藍坂素敵な症候群

第一診「初期症状」-the president of medical club, her name is...- ⑤

 素敵がわずかにほおゆるめ、何かを言おうとする。だがその続きを聞くこともなく、浩介はしゅた、と片手を上げて言った。


「それじゃ、俺は腹が減ったから帰るな。ひまならまた部活見学しに来るよ」

「ちょ、何よそのアッサリ具合は!? ホントにわかってるのあんた!?」


 もちろんだ。この変な白衣女の言うことも、医術部なんていう変な部活も、全てがさんくさいということがもうはっきりとわかっている。今の話をはいそうですかと信じられるやつはそれこそ何かの病気だ。


「お前の話を信じようが信じまいが、俺には関係ない話だろ。これから考えるってんならもう俺がここにいてもやることはねーし。それともまだ何か用事があるのか?」


 素敵は大きくうなずき、再び机の中をごそごそとやり始めた。まだ何かを取り出すつもりなのか。


「あ、あるわよ。えとね、とにかくあんたの体質はレアなの。ひょっとしたら症候群シンドロームのメカニズムに深く関わってるかもしれないから」

「ふむふむ」

「だからさ、ええと、そつちよくに言えば──」


 くるり。を回して振り返ったてきの手にあったのは、やたらぶっとい注射器。

 そして彼女はにこりと笑みを浮かべて言った。


「──ちょっと検査させてくれない?」

「No thank you」


 両手を胸の前に上げつつ、こうすけもにこりと返す。いやー、よかった、これで心置きなく帰ることができるぞ。


「ちょ、なんで外国人風なのよ! しかもちょっと発音がいいのがむかつくわ!?」


 素敵の言葉を無視して立ち上がる。今度はかげるも実力行使で止めようとはしてこなかった。手元の傘を白い指ででながら、何かつまらないものを見るような視線を投げかけてくるだけ。


「ああ──最後に一つ言っとくか。もし、お前の話が全部本当のことだったとしてもだ。確かに俺はなんでもそれなりに好きで、ちょくちょく好みとかが変わる。でも、だからこそ、《何か一つのものを心から好きになる》ってことにわりとあこがれてたりするんだよ。そんな変なフェチ病になるのも別にいいっつーか、むしろ症候群シンドロームどんとこい、だ」

「な……」


 絶句する素敵の顔を背後に残し、浩介はきびすを返す。

 暇ならまた部活見学しに来る、とは言ったが。

 自分がもうここをおとずれる気がないことは、彼女達にもじゆうぶん伝わったはずだった。


    +


 ぎり浩介が部室を出て行き、そして数秒のちんもくの後。


「……腹立たしいですわ。あの男は症候群の恐ろしさがわかっていません。

「説明してないもの。仕方ないわよ」


 たんそくのようないきらしながら、素敵は陰子の言葉に答える。ぼんやりと部室のてんじようを見上げていると、さらに陰子の声が届いた。


「それにしても、面倒なことになりましたわね。聞けば事のほつたんは、昨日素敵さんが見つけた重度かん者を取りがしかけたこと──つまりは見張りの持ち場を勝手に離れたくろさきさんのせいではありませんか。責任感がなさすぎです。素敵さんがビシッと言ってやるべきですわ」

「くーがあんな感じなのはいつものことよ。それに、言うほど困ったことにはなってないと思うわ。あいつが何も聞いてこなかったってことは──については、見てなかったか、見間違いかと思ったかのどちらかだもの。そこだけは素敵な幸運」

「ああ。あの男をここに呼んだのはその確認のためでしたか」

「あいつ自体の性質が変すぎるから、注意しておこうと思ったのも事実だけどね。ホントに検査もしたかったのに……かんメカニズムの判明がりよう法の発展の第一歩だって知らないのかしら!」


 わずかにいらたしさを含んだてきの声。数秒の間を置いてから、かげるは小さくうなずいた。


「ならば──。わたくしにできることがあれば協力いたします」

「そうねぇ……でも、陰子さんがそんなに乗り気なのってめずらしくない? 助かるけど」


 返答は、ひどく優しい声で。


「理由はおわかりでしょう?」

「……ありがと」


 それに素敵も、優しく返した。そして再びの沈黙。次に口を開いたのはまたも陰子だった。タイミングをうかがっていたかのように、ひそやかに、声に僅かなきんちようにじませて、


「それで──話は戻りますが。昨日の重度罹患者はいかがでしたの」

「不自然に感じたわ。自然に、ぐうぜんに、症候群シンドロームが重度化したものとは思えない」


 同じように声をひそめて言いつつ、素敵はてんじように向けていた視線を戻す。陰子は目を細めて彼女を見つめていた。


「では。やはり、可能性が高いと?」

「そう考えないと説明がつかない。これからも街に出て捜す必要があるわ……そう言えば確かこないだ名前つけたわよね。何だったっけ」

「《周旋体イントロデユーサー》ですわ……正直、わたくしにはまだそんな人間がいるなんて信じられませんが。そう──」


 布がこすれる音。陰子が傘を開き、それを頭上にかかげてくるくると回す。だからその顔は傘のふちに隠れて、素敵には彼女がどんな表情でそれをつぶやいたのかはわからなかった。

 無表情だったのか、あきれた顔だったのか、ただ疑念を浮かべていたのか、それとも──

 不安に満ちた表情を、していたのか。


「《他人の症候群シンドロームを重度化させる症候群》の持ち主がいる、なんて」


    +


 ……せんどうけんは《おはなしやさん》と呼ばれている。


 自分で名乗ったわけではない。困っている人の悩み相談に乗っているうちに、それが口コミで広がってこう呼ばれるようになったのだ。

 彼がやっているのはその名の通り、誰かの話を聞いてその相談に乗ることだけ。それをしようと思ったことに特に理由はない。自分が話を聞くことで誰かの気分が晴れるならそれはきっといいことだろう、という当たり前の気持ちで始めてみただけなのだが、それを説明してもあまりピンと来ない顔をされるのが常だった。なので最近は誰かが勝手に言い出した「自分は心理りようほうを目指していて、その練習のためにやっている」という話をあえて否定しないようにしている。正直、自分は人助けのためにやっているだけなのだから、他人がどう思っているかなどはどうでもよかった。

《おはなしやさん》は今日も営業している。もちろん代金など取らないが、てんのような場所はあった。とある古びた雑居ビルの一室だ。しばらく前にけんのもとをおとずれた相談相手がこのビルの持ち主のむすで、悩みを聞いてくれたお礼としてそれ以来ここを自由に使わせてくれるようになったのである。

 こぢんまりとしたオフィスのように最低限の家具が配置されたその部屋で、賢慈は学校の制服のままコーヒーをれていた。かべの時計を見上げて時刻を確認。それからほどなくして、約束していた時間である午後七時丁度に今日の客がやってきた。


「お久しぶりです、なかさん。調子はいかがですか?」

「はい。せんどうさんのおかげで、最近は部活も楽しいです」


 今日の相談者は真中ようへい。賢慈と話をしに来る相手はほとんどが十代の人間で、その例にれず彼も市立高校の生徒だ。な少年で、体育会系の部活に入ったはいいがそのいじめのようなシゴキのストレスで心をみ、めると言ったらせんぱいなぐられた、もう死にたい、というのが最初の相談内容だった。


「そうですか、それはよかった。しかし……こうしてまた僕のところに来ていただいたということは、何か新しい悩み事でも?」

「はぁ。それなんですけど……悩み事っていうか、すごくくだらないことなのかもしれませんけど、よく考えれば自分はおかしいんじゃないかと最近思うことがあって、ですね」