藍坂素敵な症候群

第一診「初期症状」-the president of medical club, her name is...- ⑥

 同年代だし、別に自分は精神科の先生ではないのだから敬語など使わなくていいですよ、といつも言っているのだが、なぜだか悩みを相談しに来る相手は基本的にこんなていねいな態度を取ってくれるのだった。悩みを聞いてもらっているという負い目が向こうにあるからだろうか……そんなにかしこまらなくてもいいのに、と賢慈のほうが申し訳なく思う。むしろ、からかい半分で来てやったんだぜ、という態度でたまに訪れるヤンキー系の人達のほうがそういう意味では話しやすいとも言えた。


「くだらないなんてことはありませんよ。どうぞ気兼ねせずお話しになってください」

「じゃあ──実はですね、自転車のことなんです」

「自転車? そう言えば真中さんは自転車通学されているんでしたね」


 以前、話を終えて彼を送り出したときに見たことがある。おしやな赤色をした外国製のマウンテンバイク。知識がないのでくわしくはわからなかったが、かなりの高級品だろう。


「はい、昔からの趣味で。部活がくいくようになってからは、おこづかいやバイト代で愛車をカスタマイズするのもますます楽しくなってきて、まるで家族みたいに思えてきて──でも、最近友達に言われたんです。ただの自転車にそんなに金と手間ひまをかけるのはおかしい。理解できない。乗れればなんでもいいじゃないか。お前は異常だ、って……ねえせんどうさん、僕は異常なんですかね?」


 ああ、とけんは心を震わせた。なんてで、なんて実直な男なのだろう。そんなことを気にむなんて。そんなことを気にするなんて。

 だから賢慈は心のままに、


「そんなことはありません!」


 座っていたから身を乗り出し、彼の手をにぎる。彼の目をえる。


「せ……千導さん……?」

「いいですか、あなたはどこもおかしくなんてありません。それはとてもらしいことです」

「そ、そうですか……?」

「そうですとも」


 力強くうなずいて、微笑ほほえむ。

 ああ、愛しい。この人が、弱くて強い人間というものが、心から愛しい。

 だから──だから自分は、こうしているのだ。まどう人間の背中を押してやるのだ。人間らしく、ぐに、自由に、心すこやかに生きていけるよう、言葉をかけてやるのだ。

 彼の目をさらにのぞき込む。その奥底まで、奥底の奥底まで。


「気にすることはありません。何も気にすることはありません。あなたはもっとあなたらしくなっていいんです。

「あ、ああ……」


 感激したように、彼が息をむ。そして笑う。だからもちろん、賢慈もさらに笑って、


「さあ、もっとお話ししましょう。僕にいろいろと教えてください。あなたが何を好きなのか。どう好きなのか。何かを好きになるということは、人間が人間らしく生きているのだという何よりの証左なのですからね……」


 気分が軽い。やっぱりあの人のところに行って正解だった。

 鼻歌を歌いながら、なかようへいは愛車のペダルをいで家路を辿たどる。一踏み一踏みをしっかりと受け止めて脈動する車輪。かんするように加速する車体。なんて素晴らしい存在なのだろう。ああ、もう家はすぐそこだ。今日は遠回りして帰ってしまおうか。いや、いっそ今夜はこのまま街を走り続けてしまおうか。とてもりよく的な思いつき。こいつはどこまでも自分についてきてくれる。勉強しろとうるさい親とも、さいなことでしつせきしてくる部活のもんとも、それをにやにやした目でながめているだけのせんぱいや同級生達とも違う。最高の相棒でありはんりよ

 大通りから一本入った、一車線の道路をしつそうする。この道はほとんど自動車が通らない。ましてやこちらをじやあつかいしてクラクションを鳴らしてくる大型トラックなど皆無だ。あんなもの世界からほろびてしまえ。日本は全ての交通手段を自転車に一本化すべきだ。首相は本当に鹿だ。

 調子良くペダルをいでいたとき、ふと、みちばたに何人かの若者がたむろしているのが目に留まった。場所は小さなライブハウスの前。金髪にセンスの悪いシャツにだらしなく腰穿きしたズボンにうんこ座りにくわ煙草たばこ、全身ぜんれいをもって「僕達は・頭が悪い・でェース!」とアピールしている。きっと自転車の乗り方も知らないに違いない。可哀かわいそうやつらだ。

 道端に捨てられている空き缶に等しい若者達の横を、ようへいは愛車と共に通り過ぎようとする。が──そのとき、見えた。

 近くに止めてあった自転車のまえかごに、若者の一人が吸っていた煙草を押しつけて灰を落とし、そしてあろうことかそのまま篭の中に煙草のすいがらを投げ入れてゲハハハと笑ってこいつ何してやがるアホかバカかその自転車は俺のじゃないけど俺の自転車の同類の自転車であってらしい存在でちくしようコラ畜生畜生がッ!!

 急ブレーキ。愛車を降りる。若者達が洋平に気付く。洋平は自転車を押して近付いていく。


「なあ」

「あ? あんだテメェ?」

「謝れ」

「ハァ? なに、マジわけわかんねーんだけどー」


 一人がつばいた。さっきの、煙草を押しつけた自転車の、サドルの上に! りようじよく! 凌辱以上の凌辱だ! ごうかんして殺人してさらにかんするようなものだ! 許せない!


!」


 。ぐしゃりというごたえ。飛び散る何か。ざまあみろ。


「な……」


 今度はよこぎに愛車を振るう。後部車輪がもう一人の口にめり込んでヤニにまみれた黄色い歯が何本も飛び散った。最後の一人には腹に正義のてつついを下してやる。赤色の混じった胃液。まだ許さない。ピクピクしている男の身体からだをさらに打ちえる。


「謝れ! 謝れ! 謝れ!」

「ぎ、げっ、うぇっ……わ、わかった、悪かった、許して……」

! そんなこともわかんないのかお前は!? 本当に鹿だな、救いようがない馬鹿だな! この世で一番らしいものがわからないなんて!」


 愛車の力を借りて、なぐる。殴る。殴る殴る殴る。

 その最中にも、ようへいの意識のほとんどは自転車にある。じゆうおうじんやくどうする彼女の姿はやはり素晴らしい。れする姿態だ。スレンダーで、カッコよく、可愛かわいく、セクシー……


(ああ……好きだ。好きだよ……)


 顔に温かなまつがかかった。ああ、これはきっと彼女の涙だ。二人の心が通じ合ったことをうれしがっている喜びの涙だ。可愛いやつだな。

 洋平は幸せな笑みで思った。

 涙も流せるなんて、やっぱりこいつは生きてるんだ。すごいぞ。

 今日は一緒に寝よう。