脳内でその女の姿でも思い浮かべたのか、草太はにへらと唇を歪ませた。
「他にも色々ビックリだったんだが……ともかく、すげえ美人だったんだ。うひひ。脱いだらみんな一緒だし、今度会ったら気をつけてナンパしてみよう」
「畜生道に堕ちてしまえ」
そのうちにチャイムが鳴り、草太は睡眠姿勢に入る。ぼくは新しいDVDをセット。なんとなく顔を上げると──今までこちらを見ていた数人の生徒達が揃って顔を前に戻した。その動作が一番遅かったのは教室の最前列、教卓目の前という地獄配置の席を押しつけられた苛められっ子の砧川冥子という女で、彼女は他の人間に数十秒も遅れてから、ぼくと視線が合っていることにようやく気づいてわたわたと首を回した。どんくさい奴だなあ。
彼女が視線を戻した先にはやたらとトウの立った顔の女子三人組がいた。不機嫌そうに机の前で仁王立ちし、砧川が慌てて鞄から取り出したプリントを悪代官ライクな表情で受け取っている。よく見る光景である。宿題でもやらされているのだろう。なんというか……苦労してるな、とだけぼくは思っていた。同情も憐憫もなく、興味も関心もなく、ただの感想として。
そのときはまだ、ぼくにとって彼女は無価値な空気でしかなかった。
さて、放課後である。
「あ、ヨーコちゃん。映画行くんだよねっ。ボク、久しぶりだなぁ。楽しみっ」
「うふふ、早く行こうっ。時間……なくなっちゃうよ? その、後も、あるから、ね……?」
などと殺意というものの芽生えを感じさせる会話をしながら、草太は迎えに来た女子生徒の腕に自分の両腕を絡めて抱きついていた。ぬう、それが腕ハグなる技か。
それから草太は、彼女にはわからないようにこちらに向けて一瞬だけ唇を歪ませ、さらに手の指を組んでひどく下品な形にもしてみせた。いつも思うが、よく本性がばれないもんだな。
ともあれ草太はNo.13辺りと予想する彼女と共に教室を出ていく。ぼくも遅れて席を立った。
階段を下りて昇降口へ。そこは人口密度が高かった。放課後だからというだけではない──昇降口手前の廊下で行われている活動のせいだろう。そこには長机が置かれており、手書きで『校則改正の署名をお願いします』と書かれた大きな紙が後ろの壁に張りつけられていた。
ふむ……これはアレだ、つまり大人達へのハンコーとかそういう感じの青春活動に違いない。この私立盾宮高校は、同じ境森市にある近隣の学校に比べて校則が厳しい。靴下の色だの制服の形だの。独立戦線を張って好き勝手している(できている、か──支倉のおかげで)ぼくはともかく、他の生徒達にとってはそろそろ看過できない問題になってきたということだろう。
署名に参加する人間は多いようだった。一見してそういう活動に興味がなさそうなギャル風生徒やヤンキー系の男子すらも、署名を呼びかける女子生徒に応じてペンを手に取っている。あのケバい三人組すら長机に向かっているのを視界に捉え、ぼくは失笑を漏らした。自由の権利を主張するならもう少し慎ましやかに暮らしておくべきだろう。
ぼくには校則などあってなきが如し。署名活動を無視して下駄箱へ向かう。だが──
「あっ! お兄ちゃ!」
椅子から立ち上がって、ミニサイズで童顔の女子生徒がばたばたとぼくのほうに駆けてきた。
当然ながら着ているのは制服だ。今は九月だから、今月いっぱいでお別れとなる夏服バージョンである。白と緑を基調としたオリジナルデザインだが、一応セーラー服が基本形になっている。目立つのは袖口で、ホームベース型の校章──門扉の形をした盾のような校章が金色で縫いつけられていた。ちなみに男子の制服は同じ校章が袖口にあるのを除けば、何の変哲もない白シャツ。冬服も普通の詰め襟で、男女平等だとはとても思えない。
ぼくの進路を塞いだその女子生徒は、眉が太く鼻が低い典型的な日本人顔をしていた。髪はショートで、くせ毛がつんつんと跳ねている。親父の遺伝子を受け継いでるんだろう。ぼくは母親の遺伝子メインで直毛だが……ああそうだ、こいつはぼくの実の妹だ。無気力な兄と違って元気系で(系って何だ?)、生徒会の書記などもやっている。ちなみに年は一コ下で一年生。
「お兄ちゃ! 無視するなんてひどいよ、せっかく切華がお仕事してるのにしてるのに!」
切華は頰を子供っぽく膨らませて言った。一人称が自分の名前なのもいい加減どうかと思う。
「お前の仕事がぼくとどう関係あるんだよ」
「おーんなじ学校のことでしょーぅ!? ね、よりよい学校生活を送るために! ささっと名前を書いてってよ書いてってよ!」
「宗教上の理由で拒否する。そこを退け、ぼくは一刻も早くベッドで瞑想せねばならんのだ」
ぼくは切華の頭を片手でぐわしと摑み、強引に進路上から退かせようとした。だが敵もさるもの、切華はぼくの脇腹を両手で挟み込んで必死に抵抗する。ぐりぐりぎりぎり。うお、切華の顔がよじれてかなりブサイクだ。これじゃあ嫁の貰い手がいなくなる。
「帰って寝るだけでしょ何が瞑想よーぅ? お兄ちゃがそんな金髪とかで好き勝手やってるから、なんか不公平感が余計あったりするのにするのにー」
ダイエット中の女の眼前でケーキを貪り食ってるようなもんだろうな。だがぼくはダイエッター(でいいのか?)の気持ちを考えて暴食を止めるような優しさは持ちあわせていないのだ。
「あうう──お兄ちゃ、いたいいたい!」
「ぼくなんかに関わるよりちゃんと営業活動したほうが能率的だぞ……そういやこれの言い出しっぺは誰なんだ? まさかお前みたいな下っ端じゃないだろ」
微妙に涙目の切華はその言葉にふと顔を上げて──なぜかぼくの目を見て、勝ち誇ったように八重歯を見せた。ん? なんだその笑みは?
「ええとねー。なんというか、自業自得って言葉、知ってる? 今、お兄ちゃの後ろでちょっと悪魔的にお返し行為をしようとしているひとが発案者だよ。切華のボスだねー」
「なにぃ!?」
振り向くよりも早く、背後から伸びてきたゴッドハンドがぼくの頭蓋骨をワシ摑み。
「うおおっ……み、巳沙希かっ! 何の真似だっ!?」
「可愛い妹を苛めるなよ。切華は俺にとっても可愛い妹みたいなもんなんだぞ」
「じゃあくれてやるよっ……」
「素直でない奴にはさらにおしおきだ」
「割れる割れる! マジで割れるぞこれはっ! ちょい待て、なんか今メキっていったっ!?」
ぼくは必死に首を回す。背後にいた鬼神の右手にはぼくの頭、左手には購買部の袋。だから手が使えないのだろう、小さな瓶を咥えたまま、器用に顎と首を動かしてファイト一発な液体を喉に落としている。いつものことだ──こいつはジュースの代わりに栄養ドリンクを飲む。
顔立ちはすらっとしているが、その瞳は不機嫌そうに細められていた。軽くウェーブがかった髪は妙に長い片側ポニーにされている。正式名称は知らない。とにかく頭の左上辺りで纏められた髪は、もう膝くらいの位置にまで垂れていた。ぼくは密かに触手と呼んでいる。
ああ、俺とか言っているがこいつはれっきとした女だ。ぼくだってたまにその真実を疑うがね。こんな変人が生徒会長(しかも結構人気者)ということにもぼくはダウトの声を発したい。
隣の家に住んでいる、ぶっちゃけ『幼馴染』と呼ばれる立場であるその女──天堂巳沙希は、ぼくが白目を剝く一瞬前にようやく頭蓋骨を解放してくれた。