としても認められないの下にも現出する不可思議の

 何度も思ったものだ。

 守護だというならねえさんたちを、あの哀れな子供たちを救ってくれ。

 監視だというならいっそ今すぐ、俺たちに裁きを下してくれ。

 そんなことさえも朝廷は──ここのえ皇家おうけは、ついにしてはくれなかったのだから。

 図面上は存在しない地下への昇降機エレベータで下って、金属の扉が開く。

 この切見世きりみせだけではない、実に色町一つ分もの地下空間に、培養槽の円柱が見渡すかぎりに連なる異様な光景が、途端に直剣すぐみぎんもくせいを出迎える。

 母体〈人魚〉の巨体に、なお収まりきらない人工子宮が葡萄ぶどうの房のように下がる。透けて見える無数の胎児は、いくらかはヒトと他の生き物が入り混じって珍奇な、大半はヒトにも獣にもなれなかった奇怪なそれ。顧客どもの流行や注文に応じた形質を、短期間に製造するべく大量の試行を行うのだから、大半が失敗作となるのは当然のことだ。

 〈ヘキホウトウセイヤク〉が製造し、裏かりゆうがいにて〈かんてい〉が商う主力商品。ヒト遺伝子ベースの亜人スサビヒナ〟。

 そしてだりゆうこう〈ヘキホウトウセイヤク〉が取り扱うりゆうかせい羽化精うかせいの──にんぎよしゆの材料。