ぼくと魔女式アポカリプス

魔女の自傷に要する第一代償 ─Letter ⑥

 砧川の手招きに従って、ぼくは最後尾の机の陰にしゃがみ込んで隠れた。校舎に入るところを見られていたのだから見つかるのも時間の問題かもしれないが、気分だ。

 それから数分はっただろうか。思ったより時間がかかって、がらりと扉の開く音。

 中に入ってきた三人組の進路は──くそったれだ、こちらに向かっているぞ。ぼくはちらりと砧川の包丁を眺めてから立ち上がった。殺人犯を一人増やしてしまうわけにもいくまい。


「砧川。それ、使わなくていいからな。この際だ、ぼくがなんとかしよう」

です……」


 背後から、ふるえる声が聞こえた。きぬれ。彼女も隠れるのを止めて立ち上がったのだろう。


「駄目、なん、です。あの人達は普通じゃなくて──だからきっと、宵本くんが強くても、きっと、駄目。普通のひとにはどうにもできない、ことだから……」


 ぼくは近付いてくる三人組から目をはなさないまま、肩をすくめた。


「お前にはどうにかできるって?」


 それはきんちようまぎらわせるための冗談のようなものだったのだが──砧川ははっきりと答えた。


「──


 そして、ふるえる声をさらに震わせて。


「あ、あの、だから、今からわたし、変なことしますけど……どうか、おねがいです。勝手なこといいますけど、どうか」


 変なこと? いきなりストリップショーでも始めるのか? そいつは素敵すてきな奇行だな。

 ぼくの皮肉めいた思考を止めたのは、不意に聞こえ始めた、ぼとぼとと何かがゆかを打つ音。

 なまぐさい。



 血のにおい。

 振り向く。三人組のことがそのしゆんかん、頭から飛んだ。


「ああ……ぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!」


 彼女は大粒の涙をこぼしながら、顔を苦痛でくしゃくしゃにゆがめ、


 手に持った包丁で、


    4


 順手に持った包丁の先端が、ゴリゴリゴリゴリと前後に動いている。生物のように飛び散る血が、机をいつしゆんな色に染めた。彼女は肉を裂き、筋を切り、関節に達すると刃先をひねって白骨同士の結合を断つ。悲鳴は止まらない。ぼくは胸中の吐き気をごとのように感じながら、ただその光景から目をはなせない。彼女が大きく頭を前に振ると、それに合わせて何かが机の上に落ちた。何か。わかっている。人差し指だ。ひどく現実感がない。マネキンの指にも見えるそれは、さつかくかもしれないが、机のまりの中でぴくんと動いたような気がした。

 きぬたがわは荒い息を吐きながら、それを四本の指で拾い上げる。ありえない位置──左手の人差し指を、同じ左の手の平に乗せたのだ。人差し指自身もおどろきだろう。


「伏せて……」


 涙にれた砧川のひとみが、それでも意志を持って前を向く。ぼくはその言葉に従うしかない。

 砧川は左手を掲げるように伸ばし、切り離された指に息を吹きかけつつささやく。


「──《第七指はプラチナ・銀糸の庭へとフインガー・捧ぐセブンス》──」


 瞬間、その指がはじけた。そう見えた。

 肉が脂を散らすような小気味良い音と共に、彼女の手の平からせんこうが生じる。こうは瞬時にせんと化し、仲間たる四指の誘惑を振り切って疾走した。それは奇妙に枝分かれしつつ、すさまじい速度で、机の間をり抜けて突進しようとしていた三人組にとつかんを敢行──そして完遂。

 何かがげるような臭いが、つい五分前まではあんねいの空気に満ちていた調ちよう実習室に広がっていた。ような、というか、実際焦げている──机の上にある折れ曲がった水道のじやぐち、食器を置くためのプラスチック台。きっと焦げているだろう、というものならほかにもある。

 ぼくの視界から消えた、あの三人組だ。電光のちよくげきを受けた三人組は、今は机の下でぴくりともしていないだろう。それを容易たやすく想像させるほど、先刻砧川が放った攻撃は圧倒的だった。

 砧川は包丁を机の上に置き、うつむきながら荒い息を吐いている。帽子はわらっている。

 ぼくはそのようを後ろから眺めて、言っていた。ぼうぜんと。


「ああ……何だそれ。指をぶった切って、ああ、何だそれ。わからん。わからん。大丈夫なの、か──いや、大丈夫なわけがねぇだろ! くそ、包帯くらいこの教室にも」

「かかかかかかか! 小僧、小僧、ほんにおろかよな。その役立たずな節穴をようく見開け!」


 帽子の言葉に従い、ぼくはきぬたがわのさらなる異常を目にした。

 彼女の、かつて人差し指があった場所……そこで肉がうごめいている。はなされて光に変わってしまった指が、その付け根から。ソーセージのように細長い肉が体積を増し、表面にうすしわを作り、血管をわせ、うすさくらいろつめまでも形成する──


「なん……だ。なんなんだ……砧川、お前は」


 彼女は何かをこらえるようにまぶたをきつく閉じているだけ。代わりに答えたのはやはり、帽子。


「何。何、と聞くか。一言で言えよう──《魔女ウイツチ》! それ以外に何があるか? ない!」

魔女ウイツチ……? くそ。んな、ことは、見ればわかる! わからんけどな! だから、そんなのはどうでもいいんだよ! ぼくは、ただ」

「なるほど小僧、貴様がうれえているのはメイコの身体からだのことじゃな? 心配せずともメイコは代替魔術師ポステリオルマギス。その肉体的性質は、もともと半人はん魔女ウイツチのものと似通っている」


 帽子は二つ離れた目を奇妙にゆがめ、つばを散らしてこうしようした。


「単純明快! 明快単純! ! 不死でイモータル! 不滅でイモータル! 不朽でイモータル! 死なずイモータル! 滅ばずイモータル! 殺されぬイン・モータル! 理由を知りたいか? ならば教えよう──」

「アヴェイラーズ!」


 砧川の絶叫は、帽子の口をぴたりと閉じさせる効果を持っていた。

 彼女が顔を上げて、ゆっくりとこちらに身体を向ける。もう、指は完全に生えそろっていた。

 奇怪な。魔女。

 けれども彼女の顔は、さっきまで見ていたものと同じだった。気弱なクラスメイトの顔。浮かんでいるのはあいわらいにもなり切れない薄い微笑だ。困ったように歪んでいて、どことなく無理がある──つまりはほかの感情をに微笑に置き換えただけなのだろう。

 ぼくは何を言えばいいのか。部外者であり、ぼうかんしやであるぼくは。

 なんとなく彼女の顔の横、へいおんを取り戻した教室を眺める。変異を内包した教室を眺める。


「……あいつらは」

「死んだかも、しれません」


 ぼくの目を真っ直ぐにえながら、砧川は言った。平静だったのはその言葉だけ。

 手はふるえていた。唇はめられていた。ひとみれていた。それが言葉の内容のせいなのか、人差し指を切り落とした痛苦をっているせいなのかは、ぼくには判断できない。

 口が開かれる。ぼくは理由なく、次の言葉が少なくとも言い訳ではないことをかくしんしていた。

 だがそれをたしかめるかいは永遠に訪れない。砧川の声帯が空気をふるわせるいつしゆん前に、彼女が先刻口にした言葉の裏面が正当に具現化する。死んだ

 砧川の背後で、ショートの髪の女がコメツキムシのようにねていた。そいつは一瞬でてんじようスレスレまで飛び上がり、ほうぶつせんを描いて落ちてくる。かんしており、宙に放り投げられたダミー人形のようだ。相変わらず無表情の口だけが開いている──くそ、みつきこうげきか?

 帽子の叫びとぼくの表情で、きぬたがわが背後を振り向く。遅い。ぼくが足を踏み出すのも遅い。間に合うわけがない。女の口からえきが垂れ、それでも砧川がな何かをしようとして──