内蔵する霊能器官──移植された霊獣の心肺と脳──を解放、結界を構築。トビエイ型の〈サモノ〉は避難範囲の外周に一方通行の《禁足》結界、出る者は通すが入る者は阻むそれを。ジンベエザメ型の〈ヒロモ〉は七堕出現座標の周辺に、堕素の漏出を封じる《戦場隔壁》を。
常の破竜儀式場に比べれば狭くささやかな結界内の戦場が、泥犂の町に形成される。
天茜の霊力は、八重の術師では低い部類だ。成体の七堕を閉じこめるほどの《汎用防壁》と数十名を一度に転移させる《縮地》とを同時には行使できない。
《汎用防壁》の檻が消え、暴君竜の七堕が立ちあがる。巻き起こった堕素の渦に天井は無論、地上の数寸堂までもが抉られて崩落。落下の途中で堕素に熔けて消え失せる。
即座に天茜は《禁呪》で七堕の動きを封じ、それ以上の地上の破壊を防ぐ。《汎用防壁》を構築し直し、あらためて七堕と堕素とを地下に封じた。
数寸堂にいた〈秦吉了〉の学生は全員が護送されている。残っていたのは封鎖担当の衛士くらいだろうし、その彼らも七堕出現の報を聞いて退避しただろう。
問題はその外、鉛華町の避難状況だ。
もともと切見世の人間は、彼らを切り捨てた朝廷に良い感情を抱いていない。つい先ほどまで顔役の〈製薬〉相手に強行突入などしていた以上、現在の住民感情は最悪の域だろう。命令するなだの出ていけだの、避難誘導の衛士に楯突く者もいるようだ。
七堕に対しても堕素に対しても無力な一咲が、その危険も顧みない義理や恩義で……というわけではなく、単に七堕の危険性を認識できていないがために。
もういい殴って従わせろ、死ぬよりマシだと乱暴な命令を部下に投げ、祓使に扮したままの裏部の隊長が報告を寄越す。
『周辺半町四方はクリア。それと〈ヒロモ〉の第一陣がいま真上に、』
木漏れ陽の幕にも似た《戦場隔壁》の結界壁がその半町四方を囲んで降り、《伝神》が一瞬とぎれる。無言で《汎用防壁》の設定を変更、《戦場隔壁》に重ねた──戦闘に備えて自ら流れ弾への対策をした天茜に、裏部の隊長はやきもきと申し出る。
『小隊総出なら補強の助力くらいは可能だ。不慣れで邪魔だというのでなければ──……』
「邪魔ではないですが、不要です。それより一帯からの住民の退避を急いでください」
あらゆる場所に潜む顔無しの裏部に、こんなことで『顔』を晒させるわけにはいかない。それに近くに臣民が残っていることこそが、これからの戦闘には最悪の邪魔だ。
〈ヒロモ〉の《戦場隔壁》は所詮、呪禁師や破竜術師の到着まで堕素と七堕を閉じこめるだけの最低限のものだ。内部で討滅まで行う想定ではなく、戦闘に耐えうる強度は持たない。
だから補強のための《汎用防壁》を、天茜は多重展開して重ねていく。左目の補助脳の観測演算を全て終了。格納亜空間を全解放し、《汎用防壁》の維持を補助脳に移管。空いたグリア系の演算領域に、銃弾を装塡するように攻撃霊術を構築していく。
格納亜空間から落ちてきた予備の真神の釼が周囲に突き立つ。幾羽もの〈凌霄〉が囲われた空に舞いあがる。
《汎用防壁》に霊力を喰われて弱体化した《禁呪》が七堕の抵抗に押し負けて軋み、返されると察してその前に自ら解除した。術を返される──つまり他者にかけた霊術を破壊されると、物理・霊理的な衝撃が反動として術者に跳ね返る。戦闘を控えた今、手傷を負うのは避けたいし、どうせ弱体化させる前の七堕をいつまでも止めておけるような霊術でもない。
それほど七堕が弱いのならば天茜は、破竜術師は全身の強化改造などを施されていない。
自由を取り戻した暴君竜の七堕が、虚ろな眼窩に鬼火を燃やして低く身構える。
現在の結界範囲は半町四方、避難の進行に従って拡大するとはいえ、六十四町を戦場とする踏破儀式場に比べればあまりに狭い。間合いは取れず、《戦場隔壁》への負担を考えれば──結界破壊の反動で〈ヒロモ〉を殺しかねないことを考えれば、砲撃系霊術も使えない。
《戦場隔壁》の補強に霊力を割いた状態での、暴君竜王との格闘戦。そうだとしても。
「破竜儀式を開始。──来い」
我らは〈八重山吹〉。紡ぐ先など元より持たず、ただ一時を華々しく咲く八重咲の花。
「七堕を滅ぼすことだけが、破竜術師の存在理由だ」
《縮地》は通常なら二十令里ほどを一跳びにするが、なにしろ倉庫内の全員だ。その後の戦闘も考えれば隣町の外れまで転移させるのが精一杯だったようで、双翼の扉を飛び出して碧燈が見回したそこは、古今東西の後宮を模したビルの立ち並ぶ中見世町だ。
客と娼妓は清掃機巧自在とこの町のブッキリが避難させたようで人けはなく、鉛華町上空では〈ヒロモ〉が遊弋している。移動した者の感覚では一瞬だが実際には数分の時間を費やす、《縮地》の転移の間に進行した状況を確認して。
碧燈はまずは感情のままに吐き捨てた。
「あの馬鹿……!」
そのまま《伝神》でヤエブキ機関本部に繫ぐ。相手は帝都各所に散開した八重の術師の統括のため、本部寝殿で待機する破竜方局長の。
「琉璃揚羽! 知ってると思うけど鉛華町で七堕だ! 天茜が応戦中、増援と、〈月滴子〉管理の術師の派遣たのむ!」
『ええ、把握しています、碧燈。当該七堕は〈沈ク花〉と呼称。影部が一次展開を開始、夜叉伏と薄刃椿が向かっています』
辺塞府・呪禁寮の支援や破竜儀式の失敗に備え、破竜方同士でペアを組む二人だ。やはり誅戮で何か事故があり、七堕が招喚された場合に備えて待機していたのだろう。
帝都に出ている八重の術師が多い今宵は、普段の破竜儀式のあいだ待機する右衛門府・登星橋の詰所ではなく皇京の、北端の御所外廷の機関本部に。
「それと報告。──〈沈ク花〉を招喚したのは下法士だ」
ふっと琉璃揚羽が沈黙した。
『……戦闘記録の送信を』
左目の補助脳の、捉えた映像をそのまま録画している戦闘記録から当該場面を抜き出して送信。合わせて口頭でも、映像だけでは伝わりにくい補足事項や状況からの推察を報告する。
映像ファイルに目を通す一瞬の間を置いて──八重の術師は思考も高速化されている──琉璃揚羽は続けた。
『了解。……長官への報告と詳細確認のため、あなたも本部に戻りなさい。〈月滴子〉の受け渡しもその時に。七堕の討滅はあなたの務めではありません』
ぎっと碧燈は奥歯を軋らせる。
「ふざけんな琉璃揚羽。──俺も行く。増援ったって外廷からこっちに来るんだから、近くにいる俺がまず戻るのが一番早い!」
《縮地》は禁足系の結界と距離とを同時には越えられない。一度の転移には数分を要する。
《外廷結界》と《皇京結界》、数十令里の距離をも越えてくる二人は、到着にはまだかかる。
琉璃揚羽の声が低くなる。
『……私の兄が死んだ理由は知っていますね? 天茜がどうして、あなたを遠ざけて一人戦場に残ったのかも』
琉璃揚羽は現在、解析方局長・荻露と組んでいるが、生来のペアではない。二人のどちらもが踏破儀式で双子の片割れを失い、残された同士が組んだ仮初めのペアだ。
『その上で、なお。戻る、と言いますか。踏破方の碧燈』
いっとき、碧燈は瞑目した。
目を開けて強く、応じた。