ヤエブキ機関 千万丈塔踏破録1

四 ⑫

 えんぜんと笑う、こくりゆうごぜんはべらせる部下に反して人の姿のままだ。傾国とはかくあらん、というせいえんの美貌に、高く結いあげてなお膝下まで達するつやめく髪、べにを差して笑み裂ける唇。玄妙な曲線をくっきりと浮きたたせる闇色の単衣スキンスーツの上から、宵闇めいた濃藍こあい表衣うわぎようえんまといつかせるように羽織る。


「そう、動くでないぞ、術師ども。……いまさら推参しおった雑兵ぞうひようばらも」


 七堕ナナエせんめつの報を聞いてだろう、なだれこんだたちが鋭いいちべつを向けられてみする。

 それでも隙をうかがまだらきから目を戻して、こくりゆうごぜんは傲然との術師をへいげいした。


「人がお役目を果たそうとしたに、余計な手出しをしてくれたの、ヤエブキ機関。……報いはいずれ、受けてもらうぞ」


 そしてこくりゆうごぜんは、配下の黒衣の竜人たちは。出現した時と同様にこつぜんと消えた。

 なにしろ同じかりゆうがいでの騒動だ。客と遊女らの避難誘導に働いたこともあり、〈セイヤク〉摘発と七堕ナナエ出現のあらましは『親』である〈寒卑かんひかんてい〉も把握している。ごうしやを極めた揚屋あげやビルの、ぜいたくなバックルームに戻ったところで太夫たゆうあがりのトウシユつややかに嘆息する。


「〈セイヤク〉も亜人スサビヒナ工場も、戦闘用の研究施設も潰されんした。親のわっちらにはなァんのおことばもござりんせんに」


 断りもなく。つまり情報提供の命令もなく、の情報網も人員も何一つ使わずに、朝廷は〈セイヤク〉の叛逆はんぎやく計画に行きつき、そしてせんめつした。

 亜人スサビヒナ工場をかくみのに、〈かんてい〉が〈セイヤク〉に行わせていた生体兵器研究さえ、その裏で。

 老ブッキリは姉分のその言葉に苦くうなずく。

 先日、直剣すぐみに言ったとおり、かぎよう皇家おうけ目溢めこぼしで成り立っている。今や朝廷の完全管理下であるこの社会で、見せかけの管理外イリーガルを商う使い走りがだ。

 いかに皇家おうけを敬愛しているといっても、そんな無様に甘んじたくはない。けれど暴力装置を独占するここのえ皇家おうけの、支配を脱するには相応の戦力が必要だ。それゆえの戦闘用の研究、朝廷も見逃してはくれない本当の大罪だったのだが。


「……お見通しだぞ、ってことだよな。姉御」


 気づいているし、過ぎたは許さない。そう〈かんてい〉に、似たようなたくらみを抱える他のにも、くぎを刺したのがこの捕り物の一面だ。ここのえ皇家おうけは──ココノエ機関の化物たちは、一つの行動で一つの目的だけをかなえるほど暇ではない。


「あい。ほんにここのえさまは〈大粛清〉から千年、あんまりにもおっかのぅあらしゃる」

〈大粛清〉。千万丈塔せんまんじようとうの元となった大建築が各国総出で行われたという少し前にこの国で、世界中で吹き荒れた各国王家による粛清の嵐。

 反対勢力や下法士げほうしと同様に、当時跋扈ばつこしていたマガイモノと、ホンモノでも扱いづらい組織はのきなみ壊滅させられた。伝え聞くところではイルチャリガなる赤道直下の小国さえもが、くだんの大建築のとして各国連合軍にせんめつされたそうだ。以来、この国の全ては朝廷の、ここのえ皇家おうけの支配下に引き据えられ──その鎖は千年、一度たりとも切れずにいる。


〈大粛清〉より実に千年。千年もの長きにわたり、ここのえ皇家おうけは千年前の苛烈を失っていない。粛清により得た強権を、〈大粛清〉に至った目的を、腐敗も変質もさせていないのだ。

 千年、揺るがぬ意志と使命。それは最早人外の思考、上位存在カミの在り方だ。

 神意を以て稼働かどうする、ココノエ機関という狂神装置に──直剣すぐみは擦り潰された。


〈ヘキホウトウ製薬〉。のように罪を犯したわけでも下法士げほうしのように逆らったわけでもなく、ただ技術接収のために〈大粛清〉にて取り潰された当時の最先端企業の一つ。

 嘆息して老ブッキリは独りごちる。それでも直剣すぐみは、だけマシだったろう。

 朝廷が本当に禁じるりゆうかせいの、より危険と発覚した羽化精うかせいの材料となっていたのだから。


「今後は。商売一つ潰しやがって……」


 落とし前をつけてくれ。そのために。なあ。

 スグ坊。

 竜化の変化へんげを解いた配下と別れ、こくりゆうごぜんを名乗る竜の姫は独り闇の廊を歩く。

 ウロトキもほど近い深夜の、彼女の私邸だ。女主人の帰宅を待って鋼蔀シヤツターは下ろさず、けれどあかりは落とした寝殿と東西のたい

 広大ななんていは、敷きつめた白砂が淡い月明かりに霜のように照り映える。悠々と広がる苑池えんちはこの時刻には闇をたたえたようで、甘く香るせんざいくちなし、夜空を切りとる古木の巨影。

 東西のたいの南端からつり殿どのまで延びる中門廊ちゆうもんろうが南庭を完全に囲い、敷地しきちがいつながる正門はその中門廊ちゆうもんろうの外にあるから、夜の闇のていだいの南庭はまるで切りとられた小宇宙だ。

 の下を流れるやりみずのせせらぎを足下に聞きつつ、ふと独りごちた。


「《軽んずることなか直折ちよくせつの剣 ほ曲全のこうに勝れり》──であったかの」


 剛直ごうちよくの剣は折れてもなお、曲がって己を保つつりばりに勝る。古い詩の一節だ。おそらくはすぐ字名あざなの由来。

 暴虐の鯨鯢くじらを斬らんとし、専横のさんとして折れた直身すぐみの剣は、それでも本望だったのだろう。たとえ鯨鯢くじらはそれで、毛ほどの傷も負わなかったとしても。


「……哀れなことよの」


 水晶のとうろうに飼われたしよくかしゆほしきんぎよの、だいだいいろをしたあかりがぼうと照らすはしがくしの下で、きざはしに腰を掛けていた人影が立ちあがるのに口の端をりあげた。


「おお、そなたかえ。今更だがでなによりであったの」


 笑みかけた先、相手はこくりゆうごぜんの軽口に応えない。


「……遅い」


 短い言葉に含まれるのは明確な非難の響きだ。暗いの闇にけいと光る、こちらをにらみ据えてらされぬ瞳。

 けれどこくりゆうごぜんは意にも介さず短くわらう。


「なにしろ邪魔が入ったからのう。嗅ぎまわるこねずみばらに、我らの手の内を見せるわけにもいかぬであろ」


 人影は答えず、傲然と顎をあげてこくりゆうごぜんは続ける。えんれいわらう唇、相反して冷ややかなそうぼうは、無情のけものの無機質なそれ。


「本番は〈スミゾメ〉出現の夜じゃ。あと二日、せいぜい英気を養うがよいぞ」


◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆


碧燈あおひは」「まだですぅうう……」


 いつものやりとりを、今日は碧燈あおひ近侍きんじの気弱なまつさぎと交わして、いつものとおり天茜あかね碧燈あおひの部屋の明障子あかりしようじを引き開ける。換装したばかりの右手でスパーンと。

 面倒だからせめてこの音で起きてくれないかなと実は毎日思っているのだが、残念ながら今日もやっぱり碧燈あおひは起きない。

 ので、これはいつもと違い、今日初めて用意したものを取りだした。

 なにも毎朝自分が起こさなくても、世の中には目覚まし時計というものもあるのだし似た機能ので代替すればいいだけじゃないか、と気づいたのだ。元々朝を告げる役目のために、人に飼われていた生き物なのだし。

 碧燈あおひがぐーすか寝こける帳台に放りこんで、明障子あかりしようじを閉めてきっちり聴覚も遮断して、念のために両手で耳を塞いで。直後。