あの夏に捧ぐ逢いことば

chapter.2 真夏の断片、壊れた世界で星を数えて ①

 列車が線路をたたく規則的な振動が全身をしんとうする。

 僕とユウは、一目散につばめ園から逃げ出し、地元のローカル線に飛び乗っていた。

 薄闇の中をけるように進む列車には、ほとんど乗客はおらず、かしきりだった。

 足を通路に投げ出して、切れかけの車内灯を見上げる。

 ──やってしまった。

 逃げたということは、やましいことがありますと宣言しているようなもの。

 これで晴れて、僕は逃亡者となってしまったわけである。


「……正直、提案を受け入れてくれるとは思いませんでした」


 お世辞にもふかふかとは言えない座席に置いたスマホから、不思議そうな声がした。


「僕だって意外だよ」


 ユウがいくられんに笑う少女とはいっても所詮はAIだし、そんな彼女の言葉に引かれるように全部捨てて逃げてしまうなんて。


「……ただまぁ、あのままだと、すごい圧で迫られそうな気がしたからさ」


 警察(?)に全部話したところで、多分信じてもらえなかったし。仮に僕が弁明している間ユウがダンマリを決め込んでしまえば、僕だって中学生の妄言だと判断すると思う。

 打開策なんかない。僕はそんなに必死になりたくない。

 だから、逃げだした。

 結局、流される形で逃げ出したんだ。


「それに、なんか警察ってさ、何もしてないのにいざ目の前に現れるとビビるんだよね。やましいことはないのに、悪いことしてないよね? って思っちゃったりしてさ」

「彼らは警察ではありませんけど……」

「本当かどうかわかんないし」

「AIはうそを吐きませんよ。……それはそれとして、警察を意味もなく恐れるというのは、日本人の心理としてはそれなりにあることみたいですね」

「あ、やっぱり? しかも、自分が悪いことしてるかも? って時に会うと、なお怖かった」

「くすくす」

「笑い事じゃないんだけど」


 画面の中でしそうに笑うユウをこづいてやる。なんで巻き込んだ本人が笑ってるんだ。


「だったら……どうして、こんなわたしと一緒に逃げてくれているんですか?」


 こづかれた額を痛そうに押さえながら、ユウは自嘲気味に言った。


「わたしのせいでしゆうくんは逃亡するはめになってしまった。それをしゆうくんは正確に理解している。なのにどうして、を捨てたりせず逃避行に同伴させてくれるんですか?」


 かたん、かたん、と列車が揺れる。

 薄暗い車内で、月のようにひときわ輝くスマホから、僕は視線を剝がす。

 窓の外でも、淡い黄色を呈する満月が夜空を照らしていた。


「……よく、わからないけど、」


 よく見れば、月の他にも星がポツポツと点在している。理科で習った。あれがきっと一等星や二等星で、それ以下の暗い星は、月の明かりにかき消されて見えていないんだ。

 そんなことを思い出しながら、探るように続けた。


「多分、僕も……消えちゃった方がいいんだって、心のどこかで考えてたんだと、思う」


 ──誰もいない、どこか遠くへ。

 ユウが告げた甘美なフレーズに、心のどこかが共鳴してしまったのかもしれない。

 人間の周りには、人間が多すぎる。

 そんな中、我を出さずに生きていくのは、真綿で首を締められているように息苦しい。


「何かしたいって思わなくても、欲を自分から出さなくても、雲みたいに穏やかに暮らせる。そんな、どこか遠くへ。消えちゃった方が、きっと楽なんだろうな、って」

「……、」

「だから、一緒に逃げよう。その『どこか』に辿たどくまでは」


 AIの少女を宿したスマホを手に、電車に揺られる。

 向かうのは、終点じゃない。

 当てもなく彷徨さまよう、二人だけの旅だ。


「……人間は、素敵ですね」

「え?」

「人生の行き先の決定権を、自分で持てていて」


 ユウは、「ありがとうございます」と画面の中でペコリと頭を下げた。


「……変なの。まぁいいや。とりあえず、目下の問題はこれなんだよね」


 僕はケツポッケから、子ども向けのダサい折りたたみ財布を取り出す。

 たまの駄賃やごほうでもらえるお金をめ続けてできた全財産は、たったの四三〇〇円。


「お金がないんだ。しかも、ICカードで電車乗っちゃった。どこで降りるかだけど、できるだけつばめ園から遠いところにしたいし……」


 なのに、遠くまで行けば行くほどお金がかかるジレンマ。……いや、当たり前なんだけど。もちろんカードの残高なんてほとんど残っていない。チャージ必須だ。

 ドアの上に刻まれている路線図を見ながら、頭を回す。

 だけど、思考は空回りしていく。駅名だけは見たことがあっても、そこがどんな場所なのか知らないし、そもそも目的だって定まっていない。


「ねぇ、ユウ。スマホで色々調べたいんだけど、ちょっとどいてくれる?」


 すると、スマホのど真ん中に陣取っている新緑色の少女は、小首をかしげた。


「ただの検索エンジンよりも、AIであるわたしの方が高性能ですよ?」

「え? ユウも検索してくれるの?」


 思わずまろび出た疑問に、ユウは誇らしげに胸を張った。


「はい。適切なプロンプトをいただければ」

「プロンプト?」

「簡単に言えば、AIに出す指示のことですね。色々コツはありますが、ただのテキストでも問題はないです。言ってしまえば、AIを動かすための言葉、ことばです!」


 ユウは新商品をプレゼンするサラリーマンみたいに手を広げながら、


「検索だけじゃありませんよ。具体的なAIことばをいただければ、それに応じた様々な提案だってできるんです!」

「へ、へぇ。そんなことまでできるんだ」

「できるんですよ、AIですから」


 ニコッ、と目を細めるユウ。そんなに言うのであれば、試してみよう。


「じゃあ……どこの駅で降りるのがいいか、提案して」


 単刀直入に、今すべきことを問う。

 一方で、ユウはわいらしく小首をかしげた。


「えっとですね、しゆうくん。AIことばはもう少し具体的にお願いします」

「……具体的って?」

「今自分はどういう状況で、何をすべきで、だからどうすればいいか、みたいなことをまとめていただく感じですかね。そうでないと、こちらとしても提案のしようがないので」


 つまり、人間側である程度方向性を定めないといけない、ということか。

 無限にある選択肢の中から、最適な解答を選び取るために。


「そっか、そうだよね。うーん、なんて言えばいいかな……」


 目下一番の問題は、所持金がかなり少ないこと。

 次に目指すべきは、警察(?)からの逃走。

 そして最終的に、誰もいないどこか遠くへ到達すること。


「今、僕は電車に乗ってるんだけど、できるだけお金を使わずに、人目につかない場所へ行くには、あの路線図の中ではどの駅で降りたらいいかな? ……こんな感じ?」


 自信はなかったけど、スマホの中の少女は元気にサムズアップ。


「良い感じです! じゃあ、回答を生成しますね……」


 言って、彼女は瞳を閉じてこめかみに指を当てる。

 すごく人間らしい動きだな、と思った。AIに『考える仕草』なんて必要ないだろうに。

 ……なんだか不思議な感じだ。AIに詳しい人間とビデオ通話してるみたいな。


「はい、できました! 読みますね〜。えっと、『お金を使わずに下車するには、自動改札のない無人駅で改札を通さずに降りる方法が挙げられます。ただし、乗車時に使用した交通系ICカードは二度と使用できませ──「ちょっと待って!?」


 すらすらとよどみなく犯罪指南をおこなってきたAI少女にデコピンをかます。痛い。