あの夏に捧ぐ逢いことば

chapter.2 真夏の断片、壊れた世界で星を数えて ④

「さらさら、さらさら、と木の葉が擦れあう音の中を、しゆうくんは歩いています。空気が澄んでいて、少しだけ冷たいですね。トレッキングにはいい季節です」


 ……何だこれ。


「雑念は払ってください。わたしが言ったことだけを、思い浮かべて」

「わかったよ」

「おほん。しゆうくんの向かって右手に川が流れています。水面が陽光をキラキラと反射していて、生命の輝きを感じますね。あ、魚が一匹跳ねました。みず飛沫しぶきをあげて、力強いですね」

「……、」

「あ、見てください、シマリスですよ! 目がクリクリでわいいですね! どんぐりを拾って、せかせかと木に登っています。木の上に巣がありますね。子育ての最中でしょうか」


 ……と、ここまで景色を思い浮かべて。

 パン、と音が鳴った。

 同時に、頭の中に電流が走る。少しも痛くない、暖かい電流が。

 感覚としては、トンネルの中から急にひらけた大地に出たような。

 暗い密室から解き放たれたような……有り体に言えば、世界が広がったような感覚がした。


「はい、完了です。では、目を開けてください」


 ユウの一言で、まぶたを開ける。

 蒸し暑い夏の夜。崖の上のベンチに、はるか遠くの街明かり、周囲を取り囲む森林と、数刻前と全く変わらない景色が目に入る。

 だけど、一つだけ。

 異常すぎるほど異常な存在が、僕の横でベンチに腰掛けていた。

 暗闇で一層映える、りんこうのような長髪。ほしくずを散りばめたような光に取り囲まれるきやしやな肢体。白いワンピースと上着を少し着崩した姿は、わいらしさと同時にどこか異質な香りもした。

 薄情な世界を照らすように。自分はここにいると突きつけるように。

 自ら淡く光を放つあいたけユウが、現世に降臨していた。


「……え?」


 目を疑う。

 先ほどまで小さな電子機器に収まっていたはずの少女が、その枠を飛び出してこちらを向いてにっこりとほほんでいる。


「これで、疲れ目は軽減されるはずです!」


 ユウは、ほんのりドヤ顔で胸を張る。

 その仕草は、どう見てもこの世界に存在している人類の動きで。

 目の前の現象が、まるで信じられなかった。


「……ホログラム、とか……?」

「どちらかと言えば拡張現実ARですね。この身体からだは、実際に投影されているわけじゃないので」


 見えている光景にCGなどを重ね合わせ、あたかも実在しているかのように見せる技術。

 僕が小学生の時にも、ARでモンスターを捕まえるゲームがったっけ。

 だけどあれは、スマホを通して初めて実現する話だ。僕は当然ながら、何も通していない。


「先ほど、わたしが告げた描写としゆうくんが頭の中で思い浮かべた風景をリンクさせることで、しゆうくんの脳波とスマホを同期しました」

「……えっ」

しゆうくんの脳波にスマホの電波で干渉して、視覚、聴覚など五感を操作してその場にいるように誤認させているんです」

「軽く言わないで!? そっ、そんなこともできるの!?」

「できるんですよ、AIですから」

「AIを電子の神か何かと勘違いしてない?」


 まばたきしてみても、彼女の周りをぐるぐる回ってみても、そこにはユウがいる。声すら、スマホからじゃなくて口から聞こえる。息遣いまで聞こえてきそうだ。


「神、ですか。日本ではあまてらすおおかみを一番に連想しますね。電子の神……検索中、該当なし。ゲームやアニメではそういった設定のものがあるようですね。つまり、電子の神は現存せず、わたしはソレではないということになります」

「いや、勘違いしてないか調べろって意味じゃなくてさ……」


 皮一枚分ずれた回答。AIことばがきちんとしていないと、こういうことになるみたいだ。

 ……でも。この、腹の底から湧き上がる高揚感は何なのだろう。

 何か、誰も知らないことを知れているような、特別感。


「すごいですか? しゆうくん」


 ようえんなまでの瞳で、ユウは笑う。

 闇に輝くうららかな光に、み込まれそうだ。


しゆうくん。それじゃあ、これからよろしくお願いしますね」


 晴れやかな笑みで、ユウはぺこりとお辞儀。

 釣られて、僕もしやくみたいに頭を下げた。

 人影の一つもない山間に、世俗から切り離されたような空間が確かに存在していた。


***


 翌日。土曜日。

 駅舎で一晩を明かした後、人が来る前に僕たちは駅から離れていた。

 上空は澄み渡る快晴だ。陽射しが強く、気温は高い。セミが競い合うようにシャワシャワと鳴き散らかしている。このあと太陽が高く上がって更に暑くなったら、へばるんだろうか。

 ふわぁ……と一つあくびが漏れた。


「眠そうですね、しゆうくん」


 僕の隣で、派手なカラーリングの少女が笑う。

 やっぱり不思議な感覚だ。あのYouTuberあいたけユウが、僕の隣を歩いているなんて。

 これが、僕の脳が起こしている錯覚? リアルすぎて、普通に照れくさい。同世代の女子と、二人で歩いたことなんてないし。地面がふわふわした感じがする。


「まぁ、野宿なんて初めてだからね」


 なんとなく、視線を合わせずに答える。あぁ、人生経験の薄さが露呈して恥ずかしい。

 空がゆらゆらと泳いでいる。雲も。家も。きっと、僕が挙動不審になっていて……


「……あれっ」


 ふと自分が立っているのかわからなくなり、近くの電柱にもたれかかった。

 まだグラグラする。車酔いみたいに吐きそうだ。あれ、これって。


「大丈夫ですか?」


 ユウが心配そうに下からのぞき込んでくる。その姿さえも、揺らいで見えた。


「無理せず、少し休みましょう」


 ユウはこめかみに指を突き立て、瞳を閉じる。五秒ほどして、西の方を指差した。


「あっちにあずま──えっと、屋根付きの休憩所のある公園があります。行けますか?」

「うん……わかった、行けるよ」


 息を大きく吐いて、ゆっくり歩き出す。

 頭がグラグラする。体もだるい。駅舎でなんて寝たから、風邪でも引いただろうか。

 ユウの言う通り、少し歩いただけで広い公園に出た。木々の間では、網を持った子どもたちがセミ捕りに興じていた。そして、肝心のあずまは、幸い公園の入り口近くに備えられていた。

 平べったいかくすいの屋根。木製のテーブルとベンチ。僕は、ゆっくりとベンチへ腰掛けた。


「……大丈夫ですか、しゆうくん」

「大丈夫大丈夫。ちょっと休んだら治るよ」


 強がってはみせたものの、頭痛がひどくなってきた。思わず身体を丸める。

 セミの声がうるさい。頭に響く。どんどんしんどくなってきた。気持ち悪い……。


しゆうくん……熱中症じゃないですか?」

「え、起きたばっかなのに……?」

「睡眠中も水分は失われますよ。それに、昨日の夕食以降、水分をっていないですよね?」


 確かに、喉はカラカラだ。起きた時は汗だくだったし、脱水の傾向はあるかもしれない。


「あそこに水飲み水栓があります。ひとまず飲みに行きましょう」


 ユウが指差した先二〇〇mくらいに、確かに水道があった。

 僕はベンチからなんとか立ち上がり、歩き出す。

 陽光が当たる。頭がガンガンする。水を飲むついでに、頭から浴びた方がいいかもしれない。