さぁね、と草太は肩を竦めてから、腹で泣きじゃくるロングにそれを聞いた。答えは、わからない、とだけ。放課後になって校舎を出てからの記憶がないらしい。少なくとも表情を見る限り、発言に噓はないように思える──こいつらに演技力などという高尚な能力が備わっているとも思えないし。後ろを振り向いて、砧川に小声でどういうことだと聞く。
「わかりません……あ」
鞄に耳を近づけてふんふんと頷いてから、彼女はぼくを上目遣いに見上げて言った。
「えと、複製影人が滅んだから、本物が出てきたのではないか。『肉体』という部分概念だけを補足、仮物質に入れ替えた人形が複製影人であろう。それが存在を失ったならば、魔術的拘束力がリセットされて施術前の状態の本体が強制的に解放されるはずじゃ……らしいです」
「何を言ってるのかよくわからんぞ帽子野郎、と伝えろ」
砧川は愚直にその言葉を鞄の中に囁き、次の瞬間、あうっと呻いて鞄から顔を引き離した。よほど凄い罵りを返されたらしい。
溜め息が聞こえたので視線を前に戻す。
「ねえ……そろそろ、泣き止んでくれない?」
だがロングはまだ下品に鼻を啜り続けている。仕方ないなあ、と草太は驚きの行動に出る。
ロングの唇を奪ったのだ。しかも結構ディープに。女の目が蕩ける。
「ほら、とりあえず保健室行こうか。そこの二人も連れて行かないとね。立てる?」
驚愕するぼくに、不敵に唇を歪めた草太が口を近づける。
「ひひ、そんな目するなよ。ま、昔に一回だけって約束で遊んでな──これからもちょっと遊んでやるつもり。さっきの奴との予定がパーになったし、人数でカバーな。澪も参加するか?」
「力強く遠慮する」
寝惚けたミドルを肩で支えて立ち上がったロングが、機波? と首を傾げた。
「あ、ごめんごめん。じゃ、ボクはこの子手伝うね。さ、行こう行こう」
偶然ここに来たにしちゃ決断が早いじゃないか……それだけ女に飢えてるってことか?
ぼくは何だか釈然としない気分になる。その理由の大部分はあの三人組と草太が絡むというヤな想像のせいだ。小部分については──よくわからない。
草太達が保健室に行くのを見送った後も、ぼくはなんとも言えない不快感に身を浸していた。
「機波くん、優しいですね」
「あの優しさの構成成分は性欲が百%だ。もうちょっと人の内面を見抜く努力をしろ。ま、あいつの対女限定の内面隠し術はたいしたもんだし、ぼくに言えるこっちゃないが」
「……?」
「ぼくも、誰かが魔女っ娘だったなんて全然気付かなかったからな」
そう言うと、砧川は思い出したように顔を暗くして俯いた。
それからぼくたちは校門を出て、家路を辿る。無言の帰り道。
理解できない放課後を脱出したというのに、いつもと同じ空はいつもと同じように九月の茜色に染まっていて、腹立たしくなるほどに温かな光が境森市の街並みを照らし出している。
盾宮高校は市の北東部の高台にあり、高台の下は学校通りとでも言うべき中途半端な商店街。本格的に遊ぶ場所は市の中心部にある大通りの役割だ。商店街を過ぎればそこは何の変哲もない家々が密集する住宅街となっており、ぼくの家はそこだ。どうやら砧川も同じらしい。
三叉路を右に曲がろうとしたところで、砧川が左側に行こうとしていることに気がついた。
「ぼくの家はこっちだ」
「あ、じゃあ、その……」
と砧川は無意味に口籠って、頭をぺこりと下げた。ぼくは眉を寄せる。
「勘違いしてるな」
「へ……へ?」
「何のために一緒に帰ったと思ってるんだ……つーかあれだけのことをしておいて、まさか『じゃあまた明日』とか普通に帰れると思ってたわけじゃないだろ? 説明責任、なんつー便利な言葉が最近作られたみたいでね。納得いくまで今日起こったことを聞かせてもらうさ」
砧川は目を見開いた。その顔に、ぼくは内心で苦笑した。
ぼくは普通がつまらない。だがそれは同時に、普通でない変人には興味を持つということだ。
魔女にエルフ、変な操り人形。しかもどうやら幻覚とかトリックとかでなく、全てが本物らしい。これでぼくの変人センサーが働かない理由があったら教えてほしいものだ。
「金銭的立地的心情的安心感的に考えて、場所はぼくの家一択だ。ちなみに拒否権はない」
「……よ、宵本くんの、家!? そ、そんな、駄目です。わたしなんかが行ったら、その、あれで、とにかく駄目ですっ……」
「拒否権はないと言ったぞ。心配しなくても茶くらい出る。たぶん」
砧川は瀕死の魚類のように口を動かし、そして手にした鞄を見下ろした。意味もなく空を見て電柱を見て、胸を反らしたり俯いたり。
その所作をぼくが根気強く見守っていると、砧川はようやく、カクカクした動作でおじぎをする。彼女は顔を真っ赤にして、よろしくお願いします、とズレたことを言った。
ぼくは肩を竦めることで返答し、誰かが鞄の中で不機嫌そうに鼻を鳴らした。