ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

三 ⑫

 しろうとにもそれとわかる急造のコンソールにすがりつき、トグルスイッチを片端から倒した。

 転瞬、頭上のけわいちようで、壁の向こうの工場で七堕ナナエほうこうが、や術師の絶望の悲鳴が──

 起動しない。工場とけわいちようの散布装置が。


「そんな……そんな!? どうして……!?」


 スイッチを再び動かした。抱えたまま忘れていたかばん封印保存瓶アンプルを片端から改めた。けれどやはり、何も起きない。否、たんすいに輝くはずの羽化精うかせいが、にんぎよしゆあかに戻っている。

 無力化されている。羽化精うかせいの幻影霊術そのものが、いつのまにか。……どうやって!?

 思い至ってぎんもくせいは顔をゆがめる。先日、やはりこの工場の灰白鼠カイハクネズミを突然に吹き飛ばした。


「感染呪術、というやつか……!」

「──よし、っと」


 裏部うらべが持ってきた封印保存瓶アンプル、またその散布装置にも、かざしていた左手を碧燈あおひはおろす。先日の灰白鼠カイハクネズミよりも七面倒くさい術式を構築する必要はあったものの、《感染霊術ヌリテ》はきちんと目標全てに伝染したようだ。

 すなわち、〈セイヤク〉が製造した羽化精うかせい全てに《感染》する、幻影霊術の破却術式が。

 この羽化精うかせいの原料は、この工場で製造された生き物だ。

 この羽化精うかせいに刻まれた幻影霊術は、この工場の霊術機械で付与されたものだ。

 血脈やそれに類する関係の近さを経路に伝わる《感染霊術ヌリテ》の対象と出来、まとめて無力化することができる。さらに面倒な術式となるが、同じ人間が作った散布装置も同様に。


「処分完了。残りのにんぎよしゆの探索と回収頼む」「了解です」


 きびすかえそうとした捜索班の裏部うらべに、あ、と気づいてつけ加えた。


「……えっと。あんまり乱暴にしないでやって」


 にんぎよしゆは所詮、亜人スサビヒナの霊体と肉体の霊性を抽出したものであって哀れな亜人スサビヒナそのものではない。だからこれは、碧燈あおひの単なる感傷でしかないのだけれど。

 裏部うらべは優しげに目元を緩めた。


「ええ、術師さま。それも了解しています」


 思わずぎんもくせいはコンソールに拳をたたきつける。がん! と悲鳴のような音が響く。


「くそっ……いったい術師は、二華ふたえなにさまなんだ! 僕たち一咲ひとえが苦労して積み重ねたものを遠くから霊術を使っただけで指一本動かさずに!」


 二華ふたえめ。霊能持つ異形ふたえめ。魂無き支配者ふたえめ。二本角の僣神ふたえめ。

 にんげんきをこんなにも容易たやすく踏みにじる、カミガタりのバケモノどもめ!

 怨嗟えんさのあまりに異様に底光るそうぼうが、それでもなお屈することなくもちあがる。


「……それでもまだ、打つ手はあるぞ。ども」


 そうだ。霊力を持つお前たちと違う。脆弱ぜいじやく一咲ひとえの自分たちには。


。──飲ませればいい。幻影霊術で生命を削る羽化精うかせいよりは弱いだろうけど、にんぎよしゆのままでも飲ませれば人は死ぬんだ」


 それを恐れてだろう、散布装置も壊されてしまったけれど、まだぎんもくせいが接触可能な。


「倉庫の、出荷待ちの亜人スサビヒナたち。……彼らにだけでもせめて、復讐ふくしゆうをさせてやる」


 案の定、維持用の鎮酒しづきは〈くみうち〉でごっそり消費されて残量が心もとない。とはいえ〈十一式〉も〈八郎〉も置いていけないし、着たまま長時間歩き回る想定の装備でもない。

 他の装備の格納を諦めることにして、まつりかはそのを全解放。出てきた六尺棒とそうせつこん、落としたままの四尺棒を残置し、さんせつこんは肩にかけて鉄扇は腰帯に挟んだ。


凜雪スズガモ二一六、ごめん、できたら〈金鵄きんし〉で残置装備の回収お願い」

高張提灯たかはりちようちん〉と共に〈金鵄きんし〉を──大型のもうきんであるとびがた機巧自在からくりじざいを操るりんぜつに無線で要請。新しい木材はてのひらにひっかかって使いづらいため、んだ棒は惜しい。

 りょーかい、とりんぜつは快諾してくれて、今度は小隊長へつなぐ。まつりかがブッキリをぶちのめしている間に、この曲鉤楼まがりろうからも地下工場への突入が始まっていたようだ。突入班に合流するよう指示を受け、地下への昇降機エレベータを隠すつりばり模様の壁掛けをくぐって地下工場へ。


「──まだらき!」

「嬢か。いいところに来たと言いたいところだが、やはり狭さが問題だな」

「…………?」


 地下通路の曲がり角をたてにしたまだらきが、手鏡を使って見せてくれた曲がり角の向こう。

 人一人が通るのがぎりぎりの幅の、無意味に曲がってすぐさま戻る通路の奥。分厚い防弾扉に守られた管理室にたてこもり、竜人どもが壁の銃眼から密造火器、それもアサルトライフルか汎用機関銃GPМGの銃身だけを突き出して待ち構えていた。

 出荷前の亜人スサビヒナの倉庫はすうすんどうの真下にあるが、地上からのエレベーはケージを落とし、メンテナンスハッチも塞いで封鎖したようだ。の姿はまだない。けれど。


亜人この子たちだけじゃ……足りないか……」


 ぎんもくせいが見回した先、積みあがった金属のおりの中で、昇降路シヤフト上方からの異音と異様な雰囲気におびえて身を寄せあう亜人スサビヒナの少年少女はせいぜい数十名といったところだ。人間ならば千人からのにえを必要とする七堕ナナエの招喚にはまるで足りない。


が突入した瞬間に、そのにえとすれば……駄目だ。それでも百人も超えない。術師は殺せば強力なにえになるらしいけど、霊力を持つ術師にはにんぎよしゆは毒にならないから……」


 なら、どうすればいい。考えろ。考えろ。考えろ。

 今、自由に動けるのはおそらくはもうぎんもくせい一人だけだ。直剣すぐみの遺志を、番頭に託された〈セイヤク〉の悲願をかなえられるのは自分だけだ。だから考えろ、考えろ……!

 不意に、ひらめいた。にんぎよしゆとは、亜人スサビヒナの命を奪って生成したものだ。

 にんぎよしゆとは死そのものだ。ぎんもくせいが抱えるこのにんぎよしゆは、無数の亜人スサビヒナの死そのものだ。


「大量のにんぎよしゆさえあれば……七堕ナナエは呼べる……!?」


 呼びかける方法なんか知らないけれど、呼び水となる死さえあれば、もしかしたら。

 最後の希望らしきものを見出みいだしたぎんもくせいそうぼうが、おびえる亜人スサビヒナに向けられる。

 〈八郎〉なら防弾扉も撃ち抜けるが、問題は通路の幅が狭すぎて〈十一式〉が展開できず、生身で伏せ撃ちしようにも今度は例の曲がり角に〈八郎〉の長大な銃身がひっかかることだ。あからさまな対物火器対策に、見事にまつりかは無力化されてしまった。


「なら、短砲身の推進弾発射機ロケツトランチヤーならどう?」「後方爆風バツクフアイアでこちらが焦げるな、嬢」「誰か装甲入れる改造してないか」「ねえよ。重装機動隊じゃないんだぞ」「閃光音響弾スタングレネード投げこめる隙間もないしなぁ」「盾も曲がり角で引っかかるし」「ワ、ワタクシめが閃光音響弾スタングレネードを抱えて飛びこむのは!?」「もちろんダメよカシャ=カシャ」「なに言ってるの」「馬鹿言うな」


 臆病な疑似人格インタフエース設定らしい根付が決死の覚悟で言ってその場の全員が却下したところで、まだらきが嫌そうに嘆息した。多少のリスクは容認せざるをえないのはの常だが。


「こういう場合こそ霊術に頼りたいところだが。要請してこちらに来させるにも時間がな」

「……なら、」


 ちり、と刃鳴りが背後でこぼれる。

 振り返ったまつりかの視界を、伸ばされた桜重ねの袖が塞ぐ。


「頼られたとおり、このままわせてもらう。──《ゆらけ》」


 竜人どもの立てこもる管理室が、身も蓋もなく紅蓮ぐれんの猛火に埋まった。