ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ⑨

 水のような青い闇と淡い影が、今日最後のしんちんが、あやすいれんと向かいあって座す茨宮いばらのみやの袖や裾を、恐れ多いとおののきながらもおしいただくようにそろそろと浸している。


「十六日当日夜の、国土全域の霊脈賦活準備も同様に。破竜儀式場はお兄さまの封印解除から七二〇〇秒間、斎王府さいおうふの総力を挙げて維持するとのことです。〈さびまる〉解放のため、警衛にはではなく近衛このえを配置。お兄さまご自身の戦闘準備には六汐ざしお鎮酒しづきを、おおせのとおり死酒しつきにて精製。……みそぎの期間短縮と合わせ、あやすいれんは感心しませんよ、お兄さま」


 かんげんをさしあげるも、寡黙なあにみやいらえもしない。みそぎとは水注みそそぎ、水の霊性と親和性の高いここのえおうぞくには、特に効果的な霊力強化の儀式であるのに。

 もう、と小さく頭を振り、そのまま続けた。


「砲支援にはひつぎを七基抽出、直衛ちよくえいにはみとらしさまが。予備戦力には〈八重山吹ヤエヤマブキ〉と、に備えて〈よくせんさんざん〉の瑞香ルイシヤンこうしゆ、〈超人軍〉のレディ・レッドストーンが待機なさいます。レディ・レッドストーンはより観測の式神を飛ばしたいとおおせですが、お邪魔には?」

「問題ない。……敵味方識別IFF霊紋符号コードは確実に通達を」

「お兄さまのお出ましとなれば、《使つか》などは余波でも危のうございますものね。お伝えいたします」


 静かに一つ、うなずいて。

 今度は茨宮いばらのみやが口を開く。宵闇の薄青を全く乱さぬ、冷えた、ひどく静かなその声。


「こちらからも。征伐使せいばつし活動中の〈八重山吹ヤエヤマブキ〉は現在、最優先目標であるだりゆうこう〈ヘキホウトウセイヤク〉の捜査と誅戮ちゆうりくを担当している」


 あやすいれんはこの件では情報統括と伝達の役だ。〈八重山吹ヤエヤマブキ〉長官として当然、把握している蜥賊とぞくせいばつの進捗を、情報統括の妹姫に共有するためだけの熱のない声音。


やますそ〉と〈裾野すその〉の高等学校各校の、それぞれ千人超の生徒を抱える学生寮。

 その上空に、闇に溶ける漆黒の機影が到達する。消音ロータの軍用多目的ヘリ〈ノブスマ〉。

 側面の扉を開いたキャビンで二人の若者、あるいは娘、少年少女のの術師が、眼下の学生寮を笑んで、鋭く、また凜然と見下ろした。


「包囲の衛門府えもんふ各小隊、配置完了した。まいくじやく」「了解、槍時雨やりしぐれ。──さァて、」

「各位。これよりだりゆうこう〈ヘキホウトウセイヤク〉および〈〉の誅戮ちゆうりくを開始する。当校での先陣ははりゆうがたきらゆき」「ならびに開城方かいじようがたあまゆきが務めますわ」

「それではせんえつですが、いちばんやりはりゆうがた珠兎たまうさぎと」「かいせきがた星雀ほしすずめ。推参いたします!」

「起きろ、〈凰尾ほうび〉」


 鉛華けわいちよう外れのだいのやビル。隣町の小見世こごうし中見世はんまがきからも料理と菓子の注文を受ける仕出し料理屋が集まるそこの、ここも草とこけかんぼくあふれる屋上に立って碧燈あおひは己が式神を呼ぶ。

 さしのべた真神まがみたち天茜あかねが自身のたちを重ね、碧燈あおひの霊的知覚を共有して静かに唱えた。


「──《この矢に》」

「《まがれ》」


 遠いだいのやビルでの宣告と同時。

 曲鉤楼まがりろう地下、工場奥で最後のにんぎよしゆ羽化精うかせいに変換していた直剣すぐみと配下のブッキリ数名が、瞬時に柱全てをへし折られたことによる崩落に巻きこまれてみこまれた。

 霊術の矢は地上のけわいちようにはなんらの被害ももたらさなかったが、町の地下構造の崩壊だ。激震に誰もがよろめき倒れ、不在の若きぼうはちに代わって事態を把握するべく、遣手婆やりてばば曲鉤まがりろうを飛び出す。

 その彼女を、待ち構えていたたちが即座に押し伏せて拘束した。

 女郎らが甲高く悲鳴をあげる。その女郎や客たちも別のが捕らえる騒ぎの中、進み出た小隊長がホログラムの令状を表示して突きつけた。


「かけまくもかしこき、大八千穂帝皇おおやちほすめらみこと勅命みことのりにおいて。……だりゆうこう〈ヘキホウトウセイヤク〉。違法薬物製造、製造、大逆たいぎやくおよび叛逆はんぎやく予備のとがにより全員拘束する」


 困惑におろおろと視線を彷徨さまよわせていた遣手やりてばばがその罪状に、とりわけ最後のそれにがくぜんと凍りつく。みかど皇家おうけやいばを向ける大逆たいぎやくも、国家にあだなす叛逆はんぎやくもこれ以上ない大罪だ。

 計画を立てた段階で死罪に相当し、容疑者というだけでも死刑相当犯となる。つまり。


「抵抗した場合、この場での即時処刑が許可されている!」

「……潰せたか?」

「ん、羽化精うかせいとかの製造機械は全部。直剣すぐみの近くにいたも」


 はりゆうがた天茜あかねは戦闘特化の改造で、踏破方とうはがた碧燈あおひは運動性能強化型だが霊的走査能も高い。

 それぞれの得手を合わせれば、地下に潜む標的の位置を正確に把握して周囲の構造物だけを破壊、地上は無傷のまま標的を建材の崩落に巻きこむことも可能だ。


セイヤク〉本拠の曲鉤楼まがりろうではの突入も始まったようで、けんそうと怒号が遠くする。吞気のんきにも明日の夜を決行日時としていた〈セイヤク〉に、この襲撃は全くの予想外だったようだ。


セイヤク〉にも直剣すぐみにも、みつむしようはとっくに行きついていたというのに。

 なるほど監視には気をつけていたのだろう。〈まち〉を利用したかりゆうがいの出入りに関係者との会合、環境調整AIをけての最低限の自室への滞在。……監視をかいくぐろうとするそれら不自然な挙動をも検出対象とするのがとうせいいんの監視AIで、検出された要注意対象を追跡・監視するのが都市全域に放たれた小動物型機巧自在からくりじざい〉だ。

 張り巡らされた監視網は、同時におとり。後ろめたくける者をの中から選別するための。


直剣すぐみは動けなくするにとどめたつもりだが、生きているな?」

「それも大丈夫。うまい具合に瓦礫がれきに挟まってるよ」

凰尾ほうび〉経由で霊圧分布とその霊紋を確かめて碧燈あおひがうなずく。生き物は誰もがこんぱく、霊体を持ち、霊体とこんぱくを構成する霊質は質量が時空をゆがませるように霊的な場をゆがめる。一咲ひとえの霊質量が発する霊圧ではごく近距離でしか感じ取れないが、生存判定には充分だ。

 工場内の〈ムジナ〉に確認させたのだろう、裏部うらべからも通信霊術《でんしん》で連絡が入る。


『こちらでも確認した。霊術薬生成機械三種、および同行の蜥賊トカゲは全滅。直剣すぐみは生存しているが重傷だ。……情報取得の上でも最優先目標だ、失血死する前にしてくれ』


 はるか眼下の路地にははら使えしよそおいの一団が控え、通信相手はその一人だ。衛門府えもんふに加えはら使えしからも戦力を借りた、──その名目でみつむしようが派遣した裏部うらべの地下工場突入班。

 部隊を率いる裏部うらべの指揮官は、《でんしん》の向こうでからりと笑う。


『六年ごしの報復だ。先陣は任せる、ヤエブキ機関』


 決起のための羽化精うかせいは特製の超濃縮版だが、それでも各校それぞれに千余人分となればかなりの量だ。地下工場からの搬出口である切見世きりみせで、受け取った封印保存瓶アンプルを丈夫なかばんに詰めていたぎんもくせいたち〈〉は、その暗い広間で地下崩落の激震に遭う。