突如響いた一発の銃声が、その全てを無意味にした。
乾いた闖入者は同時に二種の音を引き連れてくる。窓が割れる音と、強く鋭い、女の声音。
「──hagalaz!」
声にやや遅れて、白い何かが無数に空を裂く。消しゴムほどのサイズのそれは、角ばった雹だ。数十個の雹が横合いからショートヘアの全身に叩き込まれ、さらには雹の中でも最も大きく流線型をしていた一つが、すぽんとそのこめかみに挿入された──挿入されたのだ。頭の中に。
ぼくは当然ながら脳漿と血液の散布を想像したが、現実はあくまで背信的だ。
ショートはくりんと白目を剝いたように見えた。そして次の瞬間、その身体自体が破裂する。まさしくその身体が風船だったかのように、人間としての全ての体積は消滅──代わりに現れたのは黒いタールのような液体だ。それはリノリウムの床に落下し粘り気のある悲鳴をあげると、そのままそこに染み込むようにして消える。初めから何も存在していなかったかのごとく。
ぼくはゆっくりとそこから視線を外し、雹弾が飛んできた方向に顔を向けた。
その瞬間、肩から力が抜けた。精気も抜けた。それほどのインパクトを受ける。
割れた窓を乗り越えて入ってくるのは、ははははは。
魔女の次は、拳銃を持ったエルフときた。さて、目覚まし時計が鳴る時間はまだか?
「標と具に依る現象干渉……刻印魔術!《エルフ》か!」
「いかにもだ、魔女の導き手よ。直接顔を合わせるのは初めてだな」
二十歳ほどの金髪の白人女性だ──ただし耳はお約束として長く尖っている。切れ長で鋭い印象を与える顔立ちに加え、小さな眼鏡が鼻の頭にちょこんと乗っていた。アンバランスと言えばそうで、美人司書のようだと思えばひどく似合っている。身に着けているのは……手に持っているリボルバーといい、ファンタジーにも近代化の波が押し寄せているのか? 深緑色をしたチェックのスカートに、上半身は裾を出している白いワイシャツだ。なんとなく女子高生っぽい。目を惹くのは長い手足で、腕も太股も、顔と胴体以外の四肢で肌が露出する部分は全て白い包帯が巻かれている。その姿に妙にゴツいサバイバルブーツとウェスタンな感じのマントを加えれば、丁度ぼくの前にいる自称エルフ様一丁上がり。
敵意がないことを示すためか、彼女は銃をマントの下にしまい込みながら、ちらりと三人組がいた場所を一瞥した。ぼくも机の隙間を確認したが、誰の姿もない。さっきのショート以外は、砧川の電撃で死んで──あのタールみたいになって消えてしまったのだろうか。
「《ドルイド》の誓約魔術……複製影人か? 厄介だ」
独白するように呟き、再び砧川を見やる。はっと身を引いた彼女に嫣然とした苦笑を返し、
「気を張るな、魔女の代替魔術師。私の目的はお前と戦うことではない。手を出すつもりもなかったが──どうにも窮地のようだったのでな。ああ、私はレンテンシア・イズラデリという」
「は……はぁ。砧川冥子です。どうも……このたびは、助けていただいて」
毒気を抜かれた間抜けな表情で、砧川はぺこりと頭を下げた。天然な奴だな。
困惑している砧川とは対照的に、帽子はこの世の終わりが来たかのように喚いていた。
「何をしておる、奴はエルフ、代替魔術師じゃぞ! これは油断させるための策じゃ、気を抜くな、戦え! 倒して根源闇滓を奪え! 殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!」
エルフは眉を顰め、ぎらぎらと彼女を睨みつける帽子の圧力を受け止めながら一歩下がった。
「好戦的だな、魔女。信じろ、私は」
「耳を貸すなメイコ! 代償魔術を放て、指を断ち血を流し肉を抉り──殺すのだ、ただひたすらに殺すのだ! でなくてはお前に未来はない! わかっておるのだろう!?」
止まらない叱咤に、とりあえずは砧川も帽子の言を聞くことにしたらしい。気乗りしない顔のまま、机に置いていた包丁にそっと手を伸ばす。その行為にエルフは目を眇めて、自分が飛び込んできた窓枠に手をかけた。軽く瞳を左右に動かし、周囲を確認しているようだ──
そう、放課後と言えど窓の割れた音を聞きつけた生徒が皆無というわけでもないだろう。外は次第に騒がしくなってきている。ここに誰かがやってくるのも時間の問題かもしれない。
軽く舌打ちを残して、エルフは身軽に窓枠に飛び乗った。
「──まぁいい、ここで伝えるのも尚早か。今は退こう」
「聞くな! 聞くな!」
「忠告だ。先刻の敵はドルイド──誓約魔術を見出した種だろう。詳しくは知らんが、複製影人という人形を作って意のままに操るらしい……用心することだな」
一方的に言ってから、彼女は窓の外に消える。騒がしい帽子が虚空に罵りの言葉を発した。
さて、残ったのは何か。調理実習室の姿はいつもと変わりない──砧川の電撃で焦げた箇所を除けば。砧川が床や机に零した多量の血液すらいつのまにか揮発している。あるのはただ、顔を浮かせる角付き帽子と、それを被った黒尽くめの魔女だけ。いや──わかっていた。看過できないものの筆頭が、確かにぼくの前に残されていた。
それは何か。決まっている。
疑問だ。
体育館裏で鞄を回収して、騒ぎのほとぼりが冷めるのを待ち──数十分後。
ぼくと砧川は校門を目指して歩いていた。制服姿に戻った砧川は、ぼくの後ろで俯いて歩いている。不機嫌そうだった喧しい帽子は、今は彼女の鞄に押し込められているはずだ。
視界の端に見えたものに気づき、ぼくはふと足を止めた。それについてこれなかったのか、ぺち、と背中に軽い感触。振り向けば砧川が鼻を押さえて顔を赤くしている。
「……前を見て歩け」
「あうう、ごめんなさい……」
「謝らんでもいいが。それよりも、あそこにいるのは」
校舎と校門を結ぶ道、その横の植え込みに数人の人影。栄養不足の木の根元にへたり込んでいるのはあの三人組だ。そして彼女達を介抱している男子は、ぼくの見覚えのある奴だった。
「草太。何やってるんだ?」
「うわっ! と。あ、澪か……じゃなくて、澪くん。助けてよう~」
背後から突然に声をかけたせいか、女の子座りしている草太はなぜか一瞬だけ大袈裟に驚いた。それから困り顔で振り返ってくる。その腹にはあのロングがしがみつき、化粧を涙で崩していた。なんかわかんないけど頭が痛いだの怖くて涙が出るだの彼女は呟いている。
ぼくはそっと草太の耳元に口を近づけた。
「どうなってんだ? ていうかムカつくから猫かぶりモードやめろ」
「うっさいな。こいつらも一応女だから仕方ないだろ……ここで三人揃って倒れてやがったんだ。さすがにほっとけん。簡単に起きたのはいいが、それきりこんな具合だ」
ロング以外の二人は、寝起きのようにぼんやりと半眼になって瞬きしているだけである。その様子を窺いながら、草太はぼそぼそと素の口調で答えてきた。ぼくはさらに質問する。
「いつだ?」
「俺が見つけたのはついさっきだよ。ああ不運だ。忘れた携帯なんか取りにくるんじゃなかった。いや、夜も別の奴と予定あるから携帯は絶対いるんだが……本当なら今頃、さっきのロマンス映画の五倍は濃いベッドシーンに突入してたはずなのに」
「ダブルヘッダーとはいい度胸だ。呪われろ。で、倒れてた原因は?」