あの夏に捧ぐ逢いことば

chapter.2 真夏の断片、壊れた世界で星を数えて ⑤

「すみません……わたしに肉体があれば、支えてあげられたんですけど……」


 隣を歩くユウは悔しそうな表情。いや、ユウは悪くないよ。

 一歩、一歩。水栓が近づく。あぁしんどい。ミスった。こんな真夏に熱中症対策もしないなんて。でも、とにかく、今は、水を……。

 暑くてぼやけた思考で、なんとか水栓に辿たどき、固いハンドルを回す。回す。回す……


「で、でない……」

「こんな時にですか!?」


 やばい。まじか。ハンドルをひねれどひねれど、水が出てこない。反対側を見ると、『故障中』と手書きの紙が貼ってあった。


「も、もど……」


 振り返る。あずまは遠い。無理だ。ひとまず、そばの太い木の陰へ……

 足がもつれ、倒れ込む。そのまま、熱い地面をうようにして日陰までたどり着く。


しゆうくん! 子どもたちに声をかけましょう!」


 顔に焦燥を浮かべるユウの更に向こうに、虫取り少年たちが見える。


「あの子たちにお願いして、水を買ってきてもらうんです! このままだとまずいです!」


 僕はダウン寸前。ユウは実体がない。となれば、もう第三者に頼るしか手立てはない。

 熱中症は、自然治癒しない。水分や塩分を補給し、風などで身体からだまった熱を逃してやらないと悪化する一方。僕でも知っている。

 最悪の場合、命にも関わる病気。

 その上で。僕は。


「でき、ない……」

「どうして!?」


 彼女は理解不能とばかりにえる。

 猛烈に込み上げる吐き気をみ込んで、僕はよろよろと立ち上がる。

 こうなったら、トイレでもいい。あそこにも水道があるはずだ。

 かげろうが揺らめく。視界の端に、公衆便所が映る。

 そこへ向かって、僕は……


しゆうくん!」


 顔のすぐ横には、温かい芝と砂。いや、顔だけじゃない。全身に添うように、発熱した地面がへばりついていた。

 ……あれ。いつの間に僕は、いつくばってたんだ?


「早く! 子どもたちに!」

「い、いえない……」

「どうしてですかっ!」


 にじむ視界。現実と虚構のはざで、あの日の光景がフラッシュバックする。

 暗い部屋。極度の空腹と喪失感。……そして、

 ──お前がわがままを言わなけりゃ!

 僕のわがままの結果鬼と化した、母親だった人の顔。


「……っ! いいです! しゆうくんが言えなくても、わたしが言います!」


 ユウは光の粒子となって姿を消す。脳との同期を切って、スマホの中に戻ったのだろう。


「誰かぁっ!! 助けてください!!!」


 スマホから、ユウの声が大音量で放たれる。

 ポケットの中に収まっているはずなのに、容易たやすく突き破って公園に響き渡る。セミの鳴き声にもかき消されない、鋭い声だった。

 足音が複数、近づいてくる。軽い振動が頰に伝わり、徐々に大きくなっていく。


「やめ……ユウ……勝手に……」

「……あの〜。大丈夫ですか?」


 幼い少年の声。やや不信感をまとっていた。


「左ポケットにスマホがあります! ビデオ通話しているので、取り出してくれませんか!」


 ユウの声に、少年たちは数秒ためらった後、「早く!」とかされて、僕のポケットからスマホを抜き出した。


「えっ!? うわ、あいたけユウじゃん! ビデオ通話って、このお兄さん何者!?」

「みんな、このお兄ちゃん、熱中症で倒れちゃって一刻を争うんです! 財布はあるので、一〇〇〇円だけ抜き取って、コンビニで氷と飲み物を買ってきてください! お願いします!」


 必死に懇願するユウの声。

 あぁ、ポケットをあさられている。きっとこの子らは、有名YouTuberの言う通りにコンビニへ走り、任務を遂行してくれるだろう。そういう企画だとすら思っているかもしれない。


「お兄さん! すぐ戻ってくるから待っててね!」


 駆け足の音が去っていく。

 なけなしのお金を、こんなところで浪費してしまった。

 ……何より。僕の都合で、人を動かしてしまった。

 あの子らはこの後も、セミ捕りを楽しんでいたはず。貴重な土曜日を満喫していたはずだ。

 その時間を、奪った。

 僕のせいで、失った。

 僕は耐えられず、おうした。

 胃袋には何も入っていないはずなのに、粘性のある何かが芝生にダラダラと垂れていく。

 つんとした匂いが鼻を刺した。

 ──あぁ、うるさいな、セミ。


***


「……本当に、勘弁してください」


 図書館の読書スペースに座る僕の横で、ユウがぶつくさ文句を垂れる。せいひつで知的な空間において、彼女の鮮やかな髪色は笑えるほど浮いている。

 あのあと、少年たちが買ってきたスポドリや袋入りの氷でなんとか回復し、冷房がついている図書館まで避難することができた。そのまま興味もない本を開いて読書をよそおうこと数時間。空調のおかげで、体調は随分良くなった。文明ってすごいな、と感心してしまう。


「感心してないで、わたしの話を聞いてください」


 そしてユウは、まるで読心したかのように的確に叱ってきた。


「読心じゃないです。脳との同期です。わたしが熱中症の診断を下せたのも、しゆうくんが『わがまま』を言えないことを知ったのも、このおかげです。もっと褒めてください」

「……え?」


 僕は、腰に手を当ててぷんすこ怒っている彼女を見やる。

 ユウは今、スマホを通して僕の脳と同期している。そして僕の脳に電気信号を電波で送って、実在しない少女の存在を錯覚させている。

 ……と。それだけじゃなくて、まさか。


「……もしかして。脳みその中まで、読めてるの?」

「はい」


 はじかれたように机に突っ伏す。図書館じゃなければ「やめてぇ!」と叫んでいたところだ。

 だって、僕はこれまで、ユウが普通の女の子に見えて照れくさいだとか、わいらしいだとか、並んで歩くと恥ずかしいだとか思っちゃってたのに、それも全部伝わっているってことだ。

 ……要は、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 って。今思ってるこれも全部伝わってるのか?


「はい。それはもう、一言一句まで、全部」


 げええええええええ。


「くすくす。図書館ではお静かにお願いします」


 ユウは目を細めて、あでやかに笑う。


「……ねぇ、ユウ。その機能って……切れないんだよね」

「そうですね。同期している限りは、ですけど」


 どちらかを選ぶ必要がある、ということか。正直、どちらも優先したくはある。拡張現実ARの不思議さもやっぱり楽しいし。……だけど。口には、出せない。

 どっちを選ぶにせよ、選ばないにせよ、それは単なるわがままだから。


「……だから、全部伝わってるんですってば」

「あ」

「わかりました。とりあえず保留としておきます。わたしとしても、こちらの方が一緒に旅をしている雰囲気が出て好みですし」


 言って、彼女は僕の隣に腰掛ける。どこか強気なその笑みは、あざわらっているようにも見えなくない。他人の弱みを握った人間の顔だ。


「えへへ。人間ではないですけどね」

「他は合ってるってことね……」

「それより、しゆうくんのその性質ですよ。なんとかしてください」

「性質?」

「……わがままを言えないことですよ」


 改めて掘り下げられ、思わずどきりとする。


「……こればっかりは、なんとも」


 思い起こされるのは、セピア色にせた過去。

 僕のわがままのせいで、人生を狂わせてしまった人たち。

 言う言わないじゃない。この身に刻み込まれた根源的な恐怖が、僕にその行動を取らせない。