ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

四 ⑨

 けれど一度儀式に失敗した天茜あかねは、そしてとりわけ貴重な踏破術師の相方である天茜あかねは、特に厳重な予備戦力が儀式のたび備えられている。少し前までははりゆうがた最強だった琉璃揚羽るりあげはとその兄のペアが、現在では同じく最強の座につく夜叉伏やしやぶしうすばつ椿ばきのペアが、彼の敗北に備えて常に待機している。共に儀式に参加する破竜術師だって、必ず一人は年上でベテランの、何かあっても二体の七堕ナナエを押さえて予備戦力の投入を待てる実力者だ。

 天茜あかねはだから、破竜儀式で死んでしまっても踏破儀式にはさほど影響がない。

 誰もそんなつもりではないのだろうけれど、まるで彼が死ぬのを待っているかのような万全の態勢が整えられているのだから、そのとおり死んでしまってもそれはそれで構わない。

 引き留めているのはただ、天茜あかね自身のきようじと責任感だけだ。

 傷も癒えない兄に泣きつく弱い弟を見捨てられない、兄としてのきようじと責任感だけだ。

 碧燈あおひ天茜あかねを、死に誘われながらもあらがわねばならぬ、苦痛の戦場に縛りつけている。

 今なお死に誘われるような傷を、──それが癒えるまで休むことさえ彼に許してやらなかったから今なお負わせたままにしてしまったのだって、六年前の幼い碧燈あおひだったというのに。

 俺こそが。あいつを。


「……あのさ、まつりか


 ずいぶん長く、黙っていた碧燈あおひがその果てにぽつりと口を開いて、まつりかは目を向ける。

 碧燈あおひは後ろめたく目をらして、痛みを堪えて目を伏せて、まつりかを見ない。


「言うとおりあいつ、ほっといたら死んじゃうから。目ェ離したらその間に、いなくなっちゃうかもしれないやつだから。だから……」


 だから。


「助けたいっていうなら、助けてやって。あいつのこと、いなくなりたいとか思わないようにしてやって」


 そして碧燈あおひは一度、唇を引き結んで吐き捨てるようにこぼした。

 俺では、あいつのことを救えないから。

 それでもあれから、六年だ。

 六年、積みあげた戦闘経験がほとんど自動的に天茜あかね身体からだを駆動させる。戦場に出たての幼い破竜術師には思いつけなかった回避と反撃を、即座に呼びだして躊躇ちゆうちよなく実行。

 体をよじって右腕にいつかせ、腕とたちを犠牲に致命傷となる胴体の損傷を回避。現生のどの獣よりも強力な咬合力こうごうりよくに腕がい千切られる寸前、たちを起点とした《爆轟呪イカリヒ》を高速展開。

 高性能爆薬のそれをも上回る超高速の衝撃波が、暴君竜テイラノサウルスの顎を内側から爆散させた。

 戦場を瞬時に駆けぬけた衝撃波とばくえん小型猛竜ミクロラプトルをもまとめて吹き飛ばし、細かい設定をしている余裕はなかったから天茜あかね自身にも牙をく。とはいえほとんどは装束の《》で無効化できる。それに今さら傷が増えたところで、痛覚はとっくに遮断しているのだからなんの問題もない。

 動かない右脚に義足代わりに《》を展開し、ややぎこちなく退すさって間合いを開ける。べろりと半端はんぱに、壊れ残って垂れ下がった右腕の残骸を、残る左手で無造作につかんで千切り捨てた。

 こうこうないさくれつを起こされた暴君竜テイラノサウルスにも即座の反撃は難しかったようで──なにしろ頭部は全く爆散、残るは構築途中の脊椎の半端はんぱな連なりだけだ──どこか異形の花にも似た動けぬその身がまたしてもほどける。生き残った小型猛竜ミクロラプトルの骨をも再び取りこんで形を変える。……同じ獣脚類の骨格の、一丈三メートル余りの敏捷びんしよう体軀たいく恐爪の猛禽恐竜デイノニクス

 復活したあとあし瓦礫がれきだらけの床を踏みしめる。姿勢安定系スタビライザである長い尾を揺らし、名の由来となった凶悪なかぎづめをがちりと鳴らした。──機動力と兵装の復活。こちらは片足の自由を失い、〈ノウゼン〉も、右腕と共に最後のたちさえ失ってしまったのだが。

 まあ、さほど問題はないかと天茜あかねは思う。

 真神まがみたちはないと困るものではあるが、なければ術を使えないというわけでもない。数万斤数十トンの巨体をこんな、せいぜいサイズまで削りとってやったのだから、あとは増援到着まで《きんじゆ》を繰り返して抑えこむくらいはなんとかなるだろう。

 ただ。

 ふっとみ深い思考が、脳裏をかすめた。

 そうまでして生きのびなくても、別に、いいのではないか。

 どうせ代えのきく自分などを生き残らせるより、七堕ナナエを滅するはりゆうがたの使命に殉じた方がいいのではないか。

 六年前に無様に死に損なった自分などが、このうえ無意味に生き続けるよりは。

 六年前から碧燈あおひあしかせとなり続けている自分などが、なおも生きのびて双子の弟の足を止めたままにしてしまうよりは。

 目を覚まさずにいた間も、天茜あかねは外界のことをある程度認識していた。

 同じの術師や、今もみの典医てんいや看護師が繰り返し話しかけてくれる声は聞こえていたし、双子の弟が毎日朝早くから夜遅くまで、つききりでそばにいたこともわかっていた。

 今代の踏破方とうはがたである碧燈あおひが、一人きりしかいない貴重な踏破術師の彼が、天茜あかねを失うことを恐れるあまりに長い間、踏破儀式を放棄していることを。

 あれからずっと、碧燈あおひは破竜儀式で天茜あかねが死ぬことを恐れ続けている。

 恐れているから、踏破にもあまり身が入らない。天茜あかねの安否などという余計な心配に気を取られて、儀式に集中できないから速度が出ない。

 全て、天茜あかねが六年前、無様にも負けて死にかけたせいだ。

 そのせいで双子の弟に、それまで意識せずにいられた破竜儀式の果てのきょうだいの死を意識させてしまったのだ。

 元より天茜あかねの霊力量はの術師としては低い部類だ。だから破竜儀式での殉職も、そう可能性の低い未来ではなかったのだけれど──それを碧燈あおひの目の前に、天茜あかねはあまりにもひどいかたちで突きつけてしまった。

 そして霊力の低い天茜あかねは、その弱さゆえにいつまでたっても、碧燈あおひの恐怖を拭えない。碧燈あおひは今でも天茜あかねの戦死を恐れて、そのために立ちすくんでいるままだ。

 天茜あかねが弱い分だけ、碧燈あおひは本当は強いはずなのに。歴代の踏破方とうはがたの中でも強力な、千年の悲願たる千万丈塔せんまんじようとう踏破を終わらせるに相応ふさわしい踏破術師が、彼の双子の弟のはずなのに。

 その碧燈あおひあしかせとなるばかりの自分は、弱いから弟の懸念けねん一つも晴らせない自分は、だから、いない方がいいのではないか。

 自分さえいなくなれば碧燈あおひは、弱い兄などに足を取られず進んでいけるのではないか。

 同僚たちにだって、自分のせいでずいぶんな迷惑をかけている。常に待機しているしやぶしうすばつ椿ばき。やはり常に同じ結番シフトに加わる槍時雨やりしぐれ。本当なら自分などにかまけるのではなく、が成せている今のうちに、開城戦闘に投入すべき彼ら。

 そうでなくても、自分よりよほど強い夜叉伏やしやぶしうすばつ椿ばきとペアを組み直せば、碧燈あおひ七堕ナナエに害される可能性は今よりもっとずっと低くなる。弱い自分などが無意味な意地を張って戦い続けるよりもよほど、双子の弟の安全に貢献できる。

 ──特別じゃないのは。選ばれなかったのは。やっぱり……つらいから。

 最も多く最も替えのはりゆうがただからこそ。その中でも弱い部類だからこそ。……自分などにはできないからこそせめて、兄の役割だけでも果たしたいなんてそんなくだらない意地のためだけにこの上なおも、この世界を救うべき碧燈あおひの足を捕らえ続けるくらいなら。

 自分などここで、今すぐ死んでしまった方が。

 かれるように剣印を向けた。《きんじゆ》ではなく攻撃のための霊術を、今にも飛び出さんとしている恐爪猛竜デイノニクスを見据えてつむいだ。

 詠唱すべきことだまが長く、その分だけ威力の高い霊術。今の天茜あかね為体ていたらくでも確実に七堕ナナエを滅却でき、そしていつかれたとしても死ぬまでには詠唱し終えられる霊術。


「──《この声は》」

シヅハナ〉が身をたわめる。突進が来る。即死だけ回避すればそれでいい。

 そのとき不意に、〈シヅハナ〉は眼前の天茜あかねから視線を転じた。

しゆくち》は距離と結界とを同時には越えられない。《戦場隔壁アオミズガキ》のすぐ手前で双翼の扉を飛び出し、そのまま駆けて到達した地下倉庫跡の戦場で、まつりかは鋭く息を吐く。