檻の中の亜人たちから視線を外して、静かに天茜は応じる。
「ヒト遺伝子ベースの違法生体は、厳密な人間とはいえないから臣民権を得られない」
「……うん」
「だから典薬省の保護施設で、準臣民として暮らすことになる」
祭花はぱちくりとまばたいた。予想外の回答だったようだ。
「準臣民? ……具体的には」
「医療施設併設の、専用の学校での生活だ。彼らはたいてい、教育を与えられていないからまずはそれを取り戻すための。……制限はあるけど、希望する将来も考慮の上で」
他生物の遺伝子を無軌道に導入され、多くは無茶な成長促進の代償として知能や運動能力、免疫系が未熟な亜人は、日常生活や生命維持に補助が必要だ。いきなり自立生活を送るのは難しく、それゆえの学校を模した保護施設である。
やはり成長促進の代償でしばしば極端に短命の亜人は、学生生活の間に生涯を終える者が大半なのだがそれは天茜は説明したくなかった。当の亜人の目の前で、寿命が短いなんて口にしたくない。鳥獣の名であるトラツグミの俗称を避けた碧燈も同じ気持ちだったろう。
「そのままでも悪くは扱われないだろうけど、帰投したら長官にご助力を依頼しておく。仮にも皇子殿下だ。慈善は為政者の務めだと、後見についてくださるはずだ」
高位皇族の庇護の下、安寧に、幸福に。憂い一つ知らずに過ごさせてやることができる。
贔屓といえばそのとおりだけれど、……直接関わった者くらい構わないだろう。
いきなりの高位皇族の名に頭が追いつかなくなったか、祭花は目を瞠って固まってしまう。
「……慈善だって?」
そしてどこか愕然と、声が吐き捨てた。
銀木犀だった。
「なにが慈善だ! 檻に入れて餌をやって、かわりに自由と誇りは奪い取って! そんなもの家畜だ。この子たちを弄ぶ下劣な奴らと何も変わらない!」
すぐさま斑牙らが押さえこんだが、銀木犀は今度は従わない。拘束されたままじたばたと踠き、まっすぐに天茜を睨み据えて怒鳴る。
だってそんなのは結局は籠の鳥だ。皇族の気まぐれに縋らされご機嫌を取らされ、その意志一つに境遇を左右される──己の全てを他者に支配される愛玩動物の生涯だ。
福祉の名の下に、臣民の侮蔑のために飼い殺される〈谷底〉と何もかも同じ。生かされる代償に人として生きる誇りを奪われる、あまりにも酷く惨めな家畜の境遇だ。
それを。それを。
「お前たち皇京は民草への愛情だと、……まさか本気で考えているのか!?」
「──愛情なんだろうさ、銀木犀。二本角にはそれが」
吐き捨てて直剣は立ちあがる。空の檻が積み重なり、誰からも死角になった物陰。太い柱の一つに設けられた、地下二階の竜化精工場からの隠し階段の中から。
彼自身の体を刷毛に、べったり塗られた血の線が長く続く。崩落で潰れた右腕からの、瓦礫から這いだすために自ら千切り捨てた右腕からの大量の出血。
長くはない。
〈製薬〉の部下は全滅し、銀木犀さえ捕らえられた。自分の計画は水泡に帰した。
けれどだからこそ、この一撃だけは成し遂げる。
抜き出したのは老ブッキリから仕入れた拳銃、密造ながら信頼性の高いベストセラー。拳銃にはやや遠い三丈余り先、忌々しい桜重ねの術師の側頭部を狙うと決めた。
薬室に初弾が装塡され、安全装置も解除したダブルアクションの自動拳銃は。
あとは人差し指を少し動かすだけで、弾が撃ちだされる。ひとを殺せる。
それは精鋭たる八重の術師が相手でも、いまさら発動されるどんな術よりも速く。
極度の集中に遅くなる時間の中、術師は気づいてこそいるだろうが未だ振り返ることも出来ていない。視線さえもまだこちらには向かず、──いける。この一人だけは仕留められる。
流れるように構える。銃口が上がる。照準の合う瞬間を予期し、直剣は無意識に息を止め。
「──ああ。考え方は悪くないな」
視線もやらず、ただ指先を向ける程度のわずかな動きで。
袖の中から滑り出た機関拳銃の銃把を摑むや、天茜は直剣の腹部へと射撃を叩きこんだ。
動きが少なく、それでいて的が大きく、頭部や胸部のように腕を水平にまで上げずとも射撃できる──照準動作さえも省いた速射が可能な部位に。
ダブルアクション、トリガーセイフティ、初弾装塡ずみ、セレクタ位置はフルオート。すなわち銃爪を引くだけで弾倉の全弾を吐き出す状態にある機関拳銃が、そのとおりに斉射する。
不意打ちだというのに悠長にも頭部を狙い、照準動作の途中にあった直剣に向けて。
拳銃は。
事前準備を怠らなければ攻撃動作が少なくてすむ。なるほど幾つかの術よりは発動も速い。
だからこそ、八重の術師とて予備武器の一つに携えている。
複数霊術の同時行使中でそれ以上の術が使えない時に、瞬時に全弾叩きこんで牽制とする程度の役割ではあるが──だから手に取れる速さを最優先に、袖に仕込んで邪魔にならない内蔵撃針式の小型拳銃を選択しているのだ。照準動作に時間をかけては本末転倒だ。
「っ……!?」
悲鳴もあげられずに直剣は頽れる。対人殺傷力の高い裂頭弾をまとめて十発、内臓の詰まった腹部と太い血管が走る大腿部への掃射だ。およそ耐えられるものではない。
帛を裂く悲鳴と彼の名を叫ぶ声が、始まるなり終わった惨劇の場に白々と散った。
「──直剣!?」
悲鳴のような銀木犀の声に、倒れ伏したまま直剣はわずかに視線だけを彼女に向ける。
ここでの顚末の全てを悟り、ああ、と嚙み締めた。
銀木犀は、殺せなかったのだ。でもそれで良かったのかもしれない。
彼女が人殺しをせずに済んだのなら、それはそれで良かったのかもしれない。
父祖や、部下たちや、犠牲にしてきたおおぜいの女郎や亜人たちには顔向けできない思考だけれど。それでも銀木犀にとっては良かったのかもしれない。
銀木犀。小さな頃から密かに憧れた──やさしい君には。
「俺は、……銀木犀、」
きみのことがずっと すき だったよ
そう、告げようとした直剣の頭部を──瞬間、演算による観測を受けて実体化した量子論的仮想精霊の透明な体が、刹那に包みこんでもぎ取った。
のけぞらされてそのまま首を奪われた胴体が、仰向けにどうと倒れる。
内部の専用結界に頭部を格納した式神が、青白くぼうと発光する。術者である天茜の許にゆらと戻り、水中でそうするように空中を漂う。透明な円形の傘。絹糸のような細い長い触腕。
量子論的仮想精霊〈月滴子〉。
人間の首を瞬時に切断する触腕と、切断した首を格納保存する胴からなる飛空する断頭刃。死刑相当犯の霊体を頭部と共に剝ぎ取り、その者の生涯の記憶を全て保持する霊体と、想起のトリガを有する脳とを合わせて確保する密務省の首狩り海月だ。
これにより密務省はあらゆる情報を保存頭部から読みだすことができる。手間がかかる割に不確実な拷問よりも、妄想との弁別が必要な薬物よりも、正確かつ効率的な情報収集手段。
「──最優先鹵獲目標・直剣を回収。……発掘の手間が省けたな」
首謀者である直剣に自害を──情報取得の妨害を行わせないため。発見次第の〈月滴子〉による鹵獲を指示されていた、その任を終えていっそ酷薄に天茜は告げる。
「……あ、」
目の前で直剣の頭が、その言葉の先が青白い軟体に奪い取られて、銀木犀は呆然となる。
「あ、あ。あああああ…………!」
最後の言葉だった。自分に向けた言葉だった。せめてそれだけは受け取るべき言葉だった。
その言葉は、けれど無慈悲に、そしてあまりにも無造作に摘み取られてしまった。
こみあげたのは嚇怒とも悲嘆ともつかない、坩堝のような激情だった。
「どうして殺した。なにも殺すことはなかったじゃないか! 神騙りの血染め衣!!」