六ノ月十六日。超級〈野辺ノ墨染〉迎撃の夜の涙町。
拘束を担当した各国踏破機関からの報告により、〈野辺ノ墨染〉の全長は実に百五十丈超と判明している。戦闘に充分な空間を確保するため、破竜儀式場に周囲をとりまく霊木林も含めた四令里四方が戦場として作り直される。
霊木林の最前衛、他の霊木からの霊力供給で《戦場隔壁》を構築する天橋竹群は伐採されて更地になり、同じ根から生じた若竹が後列の霊木群の間からすでに梢を覗かせる。成長の速い竹の特性を霊術で賦活して作りあげた、今宵一夜だけの迎撃態勢。
千万丈塔はすでに上空に出現していて、積層森林の傍らで天茜はその巨影を見上げる。
隣で同じく塔を見つめていた祭花が、地上に視線を戻して囁いた。
「機巧自在操作の陰陽師も、今日は多いね。呪禁寮・結界方も全員出てるし」
「他にも斎王府に左右近衛府に祓使に医務寮。八重の術師も緊急出撃待機として全員が皇京控置。陰陽師も今日は、通信中継に加えて搬送任務もあるからほぼ全員が出てる」
天茜が応じたとおり、霊木林の周囲では支援の各官司がそれぞれに帳舎を立てて本部を設営し、結界のための陣を敷いている。霊脈賦活の斎王府の巫覡。霊力供給用の注連縄を積層森林につなぐ祓使。霊木林周囲の封鎖を担当するのは今日は皇室親衛の近衛士たちだ。
普段、儀式場の封鎖を行う左右衛門府は、今日は涙町外縁の封鎖担当でここにはいない。
大鴉型の機巧自在が、統括担当者の琉璃揚羽の声で告げる。
『全七堕の討滅を確認しました。破竜儀式場の最終チェックを開始』
常に千万丈塔と共に現れる七堕は、今日は最初から破竜方四組八名を投入、〈野辺ノ墨染〉迎撃に先立って速やかに討滅されることになっていた。戻ってきた吊り目の青年と長身の娘のペア──夜叉伏と薄刃椿を遠目に見ながら、ふと祭花が問う。
「今日は踏破儀式はしないんだ?」
「さすがにその余裕はないな。皇京の術師戦力は、今日は最低限の予備以外は〈野辺ノ墨染〉迎撃に注力してる。それに、霊力の高い術師を一か所に集めすぎるのはよくないから」
だから本来、アンカーの役に注力すべき破竜術師に七堕の討滅まで担わせる無茶を毎晩行っているのである。普段の八人でも結構、ギリギリなくらいに良くないのだ。
「長官だけでも巫覡と結界方が死にそうなのに、このうえ踏破方まで置けない。碧燈はあれで霊力量は多い部類だから」
「あれでってなんだよあれでって」
隣でピカ=ピカを抱えて、黙って聞いていた碧燈が小さく呻く。
ところで何故この二人は妙に仲良くなっているのだろうと、天茜は胡乱な目を向ける。
出てきた破竜方がそれぞれ《縮地》を起動して各自の待機位置に移動。天茜たちにもついにその指示が飛ぶ。
『茨宮殿下の出撃準備が完了。じきに出御なさります。あなたたちも待機位置に移動なさい』
〈野辺ノ墨染〉迎撃の主戦力・茨宮。──ヤエブキ機関長官にして、皇家最強の術師のお出ましだ。
了解、と応じて歩きだした天茜と碧燈に、ぱたぱた戻ってきたピカ=ピカを受けとめて従いながら祭花が不安げな顔をする。
「ね、ほんとにわたし一緒にいていいの?」
ヤエブキ機関に課されていた堕竜講征伐、〈野辺ノ墨染〉迎撃に戦力を集中するための露払い作業は、予定どおり昨日までに一段落して衛門府との協同も終了している。
祭花たち連絡係の衛士も通常業務に帰って、今は涙町を囲む規制線の警備か、帝都の警邏に出ている者ばかりだ。その中で祭花がまだここにいるのは。
「ここまで協力してもらったんだから一人くらい、〈野辺ノ墨染〉との決着にも立ちあわせてやっていいだろうと意見が出て。それで祭花が選ばれたんだから問題ない」
若手同士で年が近いこともあり、それぞれに担当の衛士と仲良くなった八重の術師がそれぞれ言いだして、ヤエブキ機関の次官が左右衛門府にかけあってくれたのである。
「つか、れっきとした衛士としての立ちあい任務なんだから、いない方が問題だって」
碧燈も続けて言って、これについては右衛門府の長官が気を利かせてくれたそうだ。
うーんとまだ、一人だけ特別扱いなようで気後れしている祭花に、天茜は肩をすくめる。理由があってのことなのだからそんな顔をしなくていいし、それに。
「これからも協力してもらうことは増えるだろうから。なるべく親睦を図っておきたいのはこちらの都合で、だから気にしなくていい」
「そうなんだ。……うん、じゃあ、またこれからもよろしくね」
ほっとした様子で祭花はようやく笑い、それから表情を引き締めて衛士の顔をした。
「黒龍御前」
「存在の可能性は以前から指摘されていたが、先の件で実在が確定した。……彼女の誅殺が、これからのヤエブキ機関の第二目標になる」
有象無象の堕竜講の裏で、知識と技術とを提供して彼らの叛逆を助け、あるいは糸を引くと言われる大盟主・黒龍御前。数百年にも亘り闇に潜んできた朝敵がついに姿を現したのだから──彼女たちの企みを、ヤエブキ機関はなんとしても防がねばならぬ。
頭上、七彩の輝きを零して消えていく金剛の塔を見上げて天茜は言う。
九百年に亘りヤエブキ機関が挑み続けてきた世界救済儀式の塔。千年の最優先目標にして、悲願である。
「千万丈塔の踏破完了のために」