ぼくと魔女式アポカリプス

魔女の自傷に要する第一代償 ─Letter ⑤

 かばんを開けた途端とたんに染み出すようにして帽子の表面に現れたのは、リアルな人の顔だった。いや、そのと言ったほうが正しい。つまりバラバラなのだ。目と鼻と口と耳、パーツはそろっているが場所は完全に間違っている。完全なるこんとんを体現した、奇怪な福笑い。さらに気づけば……いつのまにか帽子のツバの部分から二本の突起が生えている。それは非対称でいびつねじれた、角だ。不安定で危ういしようを漂わせる人外器官。

 前触れもなくせいたんした二つの異常、角と顔を持つ帽子がそこにあり──

 そして、


「言うことを聞け、小僧。いいか──わしをメイコの頭に乗せるのだ。早くしろ」


 目の斜め上にある口が動いて、そうかした。ちょっと待て……理解する時間をくれ!


「──早くせんか! この腰抜け、青二才の童貞小僧めが!」

「ああくそ、なんなんだ、なんなんだ!? 待て、待てよ! ぼくは、ぼくがすべきことは……そう……きぬたがわ、だ。こいつを助ける、ために、は」

「だからそのためじゃ! メイコは死なぬ! だがかもしれぬ!」


 いらちをまとう帽子からつばが飛んできた。何のファンタジーだ、ちくしよう


「見よ、腹を刺された人間の血はあの程度か? 死なぬ。やつは死なぬ。だが敵がおる。だから目覚めさせなくてはならぬ! このときばかりは儂が手を貸して引き戻さねばならんのだ! さあ、早くしろたわけ! 首尾よく行けば後で貴様の一物をしゃぶるくらいしてやるわ!」

「わけのわからんことばかり言うな!」


 しかし、よく観察すると、帽子の言う通りだ。砧川の出血が……止まっている? 鹿な。

 問答もきようがくもしているひまはない──三人組はもうそこだ! ぼくは思考停止しつつ、鞄の中の帽子を引っつかんだ。それは奇妙にたてながとがっている。つまり──魔女がかぶる、帽子のように。

 要求通り、砧川の頭に被せる。何をやってるんだぼくは、という思いが一瞬だけ頭をかすめた。

 だが理性のけいこくゆうだった。帽子を乗せた瞬間、砧川はぱちりと目を開いたのだ。


「メイコ!」

「──わかってます!」


 ね起きた彼女の姿が

 ぼくは笑い出しそうになった。実際、これをテレビ画面で見ていれば腹を抱えていたかもしれない。なんと言うか、古い。時代さくで使い古された激変の代名詞。もう一度言う。砧川の姿が変わったのだ。この際だからあの言葉を使ってしまうぞ──『変身』したのだ。

 顔の浮いた帽子はそのまま。コマが途中で飛ばされたように、気づけば衣服だけが変わっていた。柔らかそうな布地の黒衣に、あしもとはとんがりブーツ。そでぐちろうのように広がっており、全体的にえんすいけいのイメージがある。さらにはベルト代わりなのか、腰と肩をつなぐようにして太いくさりが巻かれていた。微妙にびており、退廃的というかひたすら邪悪な印象だ。


「お、おい……」


 声をかけたが無視された。三人組はきぬたがわの変化に注意を向けているようで、とりあえず足を止めている。今まで泣いていた目で油断なく周囲をへいげいしながら、砧川は帽子に問い掛けた。


「アヴェイラーズ、どういうことですか……?」

「さてな。だが代替魔術師ポステリオルマギスではない。闇滓アンシイの量が少なすぎる」

あやつられてる、のですね」

「おーい」


 砧川はぼくの存在を忘れ、自分の腹からナイフを引き抜いていた。軽く血が地面に垂れるが、それだけだ。


「だが倒すしかないぞ。お前は覚悟を決めているはずであるな?」

「はい……わかっています。やらなきゃ、やられる」

「そこの古くて格好いい台詞せりふを言っているやつ。事態の説明を求めている一般人がここにいるぞ」

「あの、何だかげんちようが聞こえるんですけど……よいもとくんの。あは、変になっちゃったの、かな」

「……お前……何を勘違いしているのか知らぬが、とりあえず後ろを見てみろ」

「後ろ?」


 目が合う。やあ、とぼくは片手を上げてあいさつした。


「……ひょえええっ!? な、何で宵本くんがいるんですかぁっ?」

「ずっとここにいるわい! て言うかそもそもお前が呼び出したんだろうが!」


 合図は砧川の絶叫か、それともぼくのはんばくか──三人組がいつせいに飛びかかってきた。ついでに言えば砧川も飛びかかってきた。せいかくには、ぼくの手を引いて走り出したわけだが。


「何をしておる、戦え!」

「む、ちや言わないでください! 宵本くんがいるのに戦えるわけないでしょう!?」


 たいいくかんに沿って南下するコースだ。この先は普段ふだんからひとがない特別校舎棟の裏に続いている。しかも今はほう、この妙なとうぼうげきが人目につくことはないだろう。

 三人組の足音を背中に聞きながら、砧川は泣きそうに顔をゆがませて言ってきた。


「ど、どうして? なんで逃げてないんです? わたし、てっきり」

「あのな、目の前で腹を刺された奴を放っとけるか! ぼくこそ、てっきり、だ!」


 砧川の目がおどろきの色に染まる。


「ま、まさか、助けてくれたんです……か? 関係ないのに」

「どうなってんだよ、まったく。おもくそ殴ってったのにあいつらは立ち上がってくるし、お前はんな変な格好になるし、刺されたのもなかったことになってるみたいだし……」

「あ、アヴェイラーズ……」

「お前が不意打ちでしきを失ってしまえば、こやつの手を借りるしか方法はなかろうが。わしとて無関係な人間を巻き込みたいと思っていたわけではない。お前のせいじゃぞ、もうせいしろ」


 帽子の答えにしゅんとするきぬたがわ


よいもとくん、ごめんなさい……その、説明は後でしますから、今は」

「そう、今は、だ。どうするんだよ。このまま学校を逃げ回るのか?」

「えと、かばん……は置いてきちゃったし、あ、さっきのナイフ……は、捨てちゃった!?」

たわけ!」


 帽子のとうにあうあうとせん彷徨さまよわせていた砧川だったが、やおら横を見て足を止めた。現在地はひとのない特別校舎棟の裏で、ここからはがらんとした校舎一階の内部が見える。


「そうだ……中に入ります!」


 砧川はひとびでまどわくの上に乗り、こぶしで窓をたたき割った。むう、予想外にバイオレンスだ。

 割れた箇所からかぎを外し、彼女は窓を開ける。ちらと来た方向を振り返ると、あの三人組の姿は三十メートルほど向こうにあった。


「小僧とはここで別れたほうがいい、とわしは提案するが」

、もし宵本くんのほうを追っかけていったら大変」

「その可能性は低いと思うがな」


 帽子と軽く会話し、まどわくに乗ったまま砧川はぼくに向けておずおずと手を伸ばした。


「あの、いつしよに……」


 三人組から一人で逃げ切れる程度の自信はあるが──きぬたがわのこと、変な帽子のこと、おそわれたこと。知りたいことが多すぎる。このまま帰ったら夜も眠れないぞ。

 ぼくは砧川の細い手をつかんだ。そのしゆんかん、窓枠の上──ひいては特別校舎の中に引っ張り込まれる。半分がた宙を飛んだような感じだ。砧川はそれから廊下の突き当たりまで走り、そこにある教室のプレートを見上げた。『調ちよう実習室』とある。

 扉にはかぎがかかっているようだった。砧川は一つたんそくし、取っ手に両手をかけ、


「……ぇぃっ!」


 べきょ、と音がしましたが……ああもう、考えないようにしようそうしよう。

 通常教室二つぶんの広さを持った調理実習室には、流しとコンロがセットされた机が八つ、等間隔に並んでいた。あまり使われない教室独特のかんそうした薬品しゆうが空間に満ちている。

 砧川は奥に進み、教室の後ろにある棚を開いて何かを探していた。ややあって取り出されたのは、まぁ即席の武器としてはありがちだな……包丁だ。実際に使えるかどうかは別問題だが。