C3 ‐シーキューブ‐

第一章 「布団に移るものを知らない」/ "Night of Rubik's Cube" ③

 その笑顔の下で、持っていたなべふたがなぜかスッパリと割れた。テーブルに落ちた半円を二つ、見もせずにぽいぽいと後ろに放り捨て、このはは「じゃあいただきます」と楽しげに(少なくとも見た目は)食事を開始した。


「うーむ、なんでこんな緊張感のあるメシになってるのかわかんないんだが……とりあえず簡単な紹介でもしとくか。こいつはフィア、例のごと親父おやじが送り込んできた客な」


 肉じゃがの肉だけをガバリと取りつつ、このはがフィアに目を向ける。フィアは完全無視。


「んでこっちはこのは。何て言ったらいいのかな……庭にある離れの部屋に住んでて、クラスは違うけど高校の同級生で、昔からのおさなみみたいな付き合いで」

「──


 するりとフィアが言葉を奪った。わずかな沈黙があり、


「……そういうこと。ここでの、お前のせんぱいみたいなもんかな」

「ふん、そうだろうと思ったわ。でなくては鍋が勝手に壊れるものか。人化できるほどののろいを受けた道具は、人の姿でもある程度《本体の性質》を操れるからな──何かの刃物か、貴様」

「あなたは? と聞いたら素直に教えてもらえます?」


 笑顔の問い返しにフィアは鼻息で答えた。

 そしてしばらく、はるあきが居心地の悪さにモゾモゾするばかりの食事タイムが続き──皿の空白が目立ち始めたころになって、ふと思い出したようにフィアが言った。


「前例があるから信じられるだろう、と言いたかったわけか。さっきは」

「あ……ああ、そういうことだ。このはは昔からバイトとか人助けとか一生懸命やってたぞ」

「そうですね。もうほとんど、わたしの呪いは解けていますよ」

「ほとんど、か。完全に呪いが解ければ私たちはどうなるのだ」

「一般的な呪い道具は、呪いが解けたら普通の道具に戻るだけなんだが。親父の言うところによると……人化できるようになったやつらは《負の思念》が存在そのものの性質を変えるレベルで食い込んでるから、呪いを正効果で打ち消してもかくとくした人の性質自体は残っちまう、だったか。だからなんつーか、お前らはお前らのまま、ただ呪いが解けるってだけらしいぞ」

「ふむ……道具に戻るわけではないのか……そうか」

「正直、不勉強なんで詳しいことはよくわからん。親父が帰ってきたら聞きゃいいよ」


 それを聞いているのかいないのか、フィアは「そうか……うむ。そうか」などとつぶやきながら何度もうなずいていた。ほっとしているのを無理に隠しているような表情だった。

 皿に残った最後の料理を口に運びつつ、フィアはさらにこのはを見やる。


「……春亮はさっき、十何年か前からの付き合い、と言った。やはりそれくらいかかるのか」

「元々どれだけのろわれていたか、にもよると思いますが。けれど」


 わずかな間。空の食器が二つ、同時にテーブルに置かれた。静かなひとみと、かすかに敵意ある瞳。


……あなたには色々気に食わない部分もありますが、その点だけは共通理解が発生するものでしょう。ほかでもない、あなたとわたしだけが共有できる真理のけいがいとして」


 フィアは何かを言いかけ、しかしぷいと視線をらした。


「……気に食わない部分があるのはお互い様だ」

「まあ、気長に頑張るといいですよ。特に協力できることはないと思いますけど」


 せんぱいの余裕か、このははそんなことを軽く言う。フィアはやはり鼻を鳴らした。

 それからはるあきも食事を終え、何を言うでもなくこのはと一緒に後片付けをする。茶を湯のみにれて居間に戻ると、フィアはひざかかえた姿勢でぼんやりと天井を見上げていた。一応彼女にも湯のみを渡し、食後の茶をまったりとすすり始める。


「そだ、別に今日でなくていいんだけどさ。いらなくなった古い服とかこいつに持ってきてやってくれないか? サイズは合わんだろうけど、ないよりましだろ」

「……小さくて悪かったな!」

「具体的な部位のことは何一つ言ってないっ!」


 テーブルの向こうから飛んできた空の湯のみをかろうじてキャッチ。


「はぁ……仕方ないですね。じゃあ近いうちに」

「頼むよ」

「そう言えば今夜はどうするんですか。寝るところとか」

「え? いや別に……ここの空いてる和室とかに」

「こ、ここに泊まるんですかっ? そ、それはまずくないでしょうかと思ったりしますですけども!」

「だって離れの部屋は空いてないだろ。くろは帰ってこねーしかぎかかってるし」


 アパート的な造りの離れには二つの部屋があり、このはの隣の部屋にも実は同居人がいる。月の半分ほどは別の場所で寝泊まりしているため、あまり同居人という感じはしないが。


「そうだ、私のしんじよは最上級の部屋を用意しろよ。そういうところでつぐないをしてもらわねば」

「償い?」


 聞き返すと、案の定すごい剣幕でみついてくる。


「忘れたとは言わさんぞ! お前、私の、私の身体からだを……さっきはあんなにも乱暴にいじりおったではないか! あんなところに指を入れられるなど、顔から火が出るかと思うたわ!」


 いや待て、あんときのお前はただの箱だったし!? と春亮が反論しかけたとき、ごとん、と音がした。見えるのはたたみの上を転がる湯のみ。かたかたとふるえながら立ち上がるこのは。見るからに無理してあい笑いを浮かべ──そして当然、すぐに決壊した。


「うあああああん! 二人はもうそんな関係ぃっ!?」


 顔を押さえたまま、このははどたばたと居間を走り出ていく。

 玄関が乱暴に閉められる音。フィアが満足したようにうなずきながら言った。


「何か知らんが勝った。気分が良い」


    ◆


 無機色のいしだたみだけがった。周囲には鉄のにおい、そして鉄のような臭い。空気の流れは停滞し、けれどよどんではいない。澄んでいた。墓穴の中、かんおけの底と同じ意味で澄んでいた。時を刻むものはなく、ひとのない死んだ空間が延々と死に続けている。

 そこから感じるのは無変化とへいそく。だから取り残されたてつかいはただささやくことしかできなかった。声にする必要もなく、あいまいな意識の中で。たった数種類の言葉を、ぐるぐると、終わらぬ円環のように──起きて囁き、寝て囁き、目を開いて囁き、目を閉じて囁いた。

 ただ、冷たい寒い暗い冷たい寒い暗い冷たい寒い暗い冷たい寒い暗い冷たい寒い暗いと。

 囁き続けた──


 目覚めた。暗い和室には何もない。与えられたとんいだくと、そこで初めてれた音が生まれる。布団にわずかな温度が移ってはいたが、それはうそくさにせものでしかない……モノを包んだ布団の温度など。だから何もないのと同じだった。

 夢のざんが背筋をふるわせた。程度の差はある。しかし真に無音でなくとも、真に無温でなくとも、この部屋はあの永遠に死に続ける閉じた空間と同質のものを備えていた。

 冷たく──寒く──暗い、と思ったのだ。

 彼女は静かにしようを滑らせて部屋を出た。天空のえんがさしたる関心もなさそうに落としてくる光を頼りに縁側を歩き、一つの部屋の前へ辿たどり着く。侵入。

 少年が寝ていた。不可思議に腰をひねり、腕を頭にからめ、掛け布団は下半身に追いって。小さな苦笑の鼻息が部屋に生まれた。

 彼女は白いひざをつき、めくれた布団にそっと手を触れた。しばらく指先ででたあと、ゆっくりと持ち上げて自らのほおを近付ける。目が細まった。

 だれかの、におい。

 誰かの、ぬくもり。

 それは、たぶん、初めて触れた。


    ◆


 翌日の昼休み。弁当箱のふたを開いたところで、ふと家に残してきた心配事を思い出した。