あの夏に捧ぐ逢いことば

chapter.2 真夏の断片、壊れた世界で星を数えて ②

「倫理観の設定バグってない!?」

「大丈夫ですよ。バレなければ犯罪じゃありません」


 しれっととんでもないことを言ってのけたAI少女は、なおも続ける。


「終点一つ前のこの駅。ここなら自動改札機も防犯カメラもありませんので下車可能です。また、すぐに山間部に入れますし、駅舎に待合もあるので夜明けまで休憩もできますよ。建造物侵入の罪に問われる可能性もありますが。おそらく充電もできますよ。盗電になりますが」

「うわぁ……どんどん罪が重なっていく……」

「何言ってるんですか。既にしゆうくんは逃亡犯。それに、たった四三〇〇円の所持金で夏を渡るには、一線を越える覚悟が必要ですよ」

「原因であるユウだけには言われたくない!」


 身勝手なAIに頭を抱える。

 ……だけど、不思議な感覚だ。

 都合の悪いことを包み隠さず、ストレートに告げられるのは。

 裏も表もないユウの言葉は……戸惑いはすれど、妙に受け入れられる。

 彼女の提案は、きっとどこまでも不健全で、決して褒められたことじゃない。

 だけど……僕はその言葉にまれたんだろう。

 ライターで遊ぶような、背徳感にも似た冷たい高揚を覚えてしまったんだ。


「……でも、やってみようか、ユウ」

「あと一四分で駅に到着します!」


 カタンコトン、と車輪が跳ねる。

 握りしめた手のひらが、少しだけ湿りを帯び始めた。


***


 何食わぬ顔をして、列車から降りる。

 切符を出せと言ってきた車掌は、ICカードを見せると運転席に引っ込んだ。

 たった一人の乗客を降ろして列車は扉を閉め、そのまま闇の中へ消えていってしまった。

 あまりにもあつない。

 高鳴る心臓とは対照的に、周囲には水を打ったような静寂が訪れた。

 真夏の夜とはいえ、都市部から離れるとそれなりに涼しい。草木の蓄えた水分が風に乗って、肌の熱を奪ってくれているみたいだ。

 閑散としたホームでは大きな枝葉が羽を広げていて、自然にみ込まれたはいきよのような空気も漂う。そんな中、人工的な青白い光をともすソレは、ひときわ浮いた存在感をまとっていた。

 簡易改札機。

 自動改札のようにゲートはなく、ただICカードをかざすセンサー部があるだけの公衆電話みたいな機械だ。

 本来なら、乗車時に使ったICカードを読み取らせて運賃を支払う。チャージ残高が足りなければ、付属の電話を使用して係員の指示を仰ぐ。

 だけど、僕は。

 その横を、悠然と通り過ぎる。

 何か言いたそうにまぶしい光をともし続ける簡易改札機を尻目に、僕は階段を下りていく。

 カン、カン、カン、と足音がやけに耳に響く。

 それ以上にうるさいのは、心臓の鼓動だった。

 これは、完全に犯罪だ。だけど、僕をとがめる者は誰もいない。

 そのことが、今まで見えなかった心のどこかをどうしようもなくくすぐった。


「……やっちゃったね、ユウ」

「やってしまいましたね、しゆうくん」


 スマホの中の少女と目配せをすると、僕は財布からICカードを取り出した。

 それをフリスビーみたいに放り投げる。ガサ、と遠い音がして、雑木林の奥へ消えていった。

 気づけば、小さな笑いをこぼしていた。

 何がしいのかわからないけど、横隔膜が震えて仕方なかった。

 気温は高いのに、肺の奥底はとても冷たく感じた。

 そして、階段を下りると、待合室があった。寿命が近そうにチカチカとまたたく薄暗い電灯に、使い方もわからない券売機。そして木製の硬そうなベンチが二つ。


「あ、コンセントあるじゃん。よかった」


 ポケットに押し込まれた充電ケーブルを取り出してコンセントに挿し込み、スマホを接続する。そのまま、僕もゴロンとベンチへ仰向けに転がった。


「盗電にちゆうちよがありませんね。わたしは助かりますけど」

「あっ、そうだった。まぁ、無賃乗車に比べたらハードルが低いっていうか……とにかく、もうすぐ終電だ。それが過ぎれば、始発までここには人が来ないし、いいでしょ」


 壁時計へチラと目をやる。二二時を回っていた。多分、もう終電一本しか来ないだろう。


「ふふ。わかりました。始発は五時四三分です。それまでには出ていきましょうね」


 半分闇に包まれているような待合で痛いほどまぶしく光るユウが告げる。


「じゃあ目覚ましかけて……あぁ、そっか」


 スマホを手に取ってアラームをセットしようとしたところでいやおうでも気が付く。

 今現在、スマホにはAIの少女がみ着いているのだ。

 改めてよく見てみると、LINEやYouTubeなんかのアプリアイコンは消え去り、デフォルトで設定されていたアーティスティックな背景画像とユウしか映っていない。


「ユウ、ちょっとどいてくれる? アラームのアプリが見えないよ」


 僕が頼むと、ユウは少しだけ気まずそうに目線をらす。

 意味のわからない態度に僕が眉をひそめると、彼女は観念したように口を開いた。


「えっとですね、しゆうくん。怒らないで聞いてくださいね?」

「それは内容によるかな」

「じゃあ言いません」

「うそうそ。怒んないよ。多分」


 無言の見つめ合いがたっぷり一〇秒間。

 遠くの方でかなでられるコオロギの合唱が僕らを包んでいた。


「……わたしがスマホに入ってるので、既存のデータはほとんど押しのけられているんです」


 告げられたのは、予想だにしなかった言葉。


「このスマホ、メモリもストレージも貧弱で……わたしも、かなりの機能をぎ落としてここに入っています。それでも足りなくて、システムデータとか起動や維持にかかる部分以外はかなり追いやって、空いた領域を使わせてもらってます」

「勝手にそんなことまでしてたのか……あれ、でも、さっきLINEとかシステム設定とか見せてくれなかった?」

「あれは一時的に復元しただけです。わたしが操作しないと、基本的に眠ったままですよ」

「おぉぅ……もうやってることウイルスと変わんないじゃん……」


 つまり現状、スマホはスマホじゃなくてただのユウの家でしかないということか。

 さっきも、検索エンジンより自分の方が優秀だなんて話をらしたのは、そういう事情も含まれていたんだろう、きっと。


「すみません……なので、アラームはちょっと。わたしがアラーム機能を当該時刻に復元しないと、音が鳴らないので」

「全然意味ないね……あぁでも、それなら普通にユウが僕を起こしてくれればいいのか」

「あ、そうですね。わたしはAIなので、休息を必要としませんし」


 オーバーヒートさえ起きなければですが、とユウは補足する。


「それより……わたしのせいでスマホが使い物にならなくて、すみません」

「それは別にいいよ」


 僕は何となしに天井を見上げる。

 どうせスマホの役割なんて暇つぶしでしかなかったし。

 連絡する相手だって、おんさんしかいない。そのおんさんも……今は連絡できない。


しゆうくん、しゆうくん!」

「なに?」


 改めてスマホに目線を落とす。画面のまぶしさに少しだけ顔をしかめた。

 画面の中では、新緑色に淡く輝く頭部だけが映っていた。ちょうど、カウンターの下の荷物を持ち上げようとしているみたいに。


「念押ししますけど、頑張ればデータも取り出せるので要望があれば言ってくださいね」


 言って、ユウは画面の下からソレを持ち上げた。


「ほら! 大事なお写真も!」


 掲げられて、絶句する。

 ユウが取り出したのは、直視しないようにしていた写真で。