地震にしては震源が浅い。そして近い。地震大国の八千穂国人ならではの判断で銀木犀は視線を跳ねあげ、その時には曲鉤楼一帯ですでに捕り物が始まっている。
「直剣……!?」
同時に切見世の大扉が外から破られ、黄衣を纏った武官がなだれこむ。夜間の現場を照らす機巧自在〈高張提灯〉が、サーチライトと警告灯をぎらつかせて〈秦吉了〉を睨みおろした。
左右衛門府。──もう追いつかれた!?
扉の傍にいた学生らが瞬く間に叩き伏せられる。驚愕と、その仮借ない暴力に身竦んでしまった銀木犀を、背後から番頭が一喝する。
「お嬢ちゃん! こっちだ逃げろ!」「俺たちが相手だ、来やがれ刈安黄染の木端ども!」
地下から羽化精を運び出していた〈製薬〉のブッキリが、銀木犀を庇って前に飛び出す。地下工場への昇降機に彼女一人を押しこみ、番頭もまた広間に残る。
無骨な金属の扉が閉まる中、言葉だけを銀木犀に託した。
「お嬢ちゃん頼む、──若と俺たちの悲願を叶えてくれ!」
鉛華町は全体が〈製薬〉の縄張りで、地下工場を隠す擬装だ。仕出し料理屋の集まる台屋ビルは日々の食材搬入に地下工場の資材を紛れこませ、運び入れる搬入口だ。
発見した地下への昇降機を、二人がかりの《駆動装甲》で外扉を蹴り破ってケージを上階で緊急停止。露わにした昇降路から天茜たちは突入する。入口からの突入は避ける、というセオリーは、罠も待ち伏せも強大な霊力でねじ伏せる八重の術師には無関係だ。
地下に降りると同時に、工場へと続く扉が開いて黒い武人礼装の男女が駆け出る。サングラスに両腕のごつい腕時計、鍔のない打刀に竜鱗の《加速竜鎧》。──〈製薬〉の戦闘要員。
見てとるや天茜と碧燈は《言霊》を唱え、地下を崩したのと同じ《天弓羽矢》を解放。
澄みきった鈴の音と霊力の矢の斉射が、〈製薬〉地下工場での戦闘の号砲を告げる。
〈製薬〉本拠の曲鉤楼。商品搬出口である切見世・数寸堂。資材搬入口の台屋ビル。
地下工場への出入り口を有し、ゆえに制圧すべき三か所のうち、衛門府の担当は曲鉤楼と数寸堂で、祭花の隊のそれは曲鉤楼だ。吹き抜けのホールを螺旋状に囲む廊下を、捕縛対象を探して祭花は駆ける。蜥賊と確定している妓夫と、取り調べのため拘束する女郎と客と。
女郎や客の抵抗はたいしたことはない。ただ、改めるべき部屋数がとにかく多い。安い香が染みて薄く焦がれた明障子を引き開け、薄い褥と衣桁屛風ばかりの無人の小部屋を見渡した祭花は、背後で生じた刃鳴りに即座に身を屈めてその斬撃を避けた。
袈裟懸けの一撃が頭上を行き過ぎ、明障子どころか鴨居と欄間までもがばっさり斬られて後方に吹っ飛ぶ。回避しつつ反転して襲撃者に相対した祭花は、抜き身を手に仁王立つ竜人を目の当たりにする。
鉄色の《加速竜鎧》に黒い襟飾無しの武人礼装。双眸をやはり真っ黒なサングラスに覆い、八千穂国では罪人の髪型と嫌われる刈り上げ、特徴的な鍔のない木の柄の打刀。
典型的なブッキリの服装だ。
そして実戦用の拵えでもある。サングラスは視線を隠すための。短髪と襟飾無しは敵に摑まれないための。武官袍と異国の軍装を折衷した武人礼装は動きを阻害しないための。黒一色の装束は流血を気取られないための。
なによりの特徴である合口拵えの打刀は〝ぶっ斬り庖丁〟の呼び名の由来、──かつて皇家の力を削ぐべく社から武器を奪わんとした武家に対し、鍔もなければ木の柄のこれは庖丁だ、武者さまは庖丁なんか怖がるのかと言い放って追い返した時からの伝統の武装。
皇家への忠誠を誇る得物を手に、けれど朝廷の衛士の前に立ち塞がる。
「マガイモノ……!」「おうとも」
吐き捨てた祭花に低く応じる。おうとも、我らマガイモノ。誰が角蛇など崇めるか。誰が。
「我らの悲願、邪魔させるものか!」
気合声と足音とを殷々と反響させ、ブッキリが祭花に突きかかる。
背後の局に逃げこめばそのまま壁際に追いつめられる。人外の強力を誇る竜人の斬撃は受けとめられない。刀を持つ右手の外側めがけて転がり、立ちあがりざまに脛を打つ。
片手持ちの刀で無造作に受けたブッキリが、狭い廊下で長物を構える祭花に鋭く嗤う。
そのまま四尺棒を弾き、翻して幹竹割の斬撃。予期していたから即座に得物を引き寄せた祭花に、けれど反撃の暇もない猛烈な連撃が襲いかかる。
「くっ……!」
「ジャァアアアアアアッ!」
濁った気合声、旋風の如く振り回される凶刃の銀閃。ずらりと並ぶ局の明障子が、欄干が、行灯が、時間を測るための線香の香炉が、床板さえもが斬り飛ばされて乱れ飛ぶ。
竜化精による力任せの、けれど刃筋の通った斬撃。そして暴力にも闘争にも慣れた、躊躇も怯懦もない吶喊だ。仮にも花街一つを仕切る犯罪結社の一員、ごっこ遊びの学生や革命家きどりの堕竜講などとは踏んだ場数がまるで違う。
対する祭花は、ブッキリが見抜いたとおり狭い廊下では攻撃手段が限られる。非改造の彼女は速度でも膂力でも竜人に劣り、だからといって安普請のこの切見世で、重い強化外骨格をまさか纏うわけにもいかない。
ただ四尺棒の先端近くを握り、コンパクトに振るって突きや斬撃を防ぐので精一杯だ。
そのように見える。
「……ピカ=ピカ」
視線はブッキリに向けたまま呼びかけた祭花に、首筋にしがみつく忠実な根付が応じる。根付とその持ち主専用の、近距離赤外線通信。
「ええ。スタンバイしています」
天茜たちが衛士ではなく裏部と共に、地下工場に突入したのにはいくつか理由がある。
「──《夜は螢の》」「《燃えこそわたれ》」
見渡す限りの硝子円柱──培養槽のその内部が一挙に焰の朱に埋まる。
その中の〈人魚〉と、人にも獣にもなれなかった無数の無惨な胎児ごと。
見届けて天茜は真神の釼を下ろした。
霊性の高い焰による死は七堕の出現には繫がらない。またそれ自体が霊力である霊術の焰は、仮に周辺で大量死が発生してもそれによる霊力低下を一時的に相殺する。
決起日は明日でも、工場内の羽化精散布の仕掛けはとうに終わっているだろう。その工場で破れかぶれの七堕招喚を試みさせるわけにはいかないから。
人工子宮の中の胎児は、子宮外では生きてはいけないと一目でわかる有様だ。それでも気分のいいものではない。それは同行する裏部も同様のようで。
人工羊水の水蒸気爆発に突き飛ばされ、円柱の陰から転げ出た竜人どもの四肢を、裏部が鋼糸を投げ撃って拘束。そのまま引き斬り、霊術で傷口を焼いて止血される絶叫をあげさせながら昇降機へと引きずっていく。情報取得まで生きていればいい、その酷薄を隠しもせずに。
叛逆罪はたとえ死刑を免れても永久禁牢、人格抹消措置の上での禁固刑の対象だ。パレードの時のような気遣いは、ここではもう必要ない。