買出しに行っていたのだろう、巳沙希は袋を切華に手渡し、それからぼくの顔を憮然と睨む。
「何やってんだよ、まったく。妹苛めなんかするなよな」
「正当な権利の行使だ。ぼくはリベラルな男なんだ」
「なーにがリベラルだ。お前はアレだ、市民団体にいてはいけない奴の筆頭だ。自由と我儘を全然区別しねぇ」
「ほっとけ……ああ、この署名活動はお前の発案か。生徒会長自ら学校に叛旗を翻すとはね」
「俺だって生徒の一人だよ。気に食わないことがあったら文句くらい言うさ。そこに『立場』ってもんがもし関与するとすれば、重荷に思うんじゃなくて利用するべきだろ?」
口調といい内容といい、相変わらず男っぽい奴だ。ま、黙っていれば見た目は普通というか、可愛いと言えなくもない女なのだが。切れ長の目と高い鼻は長身と相俟ってモデルのような印象を与えるし、たまに笑うと頰には愛嬌のある笑窪ができる。人を握殺できる怪力があるとは思えない細腕をはじめ、ニーソックスに包まれた足も女の子らしいふくよかさを具えている──実体験から言うが、足の見た目と蹴りの威力に因果関係はないとだけ付け加えておこう。
巳沙希は不意に不気味スマイルを浮かべ、触手ポニーを揺らしつつぼくの肩を摑んできた。
「というわけで、澪。まさか俺の頼みを断ったりはしないよな。ん? まぁ書いてけ」
はっはっは、とぼくも乾いた笑声を返す。ぼくが。このぼくが? そんな脅迫じみた言葉で、背筋が薄ら寒くなるような青春活動に参加しろと? 真っ平御免だね。何よりも面倒臭い。条件反射で答えを決め、さて、とぼくは速やかにこの場を逃げ出す方法を考える。
「ふん──だったら占いで決めるか。何でもいいな? ぼくも最近知ったんだが、世界は広い……なんでもバスト占いなる占いがあるそうだ」
では、とぼくはさりげなく巳沙希の胸に手を伸ばした。無論触るつもりはないが。
彼女は一瞬だけきょとんとした目でその動きを追った。次に劇的変化で顔を引き攣らせ、ぎょえええ、と女の子らしからぬ下品な叫びをあげてぼくを突き飛ばす。
「おまっ……おまっ……」
巳沙希は切華をむぎゅーと抱き締めながら、微妙に危険な台詞を途切れ途切れに発する。
「うむ、これは『書かずともよい』という結果だな。ではさらばだ」
「なんだそれ!? わけわかんねぇ! こら待て、粛清だギガ殺してやる!」
無視。ぼくは流れるように下駄箱を開けて外履きと白い封筒を摑み取り、一気に昇降口を脱出する。校門までの道を半分進んで振り返ったが、鬼神が追ってくる気配はなかった。ふう。
ぼくは額の汗を手で拭い、白い封筒を団扇代わりにぱたぱたと扇ぎながら──
……はて。何か違和感が。
ぼくはしばらく考えて、そしてゆっくりと、手の動きを止めた。
飾り気のない白い封筒。表には小さく宛名──『宵本澪くんへ』。
何じゃこりゃ。
2
ごめんなさい。突然お手紙してごめんなさい。どうしても伝えたいことがあって、気持ちがおさえられなくなって、書きました。ごめんなさい。お話したいことがありますので、今日の放課後五時に、体育館裏に来ていただけるとうれしいです。ごめんなさい。迷惑だったら無視してください。ごめんなさい。
砧川冥子
と、いうわけで。
どんな罪悪感に駆られているのか、たったこれだけの文章中に五個もごめんなさいという言葉を使う(ちょっと頭の悪そうな)女の手紙を読んだぼくは、指令通り学食で五時まで時間を潰してから体育館裏に向かった。
少しだけ、普通ではないものを感じたからである。それはあの苛められっ子(死語)の砧川が!? という『人物』に対してのただ一点だけであって、彼女が求めているであろう『願望』には(悪いけれども)ぼくは全く興味を抱いてはいなかった。つまり、どうして彼女が、という理由の確認だけをしたかったわけだ。普段なら『面倒臭い』の一言でスルーする可能性もあるのだが、好奇心という感情は暇潰しに最高の相性を持っている。
体育館は盾宮高校の敷地の隅、北東端に建てられている。背の高い外壁と体育館の間にある小さな隙間は日当たりが悪くて人気がなく、つまりは密事が行われる典型的な場所だった。足下にはしなだれた雑草が疎らに生えており、体育館の換気窓からはバスケ部が頑張っているドスドスズドムという音がアンチムーディーなBGMを形成中。
そして今、ぼくの眼前には砧川冥子という女がいた。
緊張しているのだろう──肌を赤くして、顔を上げたり俯いたりと落ち着きがない。忙しない瞬きの数は多く、ぷるぷると震える睫毛はどこかCMに出てくるチワワを連想させた。
背中まである長い黒髪。その滑らかさは誇ってもいいだろう。だが捻りのない髪型なのは反論の余地がなく、よく言えば古風、悪く言えば野暮ったい。化粧っ気のない顔そのものは日本人的で、目立ちはしないがどこか見ていて落ち着く。あるいは明るいところで見れば清楚だとすら思うかもしれない。雰囲気は圧倒的なまでに暗い──それも物静かだと言い換えるか?
「……で、砧川さん」
「は、はぃぃっ……」
砧川の背筋がぴんと伸び、ここに来て初めて視線が交わる。そう言えば数ヶ月前は古臭い眼鏡をかけていたように思うが……ああ、あの三人組が「タヌキ」と頭の悪い渾名で砧川を呼んでた記憶があるな。それを気にして眼鏡を止めたのかもしれない。激しく間違っている。
ひたすらおどおどしている砧川相手に、ぼくは敬語を止めて話を進めようとした。ここに呼ばれた意味は、正直予想できている。だから理由が知りたい、と。
「理由。理由、は──宵本くん、優しい、から。一回、助けてもらったことがあって、えと、でもそれだけが理由じゃなくて、いつも見ているうちに、その……なんだか、目が離せなくなって。胸がどきどきして」
助けた? さて、何かあったかな。そう言えばいつだったか、ぎゃあぎゃあうるさい目障りなあの三人組に何か皮肉を言って……そこに砧川がいたような……いなかったような。結果的に助けたことになった、ということがあったのかもしれないな。
結局のところ、理由もまた『よくある普通の』ものだったわけか。苛められっ子だからこそ、の理由。ぼくはそれで八割方、この状況への興味を失った。
だが砧川はそんなぼくの胸中など知る由もなく、深呼吸と共に決意の時間を通過する。
そして、あくまでも真摯な瞳で言ってきた。
「わたし、宵本くんのこと……好きです」
ぼくは彼女の強さを受け取り、残酷に拒絶する。それしか、なかった。
「わかった。でもごめん。今のところ、ぼくは誰とも付き合う気はないんだ。だから」
「ち、違うんです!」
予想外なことに、慌てて彼女はその言葉を否定してきた。顔を赤くして俯き、
「あぅぅ……その、それはできれば、そう、なんですが、でも駄目で、その、だから」
「駄目ってどういうことだ?」
気配の変貌。垂らされた長い髪は闇色。大地を彷徨う視線も闇色。独白じみた言葉も闇色。
「……駄目、なん、です。わたしは……」
「じゃあ砧川。お前、何がしたかったんだ?」
「それは……あの、恥ずかしい、お願いなんですけど」