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私立千歳井高校。それが今日から浩介の通うことになる学校の名前だった。
「ほー」
校門を潜ったところで、浩介は小さな息を漏らす。全体的には普通の学校だ。校舎の造りなどは今まで通っていた学校と大差ない。しかしそこに通う生徒達の雰囲気はかなり異なっていた。簡単に言えば──混沌としている。
学校案内のパンフなどで知ってはいたが、どうやらこの学校の校則はかなり緩いようだ。制服の改造も、最低限《ここの制服である》ということがわかっていれば自由らしい。ブレザーの男子はそうでもないが、女子達は競うようにそれぞれの制服をカスタマイズしていた。リボンがついていたり普通に臍が出ていたりマント風になっていたり、と奇妙な生徒の姿を数え上げればきりがない。道端の校碑にも大きく《自由》と書かれているあたり、細かいことは気にせず好きにやれというのがこの学校の校風なのだろう。
そんな生徒達の流れに乗り、浩介は昇降口に向かった。掲示板でクラス分けを確認し、同じ下駄箱を使っていた生徒の後をこっそり尾行して自分の教室──二年一組へ。出席番号順の座席表が黒板に張られていたので、それに従って席に座る。
教室は雑然としていた。顔見知り同士で固まっている者達もいるし、一年からの友達の少なさに不安げに周囲を窺っている者もいる。進級に合わせての転校なので、浩介だけが見知らぬ生徒として目立っているということはなかった。
浩介にとっては当然、周囲の誰もが知らない顔だ。だが多少の緊張はともかく不安はない。昨日のマッピングのように、突然何かに凝り始める、という多趣味癖があるせいでわりかし誰とでも話を合わせられるのだ。普通にしていればそのうち知り合いの一人や二人はできるだろう……と思っていると、
「こんにちはー。お隣さんだね」
右隣の席に座った女子生徒が気さくに話しかけてきた。記念すべきこの学校での会話第一号。
「そうみたいだな。俺、那霧浩介。よろしく」
「あ、私は塚原伊万里だよ。こちらこそよろしくっ。那霧くんは一年のとき何組だったの?」
「いや、実は俺、この春転校してきたんだ。なんでこの学校は二年からスタート」
「わ、そうなんだ。それならなおのこと、よろしくお願いします、だねっ。この学校にようこそ〜……あは、私なんかが代表で言うのも変だけど」
椅子に座ったまま身体ごと浩介に向き直り、ふかぶかー、と必要以上の丁寧さで伊万里は頭を下げる。冗談めかしてではなく、どこか洗練された物腰でのお辞儀だった。
可愛い子だな、と率直に思った。ふわふわで柔らかそうな長い髪、優しい顔立ちに浮かぶ自然な笑顔。彼女の纏う雰囲気はとても温かなもので、その押しつけがましくない明るさを見ているだけでこちらの心もほんわかしてくる。
うむ、これはどうやら希望に満ちた学校生活が送れそうだぞ、とか思いながら浩介はさらに彼女と会話を続けようとする。が、
「なになに、お前転校生なの? 道理で見ない顔だと思った。俺は長尾聡、よろしく!」
そこで話しかけてきたのは前の席に座っていた男子生徒だった。特に優等生っぽくも不良っぽくもない、いわゆる普通の男子生徒。
「お、おう。よろしく。那霧浩介だよ」
「那霧ね、了解。それから塚原さんもよろしくー。また同じクラスだな」
「うん。長尾くんもまた一年間よろしくねっ」
チス、と長尾はふざけた調子で伊万里に敬礼を返す。それから彼はがこがこと椅子を動かし、浩介の机に腕を置いて完全なダベリ態勢に。
「で、那霧はどっから転校してきたんだ? あ、いきなり呼び捨てにしたけど気にすんなよ。お前も俺のこと長尾って呼び捨てにしていいからさ」
「お、おう。フランクでそりゃ助かるが。えっと、前にいたのはな……」
話しかけてきたタイミングからして、自分以外の誰かが美少女とお近付きになるのを全力で阻止にかかるタイプの男かと一瞬思ったが──どうやら普通に人懐っこい性格なだけのようだ。すまない長尾聡、と胸中で心からの詫びを入れつつ、浩介は今まで住んでいた場所や引っ越してきた事情について説明する。両親が海外に赴任したから従姉妹の家で世話になることになって、というただそれだけの話なのだが、伊万里もふんふんと興味深そうにその話を聞いていた。その説明が終わると、「趣味は何、趣味」というやたら典型的な話題を長尾が振ってくる。
「趣味か……わりとなんでも、なんだよな。広く浅く」
「玉虫色の回答出た! 困るな那霧ー、話が続かないだろー」
「長尾くん、玉虫色って?」
「意味はよくわからんが言ってみた!」
かくんと可愛く伊万里が首を傾げ、長尾が無闇に胸を張って答える。
「俺も意味はよくわからんけど、まあ曖昧だってことだろ。でも本当のことだしな……」
「よし、じゃあもっとジャンルを狭めよう。どんな音楽とか好きだ?」
「それもなんでもなんだけど。洋楽も邦楽も。長尾と塚原さんはどんなの聴くんだ?」
長尾は例として古典的なイギリスのロックバンド、伊万里はダンスも歌もできる日本の音楽グループの名前を出す。勿論両方とも知っていたし、それなりに好きだった。その二人の好きな音楽について適度に話を膨らませながら会話を続ける。
「あはは、そうそう、そうなんだよねっ」
「いやー、あの曲の小ネタが通じる奴に久しぶりに会ったぜ……ていうか那霧、マジに幅広いな。俺と塚原さん、わりと真逆のジャンルなのに両方話せるなんて」
「ま、節操がないだけだぞ。さっきも言ったけどマジで広く浅くだから、一途に何かが好きな人には絶対に敵わねーし」
「んなの別に気にすんなよ。この学校にはそういう奴多い気がするけどな」
「ん……そうかもね」
「そうだ、好きって言えばこの学校の制服凄いよな。来る途中もなんかいろいろ変な恰好してる奴もいたし……つーか俺的にはこのクラスにもいろいろツッコミたい人達がいるんだが」
あー、と長尾は頷いて教室を見回した。
「基本的に、この学校の生徒だってわかれば制服に何あわせてもオッケーだからな。俺とかはもう慣れちゃったけど、他のところから転校してくると確かに珍しいかも。なんつーか、自由! がモットーなんだよこの学校。街的にもそんなとこあるけど」
「慣れるもんなのかよ……そういや塚原さんの制服は標準?」
「うん、私はあんまり奇抜なのは似合わない気がするから。でもたまに気分でワンポイントとかを変えたりするんだよ。そのときには間違い探しクイズを出しますー。えへへ」
伊万里が無意味に制服の肩を摘んで引っ張りながらはにかむ。なぜか無性に癒された。
そのときふと長尾が何かを思い出した様子で、
「あ、奇抜と言えばだ。クラス分けの表で見たけど、このクラスにもとびっきりの奇抜な変人さんがいるんだよな。とっつきにくいだけで悪い奴じゃないとは思うんだけど……と、言ってる傍から来たぞ。ん、あいつ『あ』行なのに、なんでこっちに……?」
長尾の視線が教室の入り口から浩介の背後へ移動する。つまり──入ってきた誰かが、浩介の背後に近付いてきたのだ。
嫌な予感がした。どうしてかはわからないが、とにかく無性に嫌な予感がした。
ぺたぺたと聞こえていた上履きの音が、すぐ近くで止まる。それからすうと息を吸い込む音が聞こえ、そして──
「……那霧浩介」
ああ、なぜ背後の誰かは自分の名前を呼んでいるのだ。聞き覚えのある声で呼んでいるのだ。心底振り向きたくないと思ったが、無視することもできない。横にいる伊万里がきょとんとした顔でこちらを見ているのを感じながら、ゆっくりと首を回す。そこにいたのは予想通り、背が低く、不機嫌そうな顔で腕組みをし、胸元に聴診器を提げ、今更この学校のものだとわかる制服の上に白衣を着込んだ──昨日の少女。
「話があるわ。始業式が終わったら顔を貸しなさい」