ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ⑦

「あー、ごめんごめん」「ちっちゃな可愛かわい直剣すぐみも、もう立派なさんだもんね」


 仕事用のうちかけを留守番の妓夫ぎゆうに持ってこさせて、ささ一献、などとしなを作って麦茶のおかわりを注ぐ。みついた安いこうに、直剣すぐみ忸怩じくじたる思いをひっそりとめた。

 曲鉤楼まがりろうを含め、切見世きりみせじよろうは多くがいわゆる〈たにぞこ〉行き校出身者だ。

 能力以前に意欲がないと判定され、他の生徒への悪影響をけると称して放りこまれる最低位の義務教育校。大半はそのまま〈たにぞこ〉にち、逃れようとしてもありつける職はせいぜい切見世きりみせ最下級せんこう女郎だ。安価な人形遊女と競合が激しく、だいも安い文字どおりの苦界くがい

 そして安いせんこうじよろうでは稼げないから、学び直して定職に就くことももうできない。富裕な大見世おおみせ中見世ちゆうみせの客どころか、自分とて切見世きりみせ通いがやっとの薄給取りからさえ、体を売るしか能がない役立たずと生涯、見下されて生きねばならない。

 そんなにも職がないのは朝廷が、重要産業には片端から人型使役ハシタを導入して臣民の職を奪ったせいだというのに。

 ──ちゃんとおべんきよしないと、私たちみたいになっちゃうわよ?

 だから、ねえさん。それは本当は、ねえさんの罪でもなんでもないんだ!

 悲鳴のように直剣すぐみは思う。

 この国では成績次第で高等教育の対象となる、つまり子供のうちから有為と無益が選別される。選別は初等部から始まるから、就学前の幼児教育を受けられない貧しい層の子供は、入学直後から自分は『劣等』だと明確に示されることになる。

 まだ幼い子供がいきなりきようじをへし折られて、どうして学習意欲など持てるだろう。はるかに恵まれた生徒を眼前に、ばんかいしようなどと思えるだろう。

 結局は生まれついた階層と財力で、その後の人生の全てが決まる。そんなものは。


「……平等でも公平でもない。そう見せかけた階級の固定だ」


 口の中だけで、吐き捨てた。ねえさんたちの罪ではない。為政者の罪だ。

 民の遺伝的素質も行動も思想も管理し、有為と無益とを選別して有為な血統だけを残したい、一咲ひとえをまるで家畜のように扱うここのえ皇家おうけ罪咎ざいきゆうだ。

 この国では何もかもが民のためにはない。臣民の主食生産は工場に押しのけ、全てが朝廷に納められる米と絹と真珠。交通および各産業の要衝を独占する、広大な皇家おうけ直轄領。そうと生まれつくや必ず朝廷に召しあげられ、朝廷の戦力としてのみ働く術師たち。そのようにみのりも富も人手も全てが皇京おうきように、ここのえ皇家おうけに奉仕するためだけに用いられる。

 滅多なことでは皇京おうきようを出ず、みかどに至ってはりんぎよのこの九百余年、ただの一度たりとも臣民に尊顔を拝させたこともない──民など見てすらいない蛇どものために。

 きつく、直剣すぐみは両の拳を握り締める。

 ぎんもくせいの実の父母は、ある切見世きりみせ町を仕切るブッキリと、その町の線香かげろうだったそうだ。

 かりゆうがいを囲む〈たにぞこ〉を、高架道路から見渡してぎんもくせいは物思いに沈む。

 に手をつけるのは御法度ごはつと。両親はけじめとしてかりゆうがいから追放され、ぎんもくせいは実母の兄貴分の後見の下、直剣すぐみの父に預けられた。直剣すぐみとの縁はそれ以来だ。

 ブッキリにはできない娘なのだから堅気カタギとして立派に生きていけるようにと、後見の男は様々な芸事・教養を与えてくれて、その芸事がきっかけで今の養父母に引き取られた。客として以外ではこんなところには来るんじゃないぞ、と送りだしてくれた顔は今も忘れられない。

 一方で、実の両親はそれからどうなったのかもわからない。それぞれどこかの大都市の裏街や歓楽街で同じ仕事をしているか、──どこかの〈たにぞこ〉に落ちてしまったか。


「……まだ、生きていてくれるのかな。それとも……」

たにぞこ〉の平均寿命は他の街より二十年以上も短い。個室から出ることもない極度の不健康、異様に多い七堕ナナエの被害に加え、自殺率が極めて高いのだ。働いて報酬を得る尊厳を、己が力で生きる誇りを剝奪されて孤独と幻想ばかりを与えられる生に、そのむなしさに、彼らはいずれ力尽きて殺されてしまう。

 そしてそんな下級臣民らの苦しみには目を向けずただ蔑むのが──皇家おうけへのふんまんらす目的で眼前にさらものにされた〈たにぞこ〉を、そのとおりに蔑む奴隷根性の持ち主が、臣民だ。


「やあ、待たせた、ぎんもくせい」「ごめんなさいね、の街は慣れなくて迷ってしまって」


 だりゆうこう〉の同志、鹿院しかのいん学園の学友が口々にびつつやってきて、ぎんもくせいは内心を押し隠して華やかに笑ってみせる。

 高額の生体改造を単なる装飾アクセサリーとして施した極彩色や金属光沢のこうさい、宝石をいた培養皮膚。金銀細工の花鈿かざし螺鈿らでん蒔絵まきえの護身刀で、いっそ場違いなほどぜいたくに着飾った若者たち。


「……いや。思った以上にみいっていたろう?」

「まったく、驚いたよ」「よくもこんなごみごみとしたところに住んでいられるものだ」


 管理事務所のていで番をするブッキリに鍵を開けてもらい、〈まち〉のメンテナンス通路へ。降りた分だけはいきよめいた〈たにぞこ〉の街は〈やますそ〉の若者たちに近づいて、濃くよど塵霧じんむはかいしじみた社会保障住宅、育ちすぎていびつな魔物のような街路樹のハンノキの群。

 不気味なほのおにも似た金緑きんりよくちようがゆらゆらと近づいて、学友が顔をしかめて払いのける。


革命が終わったら、こんな〈たにぞこ〉なんかは一掃しないとね。役立たずの下級臣民が処分もされずに甘やかされて……身の毛がよだつったら」

「鬼になしと言いますもの。粗暴な二本角が、の管理など知るはずもありませんわ」

「所詮、下民とは我ら名族に使われるだけが能の家畜だ。使えない家畜を生かしておく無駄は当然、我らが成し遂げる美しく合理的な統治には相応ふさわしくない」


 先導して〈まち〉を歩きながら、ぎんもくせいは冷ややかに目をすがめた。

 この学友たちはみな特級臣民、ここにはいない他校の同志もやはり〈やますそ〉の住民か、好成績か特異な才能により選抜されて〈裾野すその〉の高等学校に進んだ上級臣民候補だ。

 ここのえ皇家おうけの支配をいといながら、その皇家おうけの評価のままに下層の臣民を見下し。美しく優秀な自分たちはそうではない者を同じにんげんとも思わなくて当然なのだと、つのへびどもの価値観に染まりきったいやしさをしにしてじもしない、そんな彼らがぎんもくせいは嫌いだ。

 好き放題に語っていた一人があっと息をむ。


「すまない、ぎんもくせい! 君は〈たにぞこ妓楼ぎろうの出だったね。君を悪く言うつもりはないんだ。優秀で、その、すごく綺麗きれいな君はもちろん、僕たちの仲間だ。下級臣民などとは違う」

「いや、いいよ。僕が切見世生まれなのは本当だから……でも、ありがとう」


 その〈たにぞこ〉もどきのせんこうじよろうや下級臣民に落ちてしまう、最低位校の生徒の学習を支援して上位の学校に戻らせようと立ちあげたのが、〈〉のそもそもの始まりだ。活動がうまくいったならいずれはせんこうじよろうや〈たにぞこ〉そのものの学習支援も行うつもりだった──切見世きりみせを抱える直剣すぐみも、そう言った時には心の底から喜んでくれた。

 けれどこの学友たちも、他校の活動会も、下級臣民候補というを見物するために、己の優越を再確認して自尊心を満足させるために、みじめな〈たにぞこ〉行き校をたのしむばかりだった。

 だいきらいだ。


まち〉のメンテナンス通路のむこう、かりゆうがいが見えてくる。整然たる〈やますそ〉とは全く異なる極彩色の迷宮に、さすがに息をんだ彼らを振り返ってぎんもくせい微笑ほほえんだ。