母の鼓動に加えて相手の鼓動を聞き、母の体温と同時に相手の体温に触れ、常に互いの存在を感じながら成長した。母の血も息吹も霊力も、歌声も見る夢も何もかもを、分かちあい共有しながら人の形を成した。肉も霊も魂も心のかたちも、己を構成する全てが全く同一の血と霊と経験から生み出された──これ以上なく深く深く、結びついた相手だった。
その存在が感じられないことなんて、一度だってなかった。
生まれてからはもちろん別々の時間を過ごす機会もあったけれど、いつだって互いの声や気配は近くにあった。感じ取れないことなんてなかった。
だから、あの時。六年前のあの時に自分は。
「……六年前の〈纐纈染の九月〉。その発端も、下法士の七堕招喚テロだったんだけど、」
思いだしたくない話なのか、言いさして碧燈は口を噤んでしまって、そのことをすまなく思いながら、うん、と祭花は相槌を打つ。
六年前は祭花は、父を失って編入した初等学校の生徒だったけれど、将来衛士になると決めていたからニュースは毎日見るようにしていた。それに〈纐纈染〉については初等学校でも噂になっていたのだ。征伐使による大捕り物も、その発端となった七堕テロについても。
「噂じゃ、……その。その七堕のせいで、八重の術師が殉職したって」
祭花にはその人は、六年前にも今でも顔も名前も知らない人でしかないけれど、でも八重の術師の碧燈と天茜にはその人は先輩で、仲間で。碧燈がこんな反応をして、天茜が虚無感や罪悪感に囚われてしまったなら、その人はきっと。
「仲のいい人だったんだね。友達とか、……お兄さんかお姉さん、とか」
六年前なら、祭花と同い年の二人は十歳だ。恋人ということはさすがにないだろうけれど、……もしかしたら許嫁、とか。
碧燈はいよいよ、苦しそうに顔を歪める。
「そうじゃなくて。……そもそもまず、死んじゃいねえんだ。死にそうな大怪我はしたけど。そんで……」
「死にかけたその八重の術師が、天茜だ」
よりにもよって成体の七堕と破竜術師との、破竜儀式場の外での戦闘だ。滅多にないその事態にも対応すべく、帝都に備えられた霊的防衛システムが次々に稼動を開始する。
まずは歌流街と周辺一帯の積層森林から、〈ヒロモ〉への霊力供給ラインが構築。陽光と水と風の霊力を蓄える草木、生命活動でささやかながらも霊力を生む小動物と鳥と虫の織り成す狭苦しくも濃密な森が、それら霊力を束ねてジンベエザメの人造霊獣へと送り出す。
同様のラインが封印森林からも繫がり、こちらの大樹は根ざす大地からの霊力も蓄え、息づく獣、鳥も大型だ。より強力な霊力流が大気を走り、大霊力を受けた〈ヒロモ〉の霊術器官が高らかに詠唱歌を鳴り響かせた。
続けて、帝都の地下に張り巡らされた暗渠が次々と流路を切替。歌流街周辺を循環して流水の霊力を塗り重ね、巡り波立って内部の霊力場を賦活する。帝都中の〈ヒロモ〉と〈サモノ〉がそれぞれの空を旋回して歌い舞うことで風を生み、帝都のどこでも根と枝葉を広げ、年経りた太い幹を力強く伸ばす街路樹の古木が溜めこんできた霊力を夜空に立ち昇らせる。
注がれ、賦活され、満ち満ちる水と風と生き物の霊力を受けて。〈ヒロモ〉の《戦場隔壁》は本来の想定をも超え、ひたすらにひたすらに強化されていく。
《呪詛砲》そのものは避けられないが、続く七堕の突撃をもそう何度も無抵抗に喰らうほどには、天茜にも対抗手段がないわけではない。無理やり《禁呪》で足止めし、突きこんだ真神の釼の霊性を暴走させて自爆させ、《爆轟呪》を乗せた〈凌霄〉を特攻させて脚を吹き飛ばして、己が身と装備を削りながらも天茜は〈沈ク花〉の猛攻を凌ぎ続ける。
《呪詛砲》により撒き散らされ、また迎撃のたびに零れる堕素の漏出量は、結界に鎖されることもあって二華でさえも危険なほどだったが、八重の術師ならばまだ耐えられる。どうせ浄化の余裕もない。
最後の肋骨を消費しての《呪詛砲》が《醜楯》に削りきられて消え、撒き散らされた濃密な堕素の渦を突き破って〈沈ク花〉が吶喊。今や一町余りの戦場の広さを存分に生かし、速歩から疾走、瞬く間に驀進に至る。
最後の〈凌霄〉が特攻し自爆。踏み潰した暴君竜の右脚が吹き飛ぶが、即座に再生してそのまま踏み出す。機巧自在すべてを浪費しての悪あがきを嘲笑うように七堕は牙を剝き、顎を開いて天茜へと迫る。匂う血肉もないくせに腥い殺気が、ごうっ、と吹きつける。
刀身上の《醜楯》、その金雷色ごと嚙み砕かんと齧りつく。霊性と堕素とが干渉する雷光を散らし、〈沈ク花〉の牙が霊術陣をがっちりと銜えこんだ。
強大極まる顎でぎりぎりと嚙みしめる。それにより釼ごと天茜の身動きを封じこめ。
その状態で尾椎の先端を堕素に還元、口腔内に《呪詛砲》陣を煌めかせた。
小細工を使い切らせてからの、拘束し回避を封じての至近からの砲撃。突撃だけでは凌がれると学習した〈沈ク花〉の、切り札としての二連撃だ。
膨大な堕素を孕んだ霊術陣が灰焰色の激光を放つ。射爆はもう次の瞬間。
「──《響け》」
転瞬、天茜の放った破却霊術が、七堕の霊術陣を全くあっけなく打ち砕いた。
〈沈ク花〉の顎が霊術破壊の反動で後方へと弾かれる。驚愕の気配は一瞬、暴君竜は弾かれた頭部の勢いを利用して体を反転、長く太い尾による横撃に切り替えた。
体に比して重い頭部を回転の錘にした、固定尾類特有の硬質の尾による薙ぎ払い。腰回りと背面の百足群も加わった、線ではなく面の叩きつけを。
「《響け》」
多重起動した砲撃系霊術──《千五百烈光砲》の光条の群が迎撃。
百足の毒液と大量の堕素を盛大に撒き散らしながらも、光の暴雨は百足の胴を焼き、脚を斬り捨て、大顎を破砕して無力化する。同時に袖の鳴玉を鳴らして放った浄化の霊術が、濃く澱む堕素をまとめて祓った。
唯一残った尾の横撃に、真神の釼が真っ向から交錯する軌跡で振りぬかれる。
太く重く頑丈な巨獣の骨に、鍛えられた霊重鋼の刃が喰いこむ。水のように切り裂いていく。滑らかに斬り進み、そのまま反対側まで通り抜ける。
切断された暴君竜の尾が、振り抜かれた勢いのまますっ飛んで《戦場隔壁》に激突。
半ばから尾を失った〈沈ク花〉がたじろぎ、そして戸惑ってたたらを踏んだ。
トカゲの切れた尾のように跳ね回る尾の骨を、天茜は即座に刃鳴りを以て祓い散らす。
これまでは《禁呪》で時間を稼ぎ、攻撃霊術を解除してから行使していた祓い。
加えてこれまでは霊力と術式解析のための演算能力が足りずに行えなかった発動前の《呪詛砲》の破却、砲撃系霊術である《烈光砲》の使用に、半ばで切られた尾だけとはいえ激突されて揺るがない《戦場隔壁》。
〈ヒロモ〉への霊力供給はいよいよ強く、それに伴って《戦場隔壁》はなおも強化されて、その分だけ結界の補強をしていた天茜の負担が減じつつあるのだ。
そしてなにより、共にある種の頂点捕食者である天茜と七堕との決定的な違い。
七堕とは堕素の塊であって、生き物ではない。
体を削られればそのぶん堕素は漏出し、堕素を力として術を放てばその分はやはり消費される。そして生き物ではなく何を生みだすこともない七堕は、滅びを喰らって力を増すことはできても消費した堕素を自ら生成することができない。