ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

四 ⑩

 帯に差したたちとピカ=ピカに宿る碧燈あおひの霊力、更には頭からかずいた紺青こんじようの衣がを防いでくれるから呼吸は苦しくなく、はだと肉が焼かれもしない。碧燈あおひだけでなくまつりかまでもが戦場に戻ると知った〈月滴子げつてきし〉使いの術師が、それならこれも着ていきなさいと防護の術をかけてかぶせてくれた彼の位袍いほう

 眼前には半端はんぱてのひらだけがつかからんだたちが突き立っていて、その向こうには恐竜の姿の七堕ナナエと、たちと片腕を失い、ぼろぼろの右脚を《》で支えて立つ天茜あかねの姿。

 桜重ねの戦闘装束が真っ赤に染まるほど、大量の血を流しながらも強く光る瞳で、決然と七堕ナナエを見据えている。

 まにあった。よかった。

 思うけれどまだ気は緩めない。むしろ息を細く吐くのと共に意識も鋭く研ぎ澄ませていく。

 鋭く引き絞られ、同時に戦場全体に広がる意識に、響いてくるのは澄み渡る高音だ。

 鋭利なやいばで水晶を撃つように、銀のかねを珠玉のばちで打ち鳴らすように響く。いっそ恐ろしいほどのせいれつで広がり、鈴を振り鳴らす残響をどこまでもとどめる。繰り返される音響と残響が、重なりあってやがてばんばんかねの歌声になる。

 音の波の中心にいるのは碧燈あおひだ。抜いたたちを顔の前に水平に構え、無言のままに霊術をつむぐ。ちらりとそうぼうまつりかを見やり、小さく一つうなずいた。

 同時にまつりかは刀を抜いた。

 預かった真神まがみたちではない。それは抜くなと言われている。一咲ひとえの霊力ではそれは危ないからと。だから自分の護身刀だ。護身用だから短い刀身の、けれど刃引きではない鋭いきつさきの。

 自分が生まれた時に父が、わざわざ神刀鍛冶に打たせたのだという誕生の祝いの。

 踏みこんで眼前の七堕ナナエの、長い尾の半ばに斬りつけた。

 護身刀は。

 手の延長として霊力が乗せやすく。鍛錬を積んだ自分たちなら、正しく気迫をこめれば七堕ナナエの表層防御くらいは突破できる。

 一咲ひとえの自分でも七堕ナナエを皮一枚、傷つけることくらいはできる。

 やいばが尾の骨にいこみ、斬り裂き、何か抵抗に当たって跳ね返る。

 途端に七堕ナナエうつろな眼窩がんかまつりかを振り向く。

 より弱い獲物を見いだし、そのままいつかんと向き直る。直後。

 み鳴らす左側の歯が、本来の音響とは異なる澄んだ金属音をかなでるのを自分の身体からだと天地に響かせつつ碧燈あおひは数える。この術は詠唱も要らないし使い分けも楽だし強力で、ついでに碧燈あおひが得手とする術なのだが、がかさむことだけが少し手間だ。

 ……二十九。

 まつりかが動く。

 護身刀を抜き、眼前の七堕ナナエに斬りつける。

 ……いやまつりかなにしてんの!?

 まさかの光景に思いきりあせりつつ、とにかく碧燈あおひは霊術を完成させた。

 の術師が用いるじゆごんの術は、大陸由来の霊術と八千穂国やちほのくに古来のそれが習合したものだ。

 大陸由来の霊術の一つである《叩歯こうし》は、名のとおり歯をみあわせる音を媒介とする。いずれも大陸にて楽器として、また祭器として用いられたけいしようの名を冠し、人の身を祭器として鳴らすことで霊理に、太古には管理神群カミにも呼びかけ感応を乞うた術である。

 すなわち右の歯を鳴らす防護の《ついてんけい》。中央の歯を鳴らす招神の《鳴天鼓めいてんこ》。

 そして左の歯をみ鳴らす音にて邪悪をはらへきじやの術を。

折天鍾せつてんしよう》、という。


「《三十》! ──いけっ!」


 天のかねが鳴り響く。

 招いた天空の霊性が、銀の雨のようにてんらいのように降り注ぐ。不可視の圧力と化して眼下の邪悪を──七堕ナナエを捕らえてひしぐ。

 そして縫い留められた七堕ナナエを目掛け。がそのまま落ちてきたかのような、せいしんの光が織り成す霊威の巨大なてつつい瓦礫がれきの戦場に撃ち落とされた。

折天鍾せつてんしよう》の霊威に撃たれるのは『邪悪』たる七堕ナナエだけだが、共に招かれ吹き下ろされた高空の風に、かいじんとコンクリートのふんじんもうもうと立ちこめる。

 その灰色の煙幕の中、天茜あかねは怒鳴った。

 展開途中の霊術をキャンセルして精密動作の苦手な《》の制御に回し、七堕ナナエの攻撃レンジから引きさらってかばったまつりかを抱えたまま。

 来るなと言ったのに碧燈あおひ当人がのこのこ戻ってきたのは、どうせこのバカは自分の言うことなど一つだって聞きはしないのだからもう仕方ないが、──七堕ナナエに相対するだけでも命取りの、霊力が弱いから真っ先に狙われる一咲ひとえまつりかを!


「なぜ連れてきた、碧燈あおひ!」

「ついてくって本人が言ったからだよ!」「わたしが連れていってって言ったの!」


 即座に碧燈あおひが怒鳴り返し、腕の中のまつりかも必死に言い募る。虚をつかれてまつりかを見返した天茜あかねに、碧燈あおひが顔をしかめて苦言を呈す。


「ただまつりかもやりすぎ! 一瞬気ィ引いてとは言ったけど、斬りつけろとは言ってねえ!」


 碧燈あおひが貸したのだろう真神まがみたちの外装も術師の誰かが着せてやったのだろう被衣かずきも、あの一瞬の接触ですでにぼろぼろだ。それなのにまつりかはむっと唇をとがらせて碧燈あおひに言い返す。


「だって、けんせいくらいはできるって!」

けん! せい! だから! 率先して攻撃すんのはけんせいって言わねえから! まつりか、実はけっこう凶暴だよな!?」

「きっ……凶暴!? なによ凶暴って! 他にもっと言い方あるでしょ勇敢とか果敢とか!」

「あんたは無謀とか蛮勇とかだ! ほら見ろやっぱ凶暴じゃねえか!」

「なんですってー!?」


 一応仮にも七堕ナナエとの戦闘の場で、ぎゃあぎゃあと二人は仲間割れを始める。

 あげくそのままのノリで振り返った碧燈あおひが、思いきり指など指してきやがった。


「だいたい、今のお前が偉そうなこと言えたザマかよ天茜あかね! 〈ノウゼン〉もたちも全滅して片腕ぶっ飛ばされて脚だって壊されて! どう見ても一番バカやらかしてんのはお前じゃねえかこの馬鹿! バーカバーカバ───────────────────────────カ!!」


 なんだかものすごくばかばかしくなってしまって、天茜あかねうめいた。


「ああ、そうだな……!」


 いつでもどこでも騒がしくて落ちつきのないこの双子の弟がそばにいる間は、どうにも深刻に考えるのが馬鹿らしくなるのだ。

折天鍾せつてんしよう》の猛烈な打撃で粉々に擦り潰されていた〈シヅハナ〉が骨格を再構成、性懲りもなくまつりかを狙って迫ろうとするから《きんじゆ》で思いきりたたせる。七堕ナナエに言うことでもないのだが場の空気を読め。今はお前にかまってる場合じゃないからすっこんでいろ。

 そのまま碧燈あおひが《きんじゆ》を重ねてがっちりと押さえつけ、腕の中から降りたまつりかが片足で立つ天茜あかねに寄り添って支えた。

 逃げろ、といまさら言ったところで聞き入れもしないのだろう、光の強い瞳で。

 光の強いそのそうぼうに、まっすぐに見据えられるとどうにもかなわないような、逆らえないような気分になる眼差まなざしで。

 ……無力を突きつけられて、それでもなお。こんな顔で進める強さは自分にはないから。

 いかにも気が進まないように嘆息して、目を向けないまま言った。


「……来たのはもう仕方ないから、そのまま支えててくれるか」


 ものすごくうれしそうにうなずかれた。


「うんっ!」


 その表情があんまりまぶしくて直視できなくて、天茜あかねは平静をよそおって目をらす。《》の分の霊力も七堕ナナエの滅却に回したいだけだ。喜ばれる筋合いじゃないのに。


碧燈あおひ、そのまま時間を稼げ」

「おうよ」


 応じる、碧燈あおひはやたらニヤニヤしていて大変ムカつくので、足を治したらまず蹴飛ばそう。

 やれやれと一息ついて、一度キャンセルしたことだまをつい先ほどとは全く違う気分でつむいだ。

 ばかばかしくて、うんざりしていて。少し情けないようでもあり、そしてどこか安堵あんどしている。自分でも理由のわからない、けれど決して不快ではないそんな気分で。


「《この声は 我がにはあらず》」


 碧燈あおひ七堕ナナエとの戦闘は専門ではないが、これだけ弱っているのを押さえこむなら楽勝だ。