ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

四 ⑦

 戦闘が長引けば長引くだけ、七堕ナナエとは削れ、弱っていくものだ。

 対し、ばくだいな霊力を持つの術師は、その霊力量を維持するために呼吸と血流による霊力生産量も極めて多い。消費もまた膨大である破竜戦闘では差し引きゼロとまではいかないが、七堕ナナエほどには消耗が早くない。


シヅハナ〉の消耗はそのまま天茜あかねの余裕につながり、強化されゆく《戦場隔壁アオミズガキ》はこれまで天茜あかねに課されていた制限を一つ一つ解除していく。〈ヒロモ〉への負担を考えてけていた打撃と砲撃の霊術の使用。結界補強の《汎用防壁シラニガキ》に割かれていた演算能力と霊力の解放。

 多重展開していた《汎用防壁シラニガキ》の一つが自動終了。割り当てていた補助脳の演算領域が解放され、用いて即座に新規の霊術を展開し起動。


「《ゆらけ》」


》を重ね掛けし、今度は彼の方から接近、肉薄。肉食獣の反射神経でさえ反応しきれず、ふところに飛びこまれた〈シヅハナ〉が咄嗟とつさ百足むかでの胴の断片を広げる。毒液をらし、大顎代わりに歩行肢を振りかざし、体節をうねらせて天茜あかねの背後から襲いかかる。


「《ゆらけ》」


 それより早く、《》。顎をかちあげられた暴君竜テイラノサウルスが天を仰ぎ、あろうことかわずかに脚さえ浮いて、その身から生える百足むかでもまた本体に引きずられ、むなしくあらぬ宙をいだ。


「《ゆらけ》」


きんじゆ》。棒立ちの〈シヅハナ〉の総身が、そのままぎしりと硬直。胸骨の突起を、突き出た鼻先を、蹴って天茜あかねは空中へと駆けあがる。


「《ゆらけ》」


火焰呪ほたるび》。暴君竜テイラノサウルスの骨が、生え伸びる百足むかでがまとめて燃えあがる。

 こぼれるを火の霊性がはらう。燃えて上昇する大気に代わり、周囲からどっと冷えた夜の風が流れこむ。歓楽街の甘く香る夜気。茉莉花ジヤスミンに似た、けれどまるで異なる重苦い月下香げつかこうの。


「──《ゆらけ》」


 まといつく甘い毒のような、贅美ぜいびな鎖のような香霧を凄烈に断ち割り。

切断呪フツタチ》で刀身を延長した真神まがみたちが、〈シヅハナ〉の巨大な頭骨を真っ二つにした。

 告げた碧燈あおひの目の前でまつりかはぽかんとなり、それからゆるゆると表情を凍りつかせた。


「え……だ、だって。六年前だよ? 天茜あかねは、その時……」


 見返して碧燈あおひは淡々と続ける。それは『外』の人間には異常なことなのだと、今は碧燈あおひもわかっているけれど当時はそうとも思っていなかった。

 の術師には自分たちの着任は、早いという程度のことでしかなかったから。


「十歳。……の術師は元服が早くて、だいたい十二歳かそこらで儀式に出るんだけど。俺たちは少し早い十歳で、元服して儀式に出てたんだ」


 先代の踏破術師が殉職したのだ。最初は他の術師の補佐つきで何度か儀式をこなして。低階層の踏破、普通に出てくる程度の七堕ナナエの討滅ならそろそろ一人でも大丈夫だろうと、二人ともにお墨つきを得て。そんな時に。


下法士げほうし七堕ナナエを招喚して、そいつが破竜儀式の最中の儀式場に乱入した。不尽山つきずやまの噴火のすぐ後で、火砕流は防げたけど洪水とか降灰とか、二次災害全部は防げなくて。陽光ひかりが減って生き物もたくさん死んで、国中の霊力が弱ってたころで──天茜あかねはその七堕ナナエに負けた」


 群体型の七堕ナナエだった。無数の、ネズミの群だったと聞いている。

 破竜儀式は担当術師の敗北に備え、予備のはりゆうがたペア一組が常に右衛門府うえもんふ登星橋とうせいきよう前の詰所で待機している。当時はまだ双子の兄妹きようだいで組んでいた琉璃揚羽るりあげはとその兄が要請を受けた数分後には突入し、七堕ナナエの討滅にも天茜あかねの救出にも成功している。

 けれど、その数分の間に。


われたんだ。あいつは。その七堕ナナエに」


 今でも覚えている。目に焼きついて、忘れられない。

 てんいりようの医療技術と霊術治療を総動員した救命措置で危険な状態はひとまず脱して、対面が許されて目にした治療槽の中のきょうだいの姿。

 咄嗟とつさにそれが、見慣れた双子の兄だとも見分けられなかったことも含めて。

 きだしの体組織を保護する生体被覆に全身覆われて、外から見える場所などなかった。

 そんなありさまでも惨状がわかってしまうくらいに──元の形を全く失っていた。

 手も足も、臓腑ぞうふの大半までもむさぼられて失われ、おそらくは顔さえも無くして、わずかに頭部と胸部、霊力生成と保持の中枢であるがゆえに特に防護まもりの強い二所だけが、生命維持のために霊力濃度を高めた治療槽内部に横たわっていた。

 全損した腹部臓器を代替する機械群と、五感に加えて内臓感覚までも喪失した脳に代わりの刺激を送る機械が、管とコードを介してつながる。救出から今まで一度も、意識は戻らず眠ったきりだと付き添いの〈から教えられた。

 治療が終わっても──体を全て修復しても、意識が戻るかはわからないとも。

 おうしつ直属の生体強化者タケルであるの術師は、身体からだのほぼ全ての部位の設計・定期測定データがてんいりように記録されていて、再出力も容易だ。換装用の生体部品が出力され次第、臓器も感覚器官も手足もつなぎ直されて──その間、天茜あかねはただの一度も目を覚まさなかった。

 ひとまずの臓腑ぞうふの修復が完了して治療槽を出てからも。手足の先まで全てつなぎ直してからも。生成速度を最優先に最低限の機能しかない──生身の人間同然の性能でしかないそれらが、の術師本来の高性能の改造器官に差し替えられて全ての治療は完了してからも。伝えられた懸念けねんのとおりに。

 その彼がそれでも、目を覚ましたのは。

 生き物ではない七堕ナナエは当然、頭を斬られたところで滅びはしない。

 ゆえに天茜あかねは解放された霊力をつぎこんで《火焰呪ほたるび》と《きんじゆ》を維持し、〈シヅハナ〉はごうの中、傷ついた各所を再生させながら焼かれ続ける。

 損傷は修復される端から焦げ落ち、また再生してはける。いくどほうこうで風を呼んでも吹き散らせぬ霊力のほのおに、暴君竜テイラノサウルスの全身骨格がまるで突きつけられた自害の毒杯に、おびえ後ずさるせんしゆのようにおののいた。

 その間も《火焰呪ほたるび》は七堕ナナエを破壊し、焼けた傷から漏出する膨大なほのおの霊性をも超えてらされる。二種の霊術を維持したまま《逆手さかて》を打ち、周囲のを一旦はらった。

鎮魂みたまふり》はそれでも、まだ削らないと通らない。ここまで弱らせてもなお一撃では浄化しきれない、それどころか死に物狂いでかれれば呪縛がきしむ己が霊力の低さにへきえきしつつ、天茜あかねはなおも霊術の劫火ごうかに全力を注ぐ。

 やがて──繰り返される〈シヅハナ〉の再生が、ついに止まった。

 ……俺のせい、なんだよな。

 詳細はとてもまつりかには語れぬまま、碧燈あおひは思う。

 天茜あかねはあまり詳しいことは、まつりかに知られたくないだろう。自分も正直、知られたくない。

 あの時の自分の、……あまりにも幼稚で無様だったありさまは。

 天茜あかねの負傷から、たぶん、ひとつきほどはっていたと思う。

 そのひとつきの間、碧燈あおひもまた動けなかった。

 碧燈あおひ踏破方とうはがたで、だからねずみの群体型とは遭遇さえもしていなくて、かすり傷だって負っていないのに。動けないはずがないのに、ひとつきのあいだ一度も踏破儀式に出られなかった。

 天茜あかねを置いて儀式になんか行ったら──天茜あかねそばを離れたら、その間に本当に死んでしまうのではないかと怖かった。目を離したらその瞬間に、いなくなってしまいそうで怖かった。

 誰か、他の破竜術師と代わりに組んだら、その裏切りが死にひんした兄を本当の死に突き落としてしまうんじゃないかと怖くて怖くて仕方なかった。

 毎日、毎日、眠り続ける天茜あかねを見舞った。ここにいるよと、待ってるからなと呼びかけて、それでもぜんぜん安心なんか出来なくて。