それからハヤテは目を細めてじーっとわたしのことを見てから腕を組んで何かを考え出した。
「じゃあもしかしてお前ってヒト類以外の人間を見たことないのか? ネコ類とか」
「ネコ? 猫ちゃんも立って歩くの!?」
びっくりして思わず立ち上がっちゃった。わたし猫ちゃん大好き!(見たことないけど)
「ねえこの村の外にはハヤテみたいなイヌ類? とかネコ類? とかがいっぱいいるの? みんな立って歩いてしゃべるの!?」
ついテーブルから身を乗り出してまくし立てる。また呆れ顔をされるかなって思ったけど、むしろバターが溶けるみたいに表情から険が取れた。もっとも、険しい顔をしていたことに今の今まで気づいてなかったけど。
「生まれてからずっとこの小さな浮遊洞窟の村で暮らしてたってわけか。そりゃ歩く犬を見たら驚くわな」
「うん、すごくびっくりしちゃった。でもお話しできてうれしいよ」
「ははは」
あ、笑った顔。わたしもつられて笑う。
「村の外にはヒト類以外がいっぱいいるのかって話だけど、その通り。この世界の人類のうち、ヒト類が占める割合は小数点以下。しかもそのほとんどが人里離れた浮遊島に住んでる。だから街をテキトーに歩いてても一日に一人見かけるかどうかだし、田舎なんかじゃまずお目にかかれない」
「えーっ! そんなに少ないの? 噓みたいな話に聞こえるよ」
「本当だよ。それに地上にいるヒト類は成人ばかりだから、子どもに会うのはカフカが初めてだ」
「そうなの? なんでだろ」
「五十年前の戦争を経験した年寄りたちは未だにヒト類以外を『ケダモノ』とかって呼んで怖がってるらしいから、可愛い孫や子どもたちが地上なんかで暮らすのは嫌なんだってさ。ま、年寄りが何言ったって地上に憧れてる奴はとっとと出ていくらしいけど」
全然知らなかった。みんなも地上から逃げてきたのかな?
洞窟村の人たちは戦争を経験したらしいけど、その時のことをあまり話したがらない。おじいちゃんでさえ具体的なことはほとんど教えてくれなかった。わたしも深く聞いたりはしなかったけど、こんなふわふわした毛を持った人たちと暮らしていたなんて! なんだかわくわくしてきた。
調子に乗ってクッキーに手を伸ばす。ナッツがたっぷり入っていておいしい。
「夜に食ったら太るぞ」
「毎日お手伝いで村中走り回ってるから平気だもーん。ねえねえ聞いて。なんとこの村の住人ってわたし以外みんなお年寄りなんだ! わたしは村で唯一の子どもだから、いっつもじじばば軍団のお手伝いをさせられてるの」
「偉いじゃん」
「でもつまんないの! みんな可愛がってくれるけど、歳の近い友達はいないし、村はせまいし、大人になるまで外に出ちゃだめって言われてるし」
「あー、そりゃ退屈だな」
「でしょー!」
今ハヤテに言った愚痴が、この村に対する一番の不満。ちょっと外に出るくらい減るもんじゃないし、どうして寄ってたかってそんな意地悪をするのか分からない。だけどハヤテが同意してくれたのはちょっとうれしいな、なーんて思っていたら、
「でもまあ、じーさんばーさんたちがカフカに空を見せたくない理由は分かる」
「なんでっ」
裏切られた。口をへの字にしてハヤテをにらみつけると、肩をすくめて目を逸らされた。
「あーあ。わたしもシャッターの隙間からじゃなくて開けたところで空を見てみたいな」
「大人になるまでの我慢だな」
む。さっきまではわたしの味方だと思ってたのに、今はみんなと同じことを言ってる。これみよがしに大きなため息をついて、テーブルの上に腕を投げ出した。
「ねえ、一面の空って綺麗?」
「ああ」
すごくあっさりとそう返して、ハヤテは少しだけ残っていたお茶を飲み干した。すかさずカップにお茶をつごうとしたわたしの手を止めて、さて、って立ち上がる。
「夜が明ける前に帰る。悪いけどこの手紙を宛先に届けといてくれるか?」
肩がけカバンから一通の手紙を取り出してわたしに手渡す。くるりと裏返すと、とても短い宛名が書いてあるだけ。シアへ、って。
「おじいちゃん宛?」
わたしの呟きにハヤテが黒い目をまん丸にした。この村にはおじいちゃん以外にシアさんはいないもん。
「そりゃ話が早くて助かるけど、お前さっき一人暮らしって言ってなかったか? いっしょに住んでないのか」
「うん。おじいちゃん半年前に死んじゃったんだ。だからこの手紙も渡せないや」
「……親は?」
「わたし拾われっ子なの」
わたしの言葉にぱちりと瞬きをして「そっか」と頷いた。ちょっと申し訳なさそうにしているのが分かったから、あわてて言葉をつぎ足す。
「でも村のみんながいるから寂しくないけどね」
ハヤテは丸くしていた目を細めてもう一度「そっか」と言って帽子をかぶった。わたしはぺりっと封蠟をはがす。なぜか封筒の内側に差出人の名前と住所が書いてあった。
「ええと……ベルさん、から」
そっと部屋を出ようとしていたハヤテがぴたりと足を止めた。わたしはかまわず便箋を取り出して読み始める。
『久しぶり。会いたかったよ。私が今更こんなことを言っていいのか分からないけど、紛れもない本心だ。君との輝かしい日々を忘れたことはない。うたた寝しながらだってあの頃の思い出を語ることができるほどにね。
元気かい? お互い歳をとったね。悪いところはないかい。おまえはまだ冒険のただ中にいるのかな。
私か? 旅もいよいよ大詰めといったところだ。
もっと早く手紙を出すべきだった。この五十年で何枚の封筒と便箋を無駄にしたことか。
だが昔の自分に「早く手紙を出せ」と叱りつける機会があったとしても、ポストの前に行くことさえできないのだろうな。私はあの時から何も変わらない、卑怯な臆病者だ。
お前からの返事が来ないことを恐れるだけの時間が無くなった今、ようやくこうして手紙を出せたよ。笑ってくれ。
会いたい。
会いに来てくれないか。』
「……どゆこと?」
表現がぼんやりしててよく分からないけど、とにかくおじいちゃんに会いたいってことは伝わってきた。仲良しな友達だったのかな。
「ベルさんって人、おじいちゃんが死んじゃったって知ったらがっかりするだろうなぁ」
顔を上げたら、ハヤテは部屋から出ていこうと片足を踏み出したままの姿勢で立っている。尻尾以外ぴくりとも動かない。
「おじいちゃんの昔の知り合い? が久しぶりに会いたいんだって。半年遅かったね……」
「…………もしかして、カフカのじいちゃんってシア・アリムス?」
「そうだよ」
「マジかよ!」
急に動き出した! おもちゃをもらった犬みたいに弾けた笑顔がぐいっと近づく。
「おじいちゃんのこと知ってるの? 有名人だったりする?」
「もちろん!」