戦闘が長引けば長引くだけ、七堕とは削れ、弱っていくものだ。
対し、莫大な霊力を持つ八重の術師は、その霊力量を維持するために呼吸と血流による霊力生産量も極めて多い。消費もまた膨大である破竜戦闘では差し引きゼロとまではいかないが、七堕ほどには消耗が早くない。
〈沈ク花〉の消耗はそのまま天茜の余裕に繫がり、強化されゆく《戦場隔壁》はこれまで天茜に課されていた制限を一つ一つ解除していく。〈ヒロモ〉への負担を考えて避けていた打撃と砲撃の霊術の使用。結界補強の《汎用防壁》に割かれていた演算能力と霊力の解放。
多重展開していた《汎用防壁》の一つが自動終了。割り当てていた補助脳の演算領域が解放され、用いて即座に新規の霊術を展開し起動。
「《響け》」
《身体強化》を重ね掛けし、今度は彼の方から接近、肉薄。肉食獣の反射神経でさえ反応しきれず、懐に飛びこまれた〈沈ク花〉が咄嗟に百足の胴の断片を広げる。毒液を撒き散らし、大顎代わりに歩行肢を振りかざし、体節をうねらせて天茜の背後から襲いかかる。
「《響け》」
それより早く、《打撃呪》。顎をかちあげられた暴君竜が天を仰ぎ、あろうことかわずかに脚さえ浮いて、その身から生える百足もまた本体に引きずられ、空しくあらぬ宙を薙いだ。
「《響け》」
《禁呪》。棒立ちの〈沈ク花〉の総身が、そのままぎしりと硬直。胸骨の突起を、突き出た鼻先を、蹴って天茜は空中へと駆けあがる。
「《響け》」
《火焰呪》。暴君竜の骨が、生え伸びる百足がまとめて燃えあがる。
零れる堕素を火の霊性が祓う。燃えて上昇する大気に代わり、周囲からどっと冷えた夜の風が流れこむ。歓楽街の甘く香る夜気。茉莉花に似た、けれどまるで異なる重苦い月下香の。
「──《響け》」
纏いつく甘い毒のような、贅美な鎖のような香霧を凄烈に断ち割り。
《切断呪》で刀身を延長した真神の釼が、〈沈ク花〉の巨大な頭骨を真っ二つにした。
告げた碧燈の目の前で祭花はぽかんとなり、それからゆるゆると表情を凍りつかせた。
「え……だ、だって。六年前だよ? 天茜は、その時……」
見返して碧燈は淡々と続ける。それは『外』の人間には異常なことなのだと、今は碧燈もわかっているけれど当時はそうとも思っていなかった。
八重の術師には自分たちの着任は、少し早いという程度のことでしかなかったから。
「十歳。……八重の術師は元服が早くて、だいたい十二歳かそこらで儀式に出るんだけど。俺たちは少し早い十歳で、元服して儀式に出てたんだ」
先代の踏破術師が殉職したのだ。最初は他の術師の補佐つきで何度か儀式をこなして。低階層の踏破、普通に出てくる程度の七堕の討滅ならそろそろ一人でも大丈夫だろうと、二人ともにお墨つきを得て。そんな時に。
「下法士が七堕を招喚して、そいつが破竜儀式の最中の儀式場に乱入した。不尽山の噴火のすぐ後で、火砕流は防げたけど洪水とか降灰とか、二次災害全部は防げなくて。陽光が減って生き物もたくさん死んで、国中の霊力が弱ってたころで──天茜はその七堕に負けた」
群体型の七堕だった。無数の、鼠の群だったと聞いている。
破竜儀式は担当術師の敗北に備え、予備の破竜方ペア一組が常に右衛門府・登星橋前の詰所で待機している。当時はまだ双子の兄妹で組んでいた琉璃揚羽とその兄が要請を受けた数分後には突入し、七堕の討滅にも天茜の救出にも成功している。
けれど、その数分の間に。
「喰われたんだ。あいつは。その七堕に」
今でも覚えている。目に焼きついて、忘れられない。
典医寮の医療技術と霊術治療を総動員した救命措置で危険な状態はひとまず脱して、対面が許されて目にした治療槽の中のきょうだいの姿。
咄嗟にそれが、見慣れた双子の兄だとも見分けられなかったことも含めて。
剝きだしの体組織を保護する生体被覆に全身覆われて、外から見える場所などなかった。
そんな有様でも惨状がわかってしまうくらいに──元の形を全く失っていた。
手も足も、臓腑の大半までも貪られて失われ、おそらくは顔さえも無くして、わずかに頭部と胸部、霊力生成と保持の中枢であるがゆえに特に防護の強い二所だけが、生命維持のために霊力濃度を高めた治療槽内部に横たわっていた。
全損した腹部臓器を代替する機械群と、五感に加えて内臓感覚までも喪失した脳に代わりの刺激を送る機械が、管とコードを介して繫がる。救出から今まで一度も、意識は戻らず眠ったきりだと付き添いの〈八重山吹〉次官から教えられた。
治療が終わっても──体を全て修復しても、意識が戻るかはわからないとも。
皇室直属の生体強化者である八重の術師は、身体のほぼ全ての部位の設計・定期測定データが典医寮に記録されていて、再出力も容易だ。換装用の生体部品が出力され次第、臓器も感覚器官も手足も繫ぎ直されて──その間、天茜はただの一度も目を覚まさなかった。
ひとまずの臓腑の修復が完了して治療槽を出てからも。手足の先まで全て繫ぎ直してからも。生成速度を最優先に最低限の機能しかない──生身の人間同然の性能でしかないそれらが、八重の術師本来の高性能の改造器官に差し替えられて全ての治療は完了してからも。伝えられた懸念のとおりに。
その彼がそれでも、目を覚ましたのは。
生き物ではない七堕は当然、頭を斬られたところで滅びはしない。
ゆえに天茜は解放された霊力をつぎこんで《火焰呪》と《禁呪》を維持し、〈沈ク花〉は劫火の中、傷ついた各所を再生させながら焼かれ続ける。
損傷は修復される端から焦げ落ち、また再生しては焼け熔ける。いくど咆哮で風を呼んでも吹き散らせぬ霊力の焰に、暴君竜の全身骨格がまるで突きつけられた自害の毒杯に、怯え後ずさる僭主のように慄いた。
その間も《火焰呪》は七堕を破壊し、焼けた傷から漏出する膨大な堕素が焰の霊性をも超えて撒き散らされる。二種の霊術を維持したまま《逆手》を打ち、周囲の堕素を一旦祓った。
《鎮魂》はそれでも、まだ削らないと通らない。ここまで弱らせてもなお一撃では浄化しきれない、それどころか死に物狂いで藻搔かれれば呪縛が軋む己が霊力の低さに辟易しつつ、天茜はなおも霊術の劫火に全力を注ぐ。
やがて──繰り返される〈沈ク花〉の再生が、ついに止まった。
……俺のせい、なんだよな。
詳細はとても祭花には語れぬまま、碧燈は思う。
天茜はあまり詳しいことは、祭花に知られたくないだろう。自分も正直、知られたくない。
あの時の自分の、……あまりにも幼稚で無様だった有様は。
天茜の負傷から、たぶん、一月ほどは経っていたと思う。
その一月の間、碧燈もまた動けなかった。
碧燈は踏破方で、だから鼠の群体型とは遭遇さえもしていなくて、かすり傷だって負っていないのに。動けないはずがないのに、一月のあいだ一度も踏破儀式に出られなかった。
天茜を置いて儀式になんか行ったら──天茜の傍を離れたら、その間に本当に死んでしまうのではないかと怖かった。目を離したらその瞬間に、いなくなってしまいそうで怖かった。
誰か、他の破竜術師と代わりに組んだら、その裏切りが死に瀕した兄を本当の死に突き落としてしまうんじゃないかと怖くて怖くて仕方なかった。
毎日、毎日、眠り続ける天茜を見舞った。ここにいるよと、待ってるからなと呼びかけて、それでもぜんぜん安心なんか出来なくて。