これだけずたぼろにしてやったなら後は増援到着まで、得意の《禁呪》で足止めしていればいいだけなのに何故か捨て身で攻撃を仕掛けようとしていたのだから、天茜はやっぱりまた死に急ごうとする悪い癖が出ていたのだ。
祭花に言ったとおりだ。目を離したらその間に、天茜は死んでしまいかねない。だからどうにも、目を離せない。
そんな放っておけない、手のかかる兄だから。
「──たかだか数分早く生まれたってだけで、兄貴面されたくねえんだっての」
自分こそ傷ついていたくせに、自分こそつらいくせに碧燈を見捨てられずに帰ってきてくれて、今も共にいてくれる、それ以上には、もう。
天茜の《禁呪》が解除され、察知した〈沈ク花〉が残る拘束を跳ねのけんと足搔くのを呪縛を強めて押さえつける。結界の外からも《禁呪》が重ねられて、増援の先陣である影部がようやく到着したようだ。まったくの突発事態だったから仕方ないとはいえ遅いっての。
聞こえる言霊は《鎮魂》、──破竜術師は七堕を消滅させるために用いる霊術だ。
その正式な言霊を唱えている天茜をちらりと見やって、ほっとしたような、少しだけ寂しいような気持ちで肩をすくめた。
「……でも、今後は大丈夫かな」
《禁呪》も《駆動装甲》も解除した全力を注ぎこんで、天茜は正式な《鎮魂》の言霊を唱える。存思するのは八千穂国の八つの神宝、略式詠唱では数を数えるごとに一つずつを身に纏う、八重の術師の血脈に今なお息づく太古の霊威。
一つ。
「《天つ鏡》」
二つ。
「《清水の水精》。──《瑞山の翡翠》《海原の真珠》《磐底闇の黒曜》《斎霧の領巾》《万籟の鈴》《威霊の剣》」
真澄鏡を胸に。五つの珠玉は連ねて首に。領巾を纏い、鈴を手纏に、剣を手に。
古代の両刃のかたちをした霊威の剣を、左手に携えて正面に立てた。
「《その身を振るえ 血流と息吹を震え 天地を奮え 霊威を揮え》」
それは天の彼方より降り注ぐ、鴉神に象徴される陽光の霊威。流水の蛇神の、地脈の狼神の、海流の鮫神の、遥か地の底より湧きあがるこの惑星の脈動の。天地の間に満ち満ちる無数の水の。そしてこの世に在る全てのものの。
それら霊威を寄せ、憑らせて束ねる、この身は。
「《この身は 我がにはあらず ちはやぶる 蛇霊の神の 憑り坐す斎座》」
祖神である水の管理神格の。──天地の水の霊性に、親しい自分たちのその始まりの。
太古の神世にはその玉座として、桜の樹々は千桜の山を彩ったのだという。
「《この手は 我がにはあらず 鳴神の 雷霊の大刀を かざす神の手》」
雷は天の水より生じ、剣と蛇とに象徴される。
蛇霊の裔にして水に親しく、釼もて生きる己が振るう霊威として、これ以上のものはない。
霊威の剣を天にかざす。雲もない夜空に唐突に、絶縁体である大気をも引き裂く轟音で雷鳴が響き渡る。
寄り添う祭花がさらに強く身を寄せた。
縋るのではなく支えるために。
その力と心に応えるように、言霊の最後の一節を紡いだ。
「《禍物を祓除く剣なくば 何を以てか枉れるを直さん》!」
瞬時に、戦場全体を駆け巡った青の雷華が四羽の鴉を成して旋回、臥鴉丸の雲術陣を描く。己が羽の残像を軋跡に残して幾重にも、それは千万丈塔の万華鏡天井の如き精緻さで。
そして収束。なにか大いなるものの咆哮めいた霹靂を轟かせ、迸った極大の雷霆が──振り下ろされた天茜の剣に従い、まっすぐに〈沈ク花〉を撃ち貫いた。
〈沈ク花〉は雷霆の神威についに灼き滅ぼされ、あとかたもない。
確認して碧燈は《伝神》を繫ぐ。出撃させたのは琉璃揚羽だが、碧燈自身もそれを要請した相手の。
「悪い薄刃椿。……倒した」
増援として急行していた破竜術師同士のペア、どうも歌流街手前まで来ていたらしい二人の一方である。夜叉伏は性格がアレで碧燈は大変苦手なので、闊達な人格者の薄刃椿に。
薄刃椿はなにしろとっても人格者なので、気を悪くするでもなく笑って応じてくれる。
『それはよかった。後始末の手伝いくらいはさせてもらえるのかな?』
「頼む。てか、天茜が割と大怪我してるから、《縮地》とかで力貸してほしい」
『またあの子は……了解。とりあえず待機するから落ちついたら指示を』
ところで当の天茜は、無事な左足と《駆動装甲》の義足でひょこひょこ歩き回っていて祭花が心配そうに後ろをついて回っていて、碧燈は半眼で問う。別に、八重の術師は痛覚と同様に出血だって制御できるし、霊力量が膨大なぶん生命力も極めて高い自分たちはちょっとやそっとの失血では死んだりしないが、それにしても。
「なにしてんの天茜」
怪我人だという自覚くらい、そろそろ持ってほしいのだが。
「〈凌霄〉が全滅した以上、自分で見て回るしかないだろう。持ち帰れる情報は持ち帰りたい」
「ああ、手掛かりとか。けどさぁ……」
半眼のまま、碧燈は地下倉庫──の、残骸を見回す。
「このザマだぞ。なんかあったとしても、もう残ってねえだろ」
本来、専用の戦場が必要な七堕成体と八重の術師との激闘の果てに、大技二発が炸裂した後なのである。どかどか爆撃されてもここまでにはならないだろうという焼け野原っぷりだ。
もしかしたら何か、下法士の仕掛けが施されていたかもしれない直剣の身体も、〈沈ク花〉の招喚時に消し飛んでしまったのだし。
「それもそうか。……下法士については特に、なるべく手がかりを集めたかったんだが」
するりと繊手が、後ろから祭花の首に巻きついた。
「呼んだかえ?」
祭花はぞっと凍りつき、振り返った天茜も即座に身構えた碧燈もそれ以上は動けない。なにしろ祭花を人質に取られたかたちだ。首に絡む指は細いが、戦闘用の身体改造者や術師ならそれでも頸骨を瞬時にへし折ることができる。
祭花の肩口に摑まったまま、やはり下手には動けないピカ=ピカが愕然と呻いた。
「今、どこから……」
天茜につき従って歩いていた祭花が、ほんの直前に通りすぎた空間から現れた相手だ。誰もいなかったことはこの場の誰もが目にしている。
そしてやはり何処からともなく、闇色の装束に身を包んだ一団が滑り出て取り囲む。
鞭のように引き締まった体軀、無造作にひっさげた抜き身の、艶消しの黒い刀身の小太刀。同じく闇色の布を巻いて顔を全く隠しているが、隙間から覗く双眸は瞳孔が縦に長い金色、目元の薄い皮膚のかわりに細かい黒銀の鱗が彩る。
竜化精。
それも……そこらの堕竜講には使い得ない、特別製の。
きり、と碧燈が歯を軋らせた。
「……〝黒龍御前〟」
「いかにも。我こそは堕竜講と七堕の主、その名も尊厳き黒龍御前よ」